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「弾いてみた」系動画のコンテンツ一極化と評価の画一化によるグルーヴの衰退

もうだいぶ前のことだが、ダンスグループのDA PUMPが六月にニューシングル「U.S.A.」を発表し、ずいぶん話題になった。グループで初めてのユーロビート進行曲に、この平成の終わりという時期にDA PUMPが挑戦するというのは、なんだかオシャレというか、「ああ、一時代が終わるんだなあ」という思いを喚起させる。

この曲のサビでは、メインボーカルのISSAも周りのメンバーとシンクロして、「C`mon baby America!」と歌いながらシュートダンスをする。足とグッドの形にした手を同時に出す動きは、DA PUMPメンバー自身から「いいねダンス」と呼ばれ、Twitterでは「#いいねダンス」のタグをつけて、U.S.A.ダンスに挑戦するタレント、YouTuber、若い人の動画が多くみられた。(ちなみに僕は「だけれど僕らは地球人~」と歌っている時の振り付けのほうが好きなので、そっちのほうが見たかった、とは言わないでおこう。)

私見によれば、この「いいねダンス」という呼び方は、ほぼ間違いなくTwitterやインスタグラムなどの「いいね!」機能を意識してのことだろう。ライジングプロダクションさん、違ったらごめんなさい。

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さて、昨今この「いいね!」の数がインターネット上の社会的な立場、あるいはステータスを可視化する中、僕はあることを懸念している。それは、「いいね!」をたくさんもらうことに捉われて、自分が本当に好きなことを、インターネット上で「私はこれが好き」と言いづらくなってしまっているのではないかという事だ。もっと突っ込んで言えば、多様な価値観やコンテンツを生成することができると期待されていたネットにおいて、価値観とコンテンツの一極化が起こってしまっているのではないかという事である。

そして、これは僕自身がベーシストであることもそう考える理由のひとつなのだが、それがニコニコ動画やYouTube、Twitterの短い動画などの、「弾いてみた」系の動画投稿において顕著であると考えられる。本稿では、僕自身がほかのコンテンツに比べれば知っている「弾いてみた」系の動画から、コンテンツの一極化と評価基準の画一化について考えていきたい。インターネットコンテンツ全体の網羅的な研究・調査ではないことをあらかじめお断りしておく。

お品書き

1.コンテンツの一極化
-1.1 「弾いてみた」系動画にみられるボカロ・アニソン人気
-1.2 ドンシャリサウンド
-1.3 価値観の転換
-1.4 電子端末普及と動画メディア
-1.5 ボカロ曲と動画メディアの親和性
-1.6 弾いてみた系動画に求められる新たな価値と一極化

2.プレイ評価の画一化
-2.1 グルーヴ、リズム感という価値と「文化」の衰退
-2.2 技巧派閥とグルーヴ派閥間の”闘争”
-2.3 評価基準画一化
-2.4 初心者は演奏動画を見て何を思うか
-2.5 音楽のパラダイムシフト

3.まとめ


1. コンテンツの一極化

1.1 「弾いてみた」系動画にみられるボカロ・アニソン人気

この項を始める前にあらかじめ言っておきたいのは、僕はボカロが好きだし、アニソンも好きだということである。ボカロやアニソンをよく思っていないとかいう事はないし、自分が聴く曲の中では結構な割合を占めている。ボカロの曲でいうと、少し古いが初音ミクのストロボナイツが好きで、アニソンをうたっているバンドだと、ベガスやlmc、MUCC、Aqua Timezをよく聴いている。ちなみに僕がエレキベースを始めたのは(今はあまり弾いていないが…)、ほかでもないベガスのRave up tonightという曲のイントロのスラップベースを聴いて、めちゃくちゃかっこいいと思ったからである。その曲が好きすぎて、自分のベースにRaveというクッソださい名前をつけるほどである。

話がそれたが、僕はベーシストということもあって、YouTubeなどでベースの演奏動画をよく検索にかける。ぼーっとしながら「上手い人いないかなあー」と思って探していると、ある時気がついたことがある。それは、弾いてみた系の動画には圧倒的にボカロやアニソンの曲が多いという事である。多いというよりかは、ボカロなどの曲の弾いてみた動画の再生回数が多いため、検索上位にヒットしやすいというべきか。

