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あの日揺れなかったランドセル/父親失格

新年度を迎えて、美月(娘)の兄(正広)は小学2年生となった。
美月の入院中は、正広を妻の実家に預けていた。と言っても自宅のアパートから妻の実家までは歩いても5.、6分の距離。僕も朝晩の食事は妻の実家で取った。
朝食の後は正広をグループ登校の集合場所まで送り、その足で僕も仕事に向かった。
グループ登校では幼なじみが二人居たので、いつも、集合場所の手前から駆け出して行った。
真新しいランドセルが左右に揺れて行く姿に、自分の子供の頃と同じだと感じて安堵した。

ある日の朝、食事中に行儀の悪い息子をぼくは強く叱責した。
息子も娘も自分の子供の頃と比べれば随分と聞き分けの良い方なので怒ったりすることは滅多になかったが、多分その日は僕の中の虫の居所が悪かったのだろう、自分でも嫌になるほど声を荒げてしまった。
普段は口を挟まない義母もこの時ばかりは「朝からそんな怒ったらいかんよ」と僕に言った。

息子は当然萎縮してしまった。
その日の朝、ランドセルは揺れなかった。
あの日のお兄ちゃんの後ろ姿を思い出すと、今でも自責の念が湧いてくる。
僕に取っては、あの日の自分自身がトラウマになってしまったんだ。

〜父親失格〜

あの日、僕がした事は間違いなくパワハラだ。
しつけと言う体裁のイジメだ。

世の中にはびこるイジメやパワハラ、およそそれらの類はストレスの連鎖だと僕は思う。
水が高いところから低い所に流れる様に、ストレスが強いものから弱いものへ浴びせられる。
そして、それを断ち切れないのは、僕の人としての弱さだ。

義母の注意で僕の暴走はギリギリのところで止まった。

娘の病いとの闘病と言いつつ、大切な息子までも傷つけるところだった。


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