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神さまへ出来ることは

神さまがいるとして。
私たちにできることは、実は「叶えて下さい〜!!」って必死に語りかけることではなく。

「こんなのどうでしょう?」とお伺いをたてることなんだ…


と、最近思う。


「小さい頃は神様がいて 不思議に夢を叶えてくれた」
とは、まさにそのことかもしれない。松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」からの一節。

私らが思い描く方法で、いつも願いが叶うわけではないってこと。
それこそ、不思議に。




今日は久しぶりに母と会ってきた。
実家周りに行ったらしく(母は訳あって、今は故郷を出ている)、りんごのお土産を渡したいから…とのことでサイゼリヤでお昼。


母はもうとうに還暦を過ぎてるんだけど。
生活がすこしでも良くなるようにって、スーパーの惣菜作りのパートをやってたんだよね。

でも、体力の限界だからってやめることにしたらしい。


話は変わるけど。
それと同時期に、人から「頭が硬い」ってことを言われたらしいんだよね、母が。

それは悪口とかではなく、指摘というか。
当人は「自分で気づかなかった」っていってた。



その二つが重なって何が起きたのかっていうとね。
仕事を辞めるのに、定期的な収入が入るようになったのよ。


使ってない実家周辺にある家を借家にして。
そして、たまたま長期で預けていたお金が為替のおかげで、とても良い感じになったみたいなの。



多分。

「幸せに暮らすには、お金が必要で。そのためには働かないといけない」 
って硬さが、抜けたからではないかなと思うんだよね。

まあ、実際は少し前後するところがあるんだけど…
なんていうかね、これも神様が不思議に叶えてくれたことではないかなって。


私らがさ。
神様に「これお願い」って縋りついても何も意味はなくて。
その代わり、神様に届いたことが必要だったら、すんなり叶えてくれるんじゃないかなって思うんだよね。

そして、

「今叶えてはならないこと」を祈ってるとき。
きっとどんなことをしても、願いは叶わないのではないのかなってね。

きっと、そのときには「代わりにやらないといけないこと」があって、それをクリアするように言われるのではないのかなってさ。


だから、必要以上に怖がらない。
きっと、うまくいく…失敗のように見えることも、前に進むための大切な一歩、とね。


そしたら、いろんなことが怖くなくなるなって。

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