再確認しておくが、僕はアニソンやボカロは好きだし、批判する気は毛頭ない。それでも、弾いてみた動画を見てみると、明らかにボカロとアニソンの曲がヒットしやすい、つまり、バスりやすいことに思い至る。では、なぜボカロ/アニソンの弾いてみた系の動画はバズりやすいのだろうか?それを明らかにするにはまず、バンドサウンドの価値観の転換について見ていかなければならない。

1.2 ドンシャリサウンド

とりあえず、僕自身がプレイヤーであるためよく知っているエレキベースに限定して話を進める。最近のバンド界隈でいうと、「ドンシャリ」というサウンドが流行りであることは、バンド音楽をやっている人間なら誰しもが知っていることであろう。ドンシャリというのは、中音域をカットして、高音域と低音域をブースト(その帯域の音を上げる)した類の音をさす。

ドンシャリサウンドが今のバンドシーンでウケる理由は色々考えられる。最近はやりのベーステクニックであるスラップにドンシャリが合うから、8ビートでカッチリとした構成で曲が進んでいくので、それにあわせてミドルをいい感じに絞って音の輪郭がぼやけないようにしたからなど、いろいろだ。スラップベースとはこの動画のようなプレイングだ。

https://twitter.com/RENCON3165/status/1048134368848310272

ちなみに、私見によればドンシャリはミッドをブーストした音よりも速弾きによくマッチしているように思える。(こんな事を言うとBilly Sheehanに怒られるかもしれないが、彼がこの記事を見ているわけはないのでいいだろう。)速弾きにマッチするので、スリーフィンガーやピック速弾きなどのテクニックの需要も高まる。

実は、スラップ、速弾きなどの高度とされるテクニックがバンドで必要とされる機会は、ベーシストにとっては幸か不幸かそれほど多くはなかった。というのも、エレキベースの役割というのは本来、ライブ中のバンドのリズム、グルーヴを縁の下で支えるという事であって、バンドサウンドの前面に出てきて主張するような楽器ではないからである。スラップがバンドサウンドに取り入れられ知名度があがる以前は、ライブでのドラムとのリズムの”戦わせ方”で、どれだけノリのいいグルーヴを出せるかが、ベーシストの実力を決める物差しであった。

1.3 価値観の転換

しかし、次第にバンドサウンドの中ではドンシャリの需要が高まっていき、スラップフレーズが円盤でもよく聴かれるようになってくる。何よりも、スラップベース自体がカッコいいから、リスナーからのウケがいいのだ。

そうなってくると、ベーシストの腕前の基準が、グルーヴから「技巧」へとだんだん変化していく。(括弧書きにしたのは、一応グルーヴもれっきとした技巧の一つだからである。)これが、バンドサウンドの中でのエレキベースの価値観の転換である。グルーヴからテクニカルな動きに価値観が遷移していく。

1.4 電子端末普及と動画メディア

もう一つ、価値観の転換の要因としてここで付け加えなければいけないのが、動画投稿メディアの登場である。YouTube、ニコニコ、Twitterに短めの動画を投稿するというのは、スマートフォンやパソコンなどの電子端末の普及がなければありえなかった事である。

実は、このメディア群の登場が、テクニックの価値が高まっていくことに拍車をかけた。というのも、いくらスラップやスリーフィンガー、ピックでの速弾きなどの需要が高まっても、それをライブで実際に上手くやれる人というのはほとんどいないからだ。

だが、動画であれば何度でも撮りなおすことができるので、上手くいったテイクを動画としてあげれば良いわけだ。こうして、ライブに比べればソーシャルメディアに投稿される弾いてみた系の動画のプレイのほうが、おしなべてテクニカルになっていくといえる。

1.5 ボカロ曲と動画メディアの親和性

また、ボカロ曲それ自体が、弾いてみた系動画と相性が良いと言う事もここで言っておこう。

ボーカロイドとは端的にいえば、機械音声を利用して人間の声に似せたものをボーカルとして歌わせる技術である。聴いたことが一度でもある人ならわかるだろうが、ボーカロイドの声は電子系の音と非常に相性が良いのである。近未来的な世界観を表現するのに、ボカロ、電子音、速いテンポの組み合わせはこの上なく良く合う。

しかし、ボーカロイドをバンドで、しかもライブでやってみようとなるとなかなか難しいのが実際である。なぜなら、まず電子音を再現するためにキーボードあるいはエレクトーンなどのメンバーが必要になるからだ。それに加えて、人間の声では初音ミクをはじめ、鏡音リン・レン、IAなどの独特の感じなどを出すのは難しい。

