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夜の蟷嫏、泡沫を刎ねる

微かな花の香り。風の音、草木のざわめきの他に、何も聞こえない場所。

良く晴れた午後の昼下がり、空に浮かぶような高原の丘の上、少女は童話の主人公のお姫様のような姿で、草原に寝そべって青空を眺める。

温かなお日様が照らす原野の斜面を、雲の影が連なって滑り行けば、視界の遥か向こうで、風車がのんびりと回り続けていた。

澄んだ空気。何者にも邪魔されない、私だけの満ち足りた世界。

私は、それが幻であることを知っている。

空の彼方で一際大きく風がうねり、笛のように音が高鳴った。私は草原から身を起こし、青天に渦巻く積乱雲を見た。草花を靡かせ、土埃を巻き上げて強風が吹き抜ける。私は夢の終わりの予感に身を委ね、目を閉じた。

――――――――――

暗闇の中、脳を心地よく突き抜ける乾いた風の音は、やがて陰鬱に無機物を打つ雨音へ取って代わる。雨打つ路地裏。事務服の上に丈の長いパーカーを羽織った私は、数人の男たちだった物をナイフで転がし、腑分けしていた。

知っている。

私は童話の主人公のお姫様じゃない。

あんな夢、見る方が悪い。

涼やかな風の音は、まるで呪いのように耳の奥にへばりついている。幻想の終わりと現実の始まり、そのギャップはいつも、私に吐き気を催させる。

「……だ、誰だ!?」

見咎める声。水溜まりを跳ねる足音。私は振り返り、何者かに拳銃を構えて引き金を弾く。倒れた。私は銃を仕舞い、薄っぺらい財布から数枚の紙幣を抜き、投げ捨てる。これっぽっちで奴隷主気取りとは笑わせる。

ひた……足音を殺した僅かな水音で、私は我に返った。次の瞬間、ライトの閃光が視界を真っ白に染める。カチャリ、銃を構える金属音。

「見つけたぞ、“カマキリ女”! 今日という今日は逃がさない!」

男にしては高い声。意志の強い、澄んで真っ直ぐな声。私は無意識に苦虫を噛み潰した顔で、義眼の左目の視界を切り替えた。警官。一人。背後に迫る男たち。私は拳銃を抜き放つ。


【続く】

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