あかねの(ための)一首評 25


もうこの際男やったらあんたでもあんたんとこのポチでもええわ

谷じゃこ(『ヒット・エンド・パレード』より)


 シンプルな味わいの歌だ。関西弁が効いている。この味は関西弁じゃないと出せない。

 …話が終わってしまった。なんというか軽妙な歌だ。オチの面白さを際立たすためにシンプルなのだろうし、57調に則っていて読み下しやすい。最初の6音も導入としてのタメみたいになってて意味がある。総じて、平易ながら高度な歌であると言える。

 というのはテクニックの話で、ぼくはこの歌のどこに惹かれたのだろう。わりとむかしにTwitterのタイムラインで一度見たことがあって、歌集で久しぶりに再開して「あぁ!あったあった」みたいになった。

 こういって伝わるかわからないんだけど、短歌を作るとき”31音全部一瞬でできる”パターンがある。経験的にそういう短歌はいい短歌であることが多い。たぶんだけど、扱おうとしている主題に対して、その表現が必要十分であるときに起きるんだと思う。

 ぼくにはこの引用歌は、31音完成した状態でぽろっと出てきた歌に見える。そういう歌は読む側にとっても覚えやすい。ぼくがむかしにちらっと見ただけのこの歌を覚えていたのはたぶんそんな理由だ。

 だから惹かれるんだろうか? それってつまり、ぼくは”出来のいい”歌が好きなのかという話だ。この歌は正直、ぼくにとって共感できるタイプの歌ではない。でも覚えてた。やはりそれがいい短歌ってことなのか?

* * *

 内容の話をしよう。

 言い切ることはできないけど、この歌は台詞だ。独白や文章ではない。この場面には女と男がふたりいて、女が男にこの台詞を喋ったのだと考えるのは自然に思える。

 そうしたシーンを想像することは飛躍であろうか。わからない。わからないが、この女と男の関係性を想像することは楽しい。

 ぼくはすごく苦手とするんだけど、型にはまったコミュニケーションというのを好む人たちが存在する。典型はこの”ボケとツッコミ”だ。それは、なんというか、舞台みたいなもので、日常のあれやこれやはいったん棚に上げて、いまはこのコミュニケーションを楽しもう、みたいな態度である、というふうに理解している。

 失恋を笑いに昇華するというのは、ボケとツッコミという舞台の題材としてこれ以上はない。そこにあるのは相方への比類なき信頼である。このセリフをやり取りできるふたりがぼくはすごく羨ましい。

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