だから、ボカロ曲がどこでプレイされるようになるかといえば、原曲の電子的、近未来的な雰囲気をそのまま残しつつ、パンニング(ステレオサウンドで音を左右に振り分けること)を多少いじって録音すればそれっぽくなる弾いてみた系動画で散見されるのである。

ちなみに、アニメソングもだいたい同じ理由からで、音数が多いことに加えて、ライブでのウケがあまり良くない(話題性に欠ける)からライブではあまり演奏されない。そもそもコピー曲をライブでやること自体が割合でいえば少なく、アニメソングとなると、放映が終了してしまったアニメの曲は話題性に欠けるため好まれない。だから、より多くの人に見られる可能性があるソーシャルメディア上でアニソンの演奏動画が見られるのだと考えられる。

1.6 弾いてみた系動画に求められる新たな付加価値と一極化

しかし、いくらなんでも曲の楽器部分をそのまま耳コピして、それをパンニングでいい塩梅(あんばい)にリミックスしたものを動画としてネットに送り出しても、なかなかバズりにくいというのが実際のところだ。

だから、弾いてみた系動画には新しいレベルが要求されるようになった。それが上にも述べたような、ベースでいうならスラップ、和音、スリーフィンガー、ギターでいうなら速弾き、タッピング、ドラムでいえばツーバスなどの高度な技術である。それらのテクニックへの需要の高まりと電子端末の普及の時期が重なったことが(重なったというよりかは少し時期がずれてきたからなおさら効果があったのかも)、ボカロ曲のコピー演奏で高度なテクニックが多くみられるようになる事に繋がったのである。

このような流れで、インターネット上の動画メディアにおける弾いてみた動画では、「ライブでやることが少ない曲がプレイされ、なおかつ高度なテクニックが求められるようになり、結果としてその選曲がバズるようになった」というのが僕の考えだ。

バズったプレイ動画は、インターネットメディア上では評価がそのまま「いいね!」に可視化されるため、高評価であることがわかりやすいコンテンツに人は集まるようになる。

なぜなら、人は人気があるものであればクオリティーが高いと容易に信じ込むことができるし(1000いいねぐらいかそれ以上バズっている弾いてみた動画の場合は、”テクニック”だけに関して言えば質が高いと言えるのは間違いない)、逆にあまりバズっていないコンテンツに対しては、周りからの共感が得られにくいため、わざわざそれが好きだとツイートなどで喧伝(けんでん)したりはしないからだ。こうして、コンテンツの一極化と、それを評価する人々が収束化していく=評価基準が画一化していく事態が生じると考えられる。

2.プレイ評価の画一化

さて、ここまでコンテンツの一極化とそれを評価する人々の収束化の流れを「弾いてみた系動画」を題材にして述べてきた。ここからが先が、僕がこの記事を読む人に伝えていきたい部分だ。

2.1 グルーヴ、リズム感という価値と「文化」の衰退

高度なテクニックを覚えるというのは、それ自体はいいことであるのは疑いようがない。また、それを演奏動画で巧みに披露し、見る人を感動させるのも良いことだ。しかし、僕が懸念しているのは、高度なテクニックのすごさというものが余りにも分かりやすいため、それ以外のプレイングの価値観が相対的に下がってしまっているのではないかということである。

具体的にいえば、弾いてみた系動画の演奏者には、あまりしっかりとしたグルーヴ感覚が求められない。もっとはっきり言ってしまえば、その能力が備わっていない人が非常に多いのである。もちろん、高度なテクニックを用いながら、グルーヴを保てる人というのはプロアマ問わず確かにいる。今のプロのベーシストならkenkenやひなっち(日向秀和)、昔のバンドで言えば元カシオペアの桜井氏や鳴瀬喜博氏、聖飢魔Ⅱのゼノン石川和尚、動画投稿をしている人の中ではイタリア人のDavi504氏や、日本ではTMMK氏、葛城京太郎氏も、高度なテクニックを使いながらしっかりグルーヴを保っている。(ほかにもたくさん本当にたくさんいるが、これ以上あげていこうとするとキリがないのでやめておく)

だが、演奏動画でスラップや速弾きなどを披露する人たち(特に若い演奏者の方々)の中には、明らかにリズムにあっていないものなどが多く散見されるといえる。別に、僕はその動画に対してなんらかの対価を払って見ているわけではないし、あまり言いすぎるのも失礼が過ぎるというものだ。しかし、そうはいっても演奏動画においてグルーヴを重視しないプレイヤーが増えているのは事実である。グルーヴという”文化”が演奏動画というコンテンツにおいて失われていくのである。

