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開いてワームホール この花束を渡して、彼女に

日が沈んでいる。何も考えていない、考えられない、何も喉を通らないうちに、部屋から一歩も出ないうちに、今日は夜になっている。ほとんど訪れないこの自分のnoteに、随分久しぶりに、文字を打ち込んでいる。宇多田ヒカルを聴きながら、両手がしばしば止まる。書かなくてはならないことはたくさんある、けれど、私は一体ほんとうに、何てことをしてしまったのだろうと、また両手が止まって呆然とする。呆然とする他ないことが、新年度の最初の朝に飛び込んできたのだった。



ダイアログデザイナー、嶋津さんが主催されている「第三回教養のエチュード賞」にて、私の応募作が賞をいただくことになりました。私が書いたのはこちらです。


昨年秋に、私は一通の手紙を受け取りました。差出人は私、それも20年前、まだ10歳にも満たない私が今の30歳の私に宛てた手紙です。通っていた小学校の国語の授業の一環で、私は20年後の自分へ手紙を書いていたことを思い出しました。それが、捨てられもせず、約束通りにきちんと届いたのです。

ああこれはまた、良い題材が届いたものだと思いました。

そうして受け取った20年前の自分からの手紙を読み、内容のあまりの純粋さに容赦無く殴られ結構痛い思いをして、やれやれこんなにしんどい思いをまさか自分自身から与えられることになるとは、全く、やってくれるもんだよね、と、私はMacを立ち上げたのでした。実家の母から手紙が届いた知らせを受けた瞬間からこれを書く気は満々でした。痛い思いをしようとしんどかろうと、これは「良い題材」だったからです。これを形に残さないで、じゃあ何を書くの? という感じです。そうして、手紙から受けたインパクトや痛みが体から引いてしまわないうちに、勢いで書き上げたのがこのエッセイです。多分、時間にして2時間もかけなかったのではないでしょうか。ろくに推敲もせずに公開ボタンを押しました。

それからふと思い立ちました。そういえば、今ちょうど「教養のエチュード賞」の応募期間なんじゃなかったっけ、と。


教養のエチュード賞、ならびに主催者の嶋津さんのことは、どちらも名前だけ、noteやtwitterでお見かけしていました。教養のエチュード賞についてはこれが3回目の開催とのことで、安定して続いていて、きっと応募作も多い良質な賞なんだろうと漠然と思っていました。

じゃあそこに紛れ込ませるくらいだったら特に目立つこともないだろうし別にいいよね。嶋津さんおひとりだけにでも読んでもらえるなら十分だし。

そうして私は画面をUターンして、さっき公開したばかりの記事に「#教養のエチュード賞」というタグを付け直しに行ったのでした。そう、初めは付けてなかったんですよね、タグ。付け直しに行ったんですよね、私。


noteのコンテストというのは大概そうですが、タグをつけるだけで応募が完了するのは楽でいいなと思ってそのまま自分が応募したこと自体を忘れそうになっていたとき、当の嶋津さんからお手紙が届きました。

えっ、お手紙届くんだこの賞。すごい。もしかして応募作全部にお手紙出されるつもりなんだろうか、えっ、なんてマメな、いやマメというよりもはやすごい熱意。そりゃあ人気な賞であるわけだ、そして、そりゃあ人望溢れるお方であるわけだ、嶋津さんという方は。

そわそわしながら開いたお手紙にはこう書かれていました。

こんな言い方はずいぶんと失礼かもしれませんが、この作品は温泉を上がった後にたまたま目に入った卓球台で浴衣を着たままピンポンしているような。それは決して悪い意味ではなく、ただ、ユニフォームを着て、シューズを履いて試合をしているところも見てみたい。貸し出し用のラバーの剥がれかかったラケットではなく、毎日磨いているご自身のラケットでピン球を打つところを見てみたい。

なんだと! 気楽なピンポンで悪かったな!

