「同人誌の前置きに『最後はハッピーエンドです!』って書く作家が地雷」という地雷についての考察

この記事の内容は妄想です。実在の人物・団体・作品とは一切関係ありません

人の数だけ地雷はある

しょぼいMMORPGのコピーみたいだな

地雷、いわゆる「物語作品におけるシチュエーションや描写の中で個人の感情として極端に嫌悪感・不快感を覚えるもの」の種類とは枚挙に暇がありません。

わかりやすいものでBLが地雷、夢が地雷、女体化が地雷、リバが地雷、逆カプは滅べ、固定厨は選民主義、あたりを書いておけば誰かしらの何かしらの逆鱗には触れるかと思います。

でもまあ、こういう分類づけしやすい、同様の地雷を抱えた人が大勢いる地雷のみが地雷な人というのは、案外少ないかも知れません。

人間の数だけ好き嫌いはあります。それすなわち、人間の数だけ地雷もあるということ。

既に(オタク界隈では)定義づけされた、ある意味市民権を得ている地雷が全てではありません。

世の中には、未だ名前のついていない、ごく少数派な、わかりにくい、ひょっとしたら本人すら気づいていない地雷というのがあるのです。

一例として、「Aが大事にとっておいたプリンをBが勝手に食べることでふたりの間で喧嘩が勃発し、物語が始まる」という展開が地雷だ、という人がいるとかいないとか聞いたことがあります。

オタク心は、ひいては人間の心の機微がいかに難儀なものであるかがよくわかりますね。

同人誌の前置きに「最後はハッピーエンドです!」って書く作家が地雷

ここからようやくオレの話が始まります。前置き長くてすまんな

まあ見出しがすべてを語っていると言えなくもないのですが、このわかりにくく、他人から見たら「人の思想にケチつけるとか差別主義者ですか?」みたいな地雷がいかにして形成されたものかを以下に述べます。

まず、私はハッピーエンドしか受け付けないオタク、いわゆるハピエン厨ではありません。
ましてやバドエン厨でもないしメリバ厨でもない、別に物語がどう終わろうがさほどこだわりのないオタクです。

しかしまあ、バッドエンドが地雷なオタクへの配慮として、作家側で「この話は途中つらい展開もあるけど最終的にはハッピーに終わるよ」ということを読み手に伝えるために、前述の前置きが書かれることがあります。

しかし、そうして「ハッピーエンドです」と宣言された割に、主人公の半径3メートルくらいの人間しか幸せになってなかったり、肝心の問題は解決していなかったり、「大団円」と称するには「ん?」と思うエンディングだった作品にことごとく出会った時期というのがあるのです。

別に作家がひとりでハッピーエンドだと思っている分には何の文句もないのですが、「ハッピーエンドです」と宣言されることで私の中の「物語の結末の幸福度に対しての期待値」が爆上がりし、結果、宣言がなかったなら「いい話だったなー」で終わっていたものが、なんとも言えない引っかかりを覚えたまま終わる、ということになるのです。

で、まあ人間、ネガティブな記憶はしつこく残り続けるものですので、こういう例に5回くらいぶちあたると学習するのです。「最後はハッピーエンドです!」という前置きのある作品は読むまい、ひいては作家ごと避けよう、と。

まだまだあるよ 名前のない地雷

このようなめんどくさい地雷を私はもうひとつ抱えています。といってもこっちはたぶん理解してくれる人(腐女子)はそこそこいるかもしれない

女が当て馬として登場するBL(作家)が地雷

BLにおいて作家への信頼性は最重要事項だと思っています。作家への信頼性、それすなわち解釈の一致。

女をBLの当て馬として登場させる作家とは解釈が合わないので作家ごと避ける、この判断の賢明さを褒められこそすれ非難される謂れは皆無。
Q.E.D.

特に商業BLにおいて、この当て馬として女を登場させる率はやたら高い気がするんですけどこれは私の引きが悪いだけですかね…特にエロ偏重でない作品だと倍率ドン

あとなんか当て馬になる女性キャラってやたら性格悪くありません? これが男だったらのちのち別の男をあてがわれてスピンオフ作品ができるのにな…

つまるところ、私にとっての地雷とは

ここまで挙げた例からなんとなく察した方もいるかも知れませんが、私が挙げた地雷って要するに「価値観の不一致」なんですよね。

しかし、同人誌以外に目を向ければ、例えば一般商業向けに発行されている漫画なり小説なりにおいても、「最後はハッピーエンドです」みたいな紹介文を書かれている作品はまあなくはないですし、主人公カップルに対して当て馬が出てくる作品というのはそれなりの数があります。

でも、そういった作品に対して私が嫌悪感を持つかと言うと、必ずしもそうではない。まあないわけではないんですけど、地雷になりうる「要素」を持った作品に対して、ごく自然に、物語の展開として受け入れられるものと、そうでないものがある。

この違いは何かと考えて、とりあえずこんな結論に至りました。

「地雷」にならない作品は、「地雷」が物語の要素として昇華されている

わかりにくいな。もうちょっと噛み砕いて言うと、「物語が作者の感情に振り回されていない」のです。

物語というのは、多かれ少なかれ書き手の経験したことが反映されるものです。これは、小説家は自分が経験したことしか書けないとかいう意味ではありません。

しかし経験したことをそのまま、経験した自分自身の目を通して書いたものは、ただの日記とかわりありません。
架空の物語だからこそ人は登場人物に共感できるのです。作者の個人的な、私的な、聞いてもいないプライベートを垂れ流されても、それは人に見せるようなものではありません。ましてや商業をや。

ようするに私が「あっこの作家は外したわ」と判断するのは、自分の感情、思想を物語に引きずっていないかどうかです。
別に作家個人の思想信条にはさほど興味はありません。
ツイッターで右巻きなツイートしてようが、左巻きな団体の看板塔やってようが、作品が素晴らしければなんの文句もありようがない。

書き手の思想信条、倫理観、価値観、そういったものを読者に悟らせないのは作家として必須のスキルなんだろうなーと思います。
商業で初版数万部レベルの作家ならこれを持っていないということはないように思います。 まあ老害化とかあるけどさ

しかし同人では、言ってしまえば素人の趣味で書いているものですら、そういった「品質」は担保されません。
もちろん玉石混交の中から自分だけの光り輝く宝石を探す楽しみは、既製のジュエリーを買うよりよほど楽しいことです。

だからこそ、自分のとっての玉でないもの、つまりは「地雷」を踏むリスクはいつだってそこにある。

腐女子は地雷を踏むことで強くなるのだ。
死にかけることで強くなるサイヤ人のように。

行け!腐女子!
我らの推しカプを愛するために
戦え!腐女子!
すべての推しカプ本が手に入るその日まで

最後に古の2ちゃんの名言を載せて終わりとします。

自分の萌えは他人の萎え
他人の萎えは自分の萌え

地雷は避けるものであり憎むものではありません。 
自分の嗜好と同じように、他人の嗜好を尊重したいものですね。

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いっぱいちゅき♡
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情緒不安定な腐女子。 OL(おっさんずラブではない)しながらBL小説やエロいテキストを書いています 自サイト:https://skt-pnt.netlify.com/
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