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悩まなくなったわけ

僕は正直言って、高校のころは精神疾患がありました。
悩み続け、心が侵され、破壊されました。

僕にとって学校とは、
独りでいれば「浮いてる」と言われ、
仕方なく集団に何とかまぎれれば、ただただ精神をすり減らす場所でした。

さらには、一日の大半を教室というちっさい箱で過ごすわけで、ここでうまくいかなきゃ「終わり」と思わされるわけです。

当時、心が侵されていた僕は、
夜中には高校3年男児が一人で寝ることができず、
母親に「お願いだから一緒に寝てください」と懇願する始末。

ある日は、
テレビに出ているAKBの楽曲をひとしきり聞いた後に、
大粒の涙を流し、「これはいよいよかもな」と何かを悟った気持ちになったこともあります。

クリニックに行っても、精神科医とは名ばかりのどこの馬の骨かも知らないおじさんに自分の近況をひとしきり話した後に、
「はい、これ」と漢方を渡されるのみで一向に回復せず、

今になれば、「逃げればいいだろ」と思うのですが、
当時は逃げるという選択肢が思い浮かばずにただただグッとこらえるだけの日々。(親に私立に行かせてもらっているし、途中でやめるわけには…)と思い、自分が堪えればみんな万歳なんだと思っていました。

そんな僕ですが、今はさほど悩むことはなくなりました。

今でも毎日、嫌なことはありますし、落ち込むことはありますが、
「だから何だってんだ」って話に落ち着くようになりました。
昔は同級生のSNSのキラキラに辟易することが多かったですが、
今は「これの何がおもしれえんだ?愉快な人たちだなー」と思っています。

SNSなんて虚像に過ぎないので、つまらなかったら辞めたらいいという考えになっています。最近ではもはや「ガラケーに戻そうかな」とすら思っています。LINEはやっておかないとほかの人に迷惑をかけてしまうのでやりますが、Twitterとかインスタは自己満足にすぎないので、別にやる必要もないのかなと。LINEもPCでできるようになったし。

精神を良好に保つためには、社会と自分自身を完全に分断したらいいんじゃないかと思ったりもします。僕らは政治家ではないので大事なのは「社会に溶け込むことではなくて、自分が自分でいることだと思います。」
それと社会のためにすることは「天気の話をしたり、気温の話をしてニコニコする」くらいで十分な気がします。

「今日は寒いですね~(^^♪」くらいで。それ以上は必要ない気がします。
僕もにこにこするのは苦手ですが、マスクのおかげでだいぶマシになった気がします

今では、嫌なことがあっても「そりゃ人生だからそんなこともあるだろ」って思いますし、
めちゃくちゃつらいことがあったら「じゃあ辞めちゃえば?長いスパンで見て、ここで辞めることがそんな問題かね?」って思います。

僕がこうやって回復したのには、
本や映画に触れるようになり、文章を書くようになったからです。
今こうして文章を書いているのも精神安定のためかもしれないです。

結婚しようがしまいが、就職しようがしまいが、恋愛しようがしまいが、
「勝手にしろや!!!ほんでな、勝手にさせろや!!!!」
「何も言わないから何も言ってくんな、クソ野郎がよ!!」

そうして今日もやっていきます






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