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経歴【専門入学から脱サラ学生の新卒就活について】

※画像は大原簿記校内、当時は息抜きに友人と卓球したりしてました
>前回記事参照
高卒→工場勤務(2年)→事務系の専門学校(2年)
コンサル会社総務部(2年9ヶ月)→大手リラクゼーションサロン(10か月)→
人材系事務(4か月)→シーシャバー店員&セラピスト…と色々。
今回は太字部分、専門学校の生活まで書いてみます。(就職率は次で書きます)

かくして「大原簿記」に入学した私は、「経営ビジネス科 秘書事務コース」の中の2か月で日商簿記2級を取るコース(通称ツーツー)へと入る。
前回にも記載したが、私は入学後の試験で1点が足りず、振り分けられたコースは、「簿記が初めて、3級を必ず取る(通称ツースリー)」のコースに振り分けられた。

私は駄々こねた。脱サラまでして挑戦ができないのが嫌だったので、とにかく駄々こねて、ツーツーのコースへ振り分けてもらった。
が。私は頭がよくない。
ついていくのに必死で、基礎が固まらないまま、とにかく必死に勉強した。
当時、クラスで大体1人ぼっちで生活しており、居残りまでしていたが、もうとにかく絶望的に私は勉強できなかった。

人の手を借りよう。
私はもう超が付くほど、ほんとーーーーーに人と喋ることが苦手だった。
それは正直今でも変わらないのだが、その時ばかりは藁にすがる思いで人に勉強法を聞いたり、やり方がわからなければ質問した。
(1人だけ話す人はいて、当時恋人関係になったが、すぐに別れる)
→これについては恋愛関連で話すことがあれば話すことにします笑

周りも勉強がしたいとか、税理士を目指して入学している子が多く、聞いたら教えてくれるような環境でとても勉強がしやすかったです。
当時のスケジュールは9時授業開始~18時に授業終了、その後21時まで自主学習という12時間学校に缶詰め状態。
それでも仲間がいるとか、先生がケツ叩いてくれる環境で、1人で勉強できない私にはよかったと思っています。

そんな環境でしたが、入学2か月後の6月。
簿記2級の試験に私は2点足りず落ちました

駄々こねて入ったのに、結局足りず、自分の情けなさに本気で泣きました。
やっぱり、下のクラス(ツースリー)に入っておけば良かったのだろうか…と悩んで先生に相談したりと、かなり凹んでツースリーに編入したいと言ったこともありましたが、「あそこで駄々こねたんだろ」と叱られ、私はそのまま11月に向けて簿記1級の勉強へと入ります。

11月までも同じようなスケジュールで動いていましたが、私は模擬試験を何度も受ける中、「いや、1級は無理だなこれ」とあきらめてしまいます。
それくらい私には難しいと感じる試験でした。
それでも、何となく好きなところはあって、工業簿記の「原価計算」だけはやりきれる自信がありました。
なので、もう少し長く勉強できていれば頑張れたのかもしれないなあ…なんて今少し思います。

ちなみに11月の試験では2級は無事合格できました。
ただ、この辺りから2級の試験に1級の範囲が入るようになり、当時ツースリーの子たちが絶望していたのを思い出します。
そう考えると、私は駄々こねた甲斐があった…!!と心の中でガッツポーズしていました笑

日本ビジネス検定(通称大原検定)という、日商とは別の検定では、商業工業共に1級に合格できたので、それが生きたと思っています。
何というか、その時に初めて私は上を目指して勉強し続けることの意味を知った気がします。
今まで受験勉強も推薦だったり、努力するということをあまりしてこなかったので努力が実ったという経験が本当に嬉しかったです。

少し長くなってしまったので、次回に大原簿記の就職率+簿記検定後の学生生活について書いていきたいと思います。

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