そういえば、オカモトズのハマオカモトさんがTwitterで、「動画越しにグルーヴは伝わってこないんだから演奏動画を出したって意味がない」みたいなことを言って去年ベーシスト界隈ではプチ炎上したが、僕は動画越しでもグルーヴは十分に伝わってくると考えている。まあ、セッションを中心にグルーヴについてずっと考えてきたハマさんなので、言ってることはわからないでもない。

2.2 技巧派閥とグルーヴ派閥間の”闘争”

これは僕がベースをあまり弾かなくなってしまった理由の一つなのだが、Twitterのベーシスト界隈というのは荒れやすい。これは、僕がずっと前に使っていたTwitterアカウントで、ベーシストであれば無差別にフォローしてしまっていたのも悪いのだが、それを加味してもなかなか荒れやすい界隈だといえる。

ベーシスト界隈が荒れる理由のひとつに、若いベーシスト世代の「技巧派閥」と、シニアもしくは“ベテラン”世代の「グルーヴ派閥」の間の“闘争”ともいうべきものがある。

大体の場合において、長い間ベーシストをやっているベテラン世代のプレイヤーの一部の人が、「最近の若い子たちは手癖テクニックのレベルをあげようとしてばっかりで、リズムについて考えてないなあ」みたいなことを、若い人の演奏動画に対して言うことから始まると僕は考えているのだが、逆に若い人がオジサマ世代の言うことに過敏に反応しすぎて荒れることもあるので、鶏が先か卵が先かみたいな問題なのでこれ以上は掘り下げない。

ひとつ言っておきたいのは、この両派閥の間では歩み寄りの努力があまり見られないということだ。まあ、若い世代でグルーヴについて理解を示そうとしている人が、わざわざそれに対して賛同ツイートをしたりはしないだろうし(面倒ごとに巻き込まれたくはないから)、逆の場合もまた然りであろう。だから喧嘩口上のツイートばかりが目立ってしまうのだ。

2.3 評価基準画一化

グルーヴのすごさというのは、ベースやギターを弾いたことがない人、ドラムをやったことがない人、もっといえばバンドをやった事がない人にとってはかなり分かりづらい。それに対して、スラップやタッピング、速弾きは、動画でもライブでも腕をよく動かすので、ビジュアルですごさがわかりやすい。

だから、評価基準の画一化がはじまる。テクニックとグルーヴの間に価値観としての距離が生じてくる。本来は両立することが可能であったはずの価値観が分離していくのである。高度なテクニックが使われていなければ、凄いとは思われなくなってきてしまったのだ。

2.4 初心者は演奏動画を見て何を思うか

僕が一番に懸念していることーそれは高校生・大学生になって軽音楽を始める人たち、あるいは社会人になってから趣味でバンドをはじめた人たちが、自分がやる楽器の本来の役割を間違ったとらえ方をしてしまうのではないかということである。

高校生になってバンドを始めて、バンド音楽にハマっていく。今の時代であれば高校生は誰もがスマホを持っているので、動画を見て弾き方を参考にしたりする。その動画の中でかっこいいテクニックでプレイしている人がいたら、それを真似したくなるのが当然の性分ではないだろうか。しかし、実際にバンドでそんなテクニックをやろうと思ったら、リズムはズレズレ、おまけにギターやボーカルの担当音域を”侵害”するし、バンドメンバーに嫌われる。これは、僕が高校の時に軽音部だった頃の実体験である。ギターやドラムでも無理にフィルやオカズをいれようとしたら、バンドのサウンドとマッチしなくなるだろう。

ギターならコードと中音域の音色、ベースなら低音域でボトムをきかせバンドのグルーヴを支える、ドラムならバンド全体のリズム、ボーカルは言わずもがなである。本来の楽器の役割を忘れてしまっては、バンド音楽をやること、ライブをやることの醍醐味が味わえなくなってしまう。もちろん、バンドをやっていないという人が演奏動画の中でテクニックを極めていきたいと思っているのなら、それは結構なことである。問題はそれをみたビギナークラスの人たちが、それのみが本来あるべき演奏の姿だと思い込んでしまうことなのである。

