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振り返ることができない(20200421)

今日もテレワーク。5時半に起きて、魔法瓶にお茶を淹れて、床に座り込んでお湯を飲みながらスマホでtwitterとnoteを眺める。朝ごはんを食べて洗顔をして着替えて机周りを片付ける。自分で決めた始業時間まで本を読もうと思ったけれど、窓から見える淡い朝の光につられて、近所の公園に散歩に出てみることにした。冬物ニットに冬物ポンチョをかぶって、マスクをして部屋を出る。宇多田ヒカルを聴く。


公園は、こんな状況下に閉じ込められる以前のように、犬の散歩をしている人がいたり、ジョギングをしている人がいた。ジョギング、ウォーキングをしている人が特に多かった。夫婦でウォーキングに励んでいる人がいたが、ぴったりと横並びで歩いていたので(ソーシャルディスタンス)とふと頭が呟く。出来るだけ離れてすれ違った。
マスクをしながらジョギングをしている女性を見た。マスクをしながら走ってみるとわかるが、マスクが邪魔をしてなかなか酸素を取り込めない。結構肺活量が鍛えられるのだ。自分も大学の演劇部に居た頃、マスクをしてランニングをしていたことを思い出す。肺活量が鍛えられるのはそうだと思うが、あの人が酸欠を起こして倒れていたりしないか少し心配だ。

春と秋にバラが咲き誇るこの公園、今はまだ大半のバラは花をつけずにただ葉だけでそこに居るが、その中でちらほらと早起きなバラが居る。

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おはよう、きみは早起きだね。



午前8時。仕事を始める。メールに返信し、昨日やり残した仕事から。宇多田ヒカルを流していると眠くなってきたので、午前中はワンオクやあいみょんなど目が覚めるようなナンバーを流した。けれど昨日よりは集中力が続かない。やっぱりメールで全てをやりとりして仕事を進めていくのはテンポが悪くて、返信を待っている間の時間にじりじりしてばかりいる。

午後からはフィオナの新譜に変えて、ずっと聴いていた。このアルバムはいつまでも、いつまでも聴いていられる。気づいたら1曲目に戻っている、けれど止めようとは全然思わない。いつまでもこれを聴いていたい。
午後に新しい作業が入った。早速取り掛かってみるも、この手順で合っているのか不安が先を走るばかりでこういうときに周りに誰もいないのがやっぱり心もとないと思う。始業時間を好きに決められる、且つ、7時間40分の勤務時間を厳守しないといけないので、私の仕事は会社にいる人たちより早く終わる。テレワークは残業禁止。
だから、17時半が定時の人を残して私の仕事は16時40分に終わってしまう。そこに後ろめたさがないとは言えない。残業ができないことにも、後ろめたさがないとは言えない。
始業時間を早め、残業を一切しないとなると、仕事を終えてもまだ相当の時間があることに気づく。本来は、私たちの仕事は一日のうちこれだけの時間しかないことに気づく。


まだ外が明るいので、もう一度マスクをして外に出る。近所のお菓子屋さんでお菓子でも買おうかと思ったが、店の入り口に「本日の焼き菓子は終了しました」の張り紙がしてあって、すぐにUターンして帰る羽目になった。けれど、この日々にあっても変わらず盛況しているのは何よりだ。このお店が休業してしまうと、私はとても、とても寂しく、悲しく思うだろう。


帰ってきて、ふと、これから何もかもがこのまま進んでいくのだとしたらどうしよう、ずっとこのままだったらどうしよう、という、強い不安が足元から吹き上げる風のように迫ってきて、一瞬どうしていいかわからなくて部屋の真ん中で立ち尽くしてしまう。どうしよう。全く出どころときっかけがわからない不安がいきなりやってきて、また頭が(どうしよう)と呟く。

何もかもがこのままだったら、どうなるのだろう。
私の部屋はずっとずっとこのままで、誰にも会うことなく、明日も明後日もこの部屋で、一人で。

着替えることなくベッドに横たわって、大江健三郎『ヒロシマ・ノート』を読むことにする。けれど不安は大きくなっていくばかりで、対して眠くもないのに眠ることにした。起きると20時少し前だった。



ここ数年、全く記憶にとどめておけなくなった夢を、起きてからも覚えていることが多くなった。特にどうとも思っていなかったけれど、この状況下でそういう人は増えているらしい。ストレスで眠りが浅くなったり、夢を見たり、その夢をいつまでも覚えてる人が増えているという。
それは今日私が感じた不安に繋がっているような気がする。今この時が現実なのか空想なのか、正気なのか狂気なのかわからない、ふと過ぎるその感覚が無意識にも人々に共有されているのかもしれない。


20時まで寝ている間、夢を見ていた。
私は高速バスで、友達数人と旅行に出ようとしている。ツアーのようなものに参加しているようだ。そして、高速バスと言ってもそれは移動式カプセルホテルのような乗り物で、乗客には一人一人半個室状態の寝台が割り当てられる。行き先はどこかの旅館のようだ。
半個室の寝台は、一人分広々と使えるのかと言えばそうではない。半分、何かに占拠されているのだ。低反発の生地で、なんとなく、人の形をしているように思える何かがすでに寝台の半分を占拠していて、私はその隣に寝ることになる。

仲間たちと、寝台の中に「居る」あの中身はなんなのかを少し話した。私たちの間でたどり着いた結論は、あの中には死体が入っているということだった。私たちが向かう旅館にある死体を詰めて、客と一緒に連れ帰って来ようとしているのではないか?

なんてことを冗談交じりに話しつつ夜が更けて、私たちはトランプか何かのカードゲームで遊んでいた。それがお開きになって、私たちはバスに戻る。自分の寝台に来たところで、隙間に紙切れが挟まっていることに気づく。仲間の一人からの手紙だった。

「話したいことがある、あとで外に来て欲しい」

同時に携帯が鳴る。取ってみるとこの手紙を書いた友達だった。手紙読んだ? と訊いてくるので読んだよと答える。さっきから窓を叩く音がする。今、窓を叩いているのはきみ? 私は尋ねる。窓? 叩いてないよ。外にいるだけ。窓を叩く音は止まない。そっか、私は答える。電話口で友達は何かを畳み掛けるように話し続けている。けれどその内容は全て忘れてしまった。窓を叩く音は止まない。私は携帯を耳に当てたまま、振り返ることができない。



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