今思うと「コラーーーーーッ!」と頭をぶん殴られてもおかしくはない感想ですが、同時に「ああこれはダメだわ、そこまで見られているなら少なくともこれに見込みはないわ」とも思いました。
妙にすっきりした気持ちで、後にはお手紙をいただけた嬉しさだけが残り、私はすーっと忘れていきました。そして私はこのひと月後にはnoteというプラットフォーム自体から離れ、ますます悠々自適に過ごすようになりました。気づけば年も変わっていました。



そして話は今日4月1日の朝まで飛びます。寝つきが悪かった上に夜明け前に目が覚めてしまった私は鬱陶しい気持ちでスマホを手に取りました。薄眼で画面を見ると、いつもは静かにしているnoteのアプリにやたらと通知が入っています。

そしてこの文章の一番最初まで戻ります。


今は夜です。これを書き上げたらお風呂に入って、本を読みつつ寝る準備をしようかという時間帯です。そして朝から今まで何をしていたかといえば、何もしていません。ベッドの中で呆然として、音楽を聴きながら呆然として、手元にあった本を少し読んでまた呆然として、洗濯物を取り込んでも次の瞬間には呆然として畳むのを忘れ、気づけば夜でした。

何てことが起きてしまったんだろう、と頭の中はそればかりです。
一番もらってはいけない人間がもらってしまったんじゃないだろうかと、今でも心配でまた手が止まります。



私がこの賞をいただけたのは、「タイミングがよかった」ただそれだけの理由に尽きます。20年前の自分から手紙が届く、この出来事自体それなりのインパクトを持つものです。それをみすみす書かないという発想はありません。そうして書いて、それがちょうど教養のエチュード賞の応募期間内の出来事だったからせっかくなので応募した、書いてみると本当にそれだけのことにすぎません。私はこの賞のために自分の文章を何回も、何日も推敲なんてしていないし(そもそも私はあまり推敲をしません)この賞に相当の情熱を傾けて応募された方々の熱意になど足元にも及びません。私は完全に、通りすがりに自分の文章を置くだけ置いて去っていった通行人でした。3回連続で応募されている方から見れば「誰あれ?」みたいな存在です。

大変なものを、この両手にはとても余ってしまう、とにかく大変なものを頂いてしまいました。「教養のエチュード賞」という賞だけでなく、目を疑うほどの賞金も、サポート機能を通して私の管理画面に表示されています。

このお金です。このお金は、嶋津さんのこの「教養のエチュード賞」という理念に賛同された方々、そして嶋津さんという方の人間性を信頼された方々からのお金です。これだけのお金を集めることのできる「教養のエチュード賞」、そして主催者の嶋津さんの人望、人脈、そして信頼の厚さ、それを丸ごと私がいただくことになってしまいました。こんなに色んな方々の思いの詰まったお金を頂いたことはこの30年の人生で一度もありません。今でも体が震えています。



私は、noteを軸にしたコミュニケーションや交流をほぼ全くしてこなかった人間です。だから尚更、この賞に応募された方々にとっては「誰?」という感じだと思います。私の方もそうです。他の応募者の方々のことを私はほとんど全く存じ上げません。だから不安なのだとも思います。

それでも、そんな私の絶望的な交友関係のなさの中において唯一とも言えるくらいのnoteのお知り合い、山羊さんが並んでプリマドンナ賞を受賞されたことには不思議なご縁を感じましたし、私の作品もたくさんの方にリアクションをいただきました。twitterでのシェアもいただきました。この受賞作だけでなく、私の過去の文章までシェアしてくださる方もいらっしゃいました。もうこのnoteはほとんど動いていないのに、フォローしてくださる方もいらっしゃいました。

もう私は、ただただ、頭を下げることしかできません。
覚悟を決めて、この賞とお金を受け取るしかありません。



お読みくださった方々に、ハートを押してくださった方々に、嶋津さんへサポートをされた方々に、そして何より、多くの作品の中から私の文章をこれと選んでくださった嶋津さんに、心から、心から、感謝を申し上げます。本当にこの先同じような出来事が起こるかもわからない、この得難い経験に、心から、ありがとうございます。

書いて参ります。これからも意志ある限り、たとえ多くはなくても、書かずにいられない光景、感情、そして衝動を手放さず、書いて参ります。

皆様から頂いたお金は、趣味の延長のような用途になってしまいますが、書籍や映画、芸術のために大事に使わせていただきます。

この度は、本当に、ありがとうございました。
教養のエチュード賞が4回目も開催されることを、そこでまた豊かな交流や発見、出会いが生まれることを心より願っております。皆様の豊かな創作活動を、心から応援しております。

2021.4.1 kyri / きり



プリマドンナ賞を受賞された山羊メイルさんの作品もまた素晴らしいのでぜひお読みください。山羊さんのストーリーテリングの能力は、紛れも無い豊かな才能です。インタビューの拝読を楽しみにしています。



現在の私はnoteを少し離れてtwitterと自分のサイトとtumblrで過ごしています。ご興味あればお立ち寄りいただけますと嬉しいです。



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