2.5 音楽のパラダイムシフト

だが、音楽とは明確にこうである、という定義なんてものはないし、そもそも価値観というものはその時代のニーズに合わせて変遷していくものである。

エレキベースでいうと、最初のパラダイムシフトを起こしたのはジャコパストリアスであったと思われる。彼はweather reaportというインストバンドにベーシストとして加入し、エレキベースという楽器の概念そのものを変えた。彼が世に出る前はベースという楽器はほとんど音楽シーンにも使われず、楽器としての認知度すら低かった。しかし、ジャコの登場によって、エレキベースという楽器は、バンドサウンドの中で市民権を獲得したのである。

それ以来、様々なパラダイム(流行)が登場したが、グルーヴとテクニックというはっきりとした二項対立でのシフトが生じようとしているのは初めてではないだろうか。いや、これは必ずしも文章に起こしてあげつらう事態ではないのかもしれない。プロのバンドでやっていけてる人で、グルーヴが全くないバンドは今のところそれほど見受けられないからだ。ちなみに、坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏という、音楽にめちゃくちゃ造詣が深い三人がやっていたイエローマジックオーケストラは、一時期「グルーヴのない音楽」をあえて追求し始めたのだが、最終的にはやめている。グルーヴをバンドで生み出すこと自体がまず大変なのに、グルーヴのない音楽をやろうなんて贅沢な話だと僕には思えてしまう。

まあ、音楽の価値観というのは常に変化していくものだし、プロにおいては従来の価値観が損なわれていく状況はまだ見られないため、それほど気にする必要はないのかもしれない。

しかし、「音を楽しむ」と書いて音楽と読むことを顧みれば、価値観というのは「楽しみ方」に翻訳することができると言える。その楽しみ方の、いくつかあるうちでも大きな割合を占める「グルーヴ」が、若い人たちの間で重視されなくなっているのは、危機というよりかは悲しむべき事態だと僕は思っている。いや、もしかしたらグルーヴだとかテクニックだとかいう楽しみ方以外の、すでに音楽の世界から損なわれた方法もあったのかもしれない。それについては僕自身はもう知る由がないことなので、ここではこれ以上は突き詰めないことにしておく。

3 まとめ

ともあれ、グルーヴとテクニックの二つの価値観が折り合い共生しうることは、上述したプロ・セミプロのプレイヤーたちの演奏を見れば間違いない。「進歩史観を採用しているから」という理由で僕はヘーゲルが好きではないのだが、ヘーゲル風の言い方をすれば、グルーヴとテクニックはアウフヘーベン=止揚する(双方の効用を最大限に発揮しながら新しい価値・世界観にたどりつく)ことができるはずである。

もちろん、高度なテクニックを使いながらきちんとしたリズムでビートを刻むというのは一筋縄ではいかないし、最初は8ビートで簡単なフレーズから、メトロノームに合わせて練習していくしかないのだと思われる。大変な努力が必要だし、動画というメディアではやはり凄さが分かりやすいテクニカル演奏がバズるので、それをやりたくなってしまう。だが、音楽の楽しみ方というのは人それぞれだとは思うが、それでもいろんな楽しみ方があったほうがいいんじゃないかと僕は思っている。

聴くだけの場合であっても、グルーヴの良さが分かっていれば、princess princessの渡辺敦子さんのグルーヴ感や、聖飢魔Ⅱの石川和尚の単純な指弾き、布袋寅泰のエッジの効いたカッティングの良さがわかるはずである。というか、グルーヴについて何も知っていなくでも、なんとなく彼らの良さはわかるんじゃないだろうか。その「なんとなくいい感じ」というのが、実はグルーヴなのかもれしれないね、と良い感じのことを言ったところで、本稿ではそろそろ筆をおきたいと思う。

ちなみに僕はいま20歳なので、ベーシストの中でいえば若い世代に入るはずだが、グルーヴについて追究していくのはすごく楽しいと思えるし、最近はあまり弾いていなかったのだが、この記事を書いているうちに沸々とまた、ベースをやりたい気持ちが出てきた。

ながながと時代錯誤ともとれるような音楽に対する考え方を吐露してしまったが、ここまでお付き合いしてくれた方はかなり少ないだろうとは思われるが、感謝を申し上げたい。

2018/10/5 青木涼馬

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嬉しさの舞が、夜まで続きそうであります。
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某大学三年。読書記憶の整理と本の紹介を兼ねて。※ハッシュタグにはアウトラインを見ただけで内容が分かる単語を選んでいます、アイコンは知り合いの絵描きの方が描いてくれました。

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