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無性

生物として女。一人称は「わたし」。服は主にウィメンズを買う。美しいものは好き、可愛いものも好き。アクセサリーが大好き。

異性、同性問わず恋人と呼べる人、パートナーと呼べる人がいないまま、気づけば7年経とうとしている。
だけどそのこと自体を、特にどうとも思っていない。
わたしにどうかを思わせるのは、この7年の間に例えば大学時代の友人や会社の同期、幼馴染たちが結婚していくわたしの周囲の変化だけ。
わたし自身に誰も相手がいないのは、気持ちのムラはもちろんあるけれど、それでも結構、どうでもいい。

少し変わった髪型をしている。首元を隠せばショートヘアに見えるけれど、器用に襟足だけを伸ばしてもらうように切ってもらっているので本当は胸のあたりまで髪は伸びている。見ようによって、わたしはショートカットだし、ロングヘアでもある。

スカートを履くことは平気。スカートを履くと「女性」になった気になる。仕事着にもスカートは多いけれど、これには何とも思っていない。仕事のための服だから、それ以上に意味はない。
けれど休日用に買ったスカートを履くと、その日は「女性」であるような気がする。かかとの高い靴を合わせると、さらに「女性」になるような気がする。
そんな日は少し安心する。わたしは一応、女だから。生物として女であることと、外見が「女性」であること、これが一致しているとそれなりに世界にいるときの居心地が良い。

同じくらいの頻度で、メンズブランドで買ったオーバーサイズのTシャツやパーカーを着て、リーバイスのジーンズを合わせる日がある。ドクター・マーチンを靴に選べば、その日は「男性」になった気がする。「男性」だから、歩き方も少し変わる。スカートを履いて「女性」でいるときはそれなりに背筋を伸ばして歩いている自覚があるけれど、上下ともにメンズ服だと少し猫背になって、ポケットに手を突っ込んで、ゆったりと大股で歩く。メンズ服を着ているときのわたしは「男性」になっているのだと思う。
そんな日も別に平気。わたしが少し変わった髪型をしているから。見ようによっては、ショートカットだから。

化粧も好き。好きなブランドで揃えて、目元に色とりどりのアイシャドウを乗せるのが何より楽しい。口紅も好き。アナスイの真紅も、光を反射させるほどメタリックなトム・フォードのオレンジも、チョコレートの香り漂うshu uemuraのヘーゼルナッツも、平等に好き。
けれど今のご時世、化粧は決して女性の専売特許ではないし、わたしの化粧はどちらかと言うと顔をカンバスにして絵を描く感覚に似ている。

服を脱いで鏡の前に立つと、痩せぎすで棒みたいな体がひとつ。
筋肉もない、脂肪もない、BMIは15より上に行けない。
肉感もないから触り心地もいまいちだろうし、基本的に全てが細くて小さいから多分セックスにも向いていない。
女だろうか、男だろうか、この体は、どちらかに分類できるものなのだろうか?

女でも、男でもないから、わたしはこの体を「使って」服を楽しんでいる。この体はまっさらな人形で、休日のわたしは、自分の体で人形遊びをしているのだと思う。子供の頃に夢中になった着せ替え人形は、今この体が体現している。

日によって女性になって、男性になる。
それでも街を歩いていて、きっとこの人は、365日ずっと女性なんだろうなと思う女性を見ると羨望とも諦念とも劣等感ともつかない感覚に胸が少しだけ詰まる。
茶色の毛先と前髪を丸く巻いて、必要以上の色を乗せない目元で、つやつやした唇で、茶色のフェイクレザーのジャケットに花柄のスカート、わずかな柄をアクセントにした短めのソックスにパンプス、コンバース。スマホを片手に、右肩には小ぶりのショルダーバッグ。
ふっくらした頰、柔らかそうな肌、思わず触れたくなるような指。
わたしは、こうなれただろうか。どこかのタイミングで、こうなれただろうか。
いつか母親に言われた言葉を思い出す。一着くらい、花柄の服を着てみてよ。

わたしは、こうなれなかったんだなあと思うと、ごく自然に恋人を作って結婚していく周囲を思うと、たまに顔を合わせる同期の自然な女性らしい振る舞いや服装、髪型のことを思うと、どうしてわたしはこうではなかったのかなあと、思うこともある。
これは、今まで自分のことしか考えて来なかったわたしへの報いなのかなあと、考えることもある。だって恋人を作るにも、結婚するにも、まずは相手を探しに行かなくてはならないし、彼らのそれは一種の「努力」の結実なのだから。
わたしは女でも男でもないところをゆらゆらと漂い、日によって変わる自分の「性」を楽しみ、他人のことをあまり見てこなかった。見たところで、自分とはあまりに違っていて、取り入れられるかもと思えることが、ほとんどなかったからだ。

さみしいなあと思う。だから映画を観て、本を読んで、音楽を聴く。ひとりでできることで日々の隙間を埋めることで、さみしさを隠す。
わたしが映画を観たり、本を読んだり、音楽を聴くことは、根本的に、さみしいからなのだと思う。


生物として女。一人称は「わたし」。服は主にウィメンズを買う。美しいものは好き、可愛いものも好き。アクセサリーが大好き。
少し変わった髪型をしている。日によって「女性」になって「男性」になる。自分が女であることを疑わないけれど、髪を巻いて花柄のスカートを履く女の子にはなれなかった。自分が女であることを疑わないけれど、わたしの体は人形だと思う。

女であることを疑わないけれど。




先日、他の人のnoteで見かけて面白そうだなと思い試してみたanone,で「Xジェンダー」「ノンバイナリ」という結果が出たので少し考え込んでしまった今夜の記録。だって自分のこと、ふつうに女でシスジェンダーだと思っていたもの。自分は「周辺的」かもしれないけれどそれでもこれは「シス」の範囲だと思っていたから。
(性的指向がバイセクシャルなことについては特に何も思わない)
https://anone.me/inquiries/edaab5209d66e9634a79a8f23fb55bab


あと、大昔に爆発的にベストセラーになって我が家もそれに漏れず1冊買って、わたしが一番面白がって、夢中になったこの本のことも思い出した。
この本にも男脳・女脳テストがついていて、わたしのテスト結果は「中性脳」だったのだった。

ちなみにわたしも地図が読めない、今でも。


読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。