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本年もよろしくお願いします。営業日変更のお知らせと、子育てについて思うこと。

こんばんは。皆さん、本年もよろしくお願いします。

今年から営業日が変わります。
毎週、土曜、日曜、月曜が営業日となります。
よろしくお願いします。

正月もあっという間に過ぎましたね。僕はひたすらのんびりと過ごしていました。明香と息子と散歩に出かけたり、庭でバトミントンをしたり、映画を観たり。
毎年12月はほぼ休みがないので、息子と正月をゆっくりと過ごせたのが何よりです。ただただ一緒にトランプしたり、UNOしたり相撲したり、そういう時間がかけがえのない時間です。

今年から小学生になると思うと、今まで家庭保育で6年間やってきたのが感慨深く、成長したなと思うのと同時に小学校へ通うのが寂しいなと思ったり。
きっと本人が一番、楽しみだったり不安だったり、色々な感情が渦巻いていると思います。僕としては、何が何でも小学校へ通ってほしいなんて、これっぽちも思ってません。と言うのも、個人的な思い出として小学校に限らず、学校に対してそれほど良い思い出がないからです。
先生にしても信頼できて好きになれる先生もいなかった。
偏った考えかもしれないけれど、無理して学校に合わせて行くよりは、店で手伝いをしたり、お客さんと触れ合ったりしている方が息子にとってはいいんじゃないかなって今は思ってます。でも分かんないですよね。行ってみて楽しくて仕方がないってなればそれはそれで良いと思うし。
何はともあれ、息子が息子らしく育っていける環境を整えていく事しか親には出来ないと思います。

昨日、今日と庭の薪をチェーンソーで切っていました。陽が当たる場所に置いてあった薪は乾いていて良い感じの状態なんだけど、陽陰にあった薪は腐っているのもありました。その時感じたのですが、人間も同じなんじゃないかと。
環境次第で一人一人の性格や、生命力や、感受性、といった様々な要素が作られていくのではと。ある人にとっては学校が陽が当たる様な場所で毎日が楽しくてしょうがないって場合もあり、ある人にとって学校は陽陰と感じる場所で毎日を過ごしていたら、気づかないうちに腐っていくかもしれない。

もちろん個人差があって当然なんだけど、なんせ日本の教育は前えならえ、横へならえの同調主義。僕が小、中学校と義務教育を受けていた当時、「生徒は一人一人に合った環境があり、そこを良く見極めて判断する」って先生はいなかったと記憶しています。だからそこにはあまり期待していません。
それより、自分の子供に合った環境の見極めを他人に任せるのがそもそもの間違い
なんじゃないかという気もします。

僕の周りには今のところ、6年間家庭保育でやってきた家族はいません。その時点で僕達はマイノリティな家族なんだけど、この6年間を思い返してみて本当に大変だった。それでも息子と一緒に過ごせた時間は宝物です。僕も明香も自分達の時間を犠牲にしてひたすらやってきた。ダライ・ラマ法王の言葉で「大いなる目標の達成には、大いなる犠牲がともなう」とあります。

営業日、開店前の朝食時。
いつもの風景

僕にとっての森喫茶、明香にとっての森喫茶、息子にとっての森喫茶、それぞれ違うと思います。それぞれのイメージが重なって森喫茶の基盤となっています。
そう思うと森喫茶というお店にとって、息子という存在は欠かせません。

高宕山のいつもの休憩場所にて

いつか独り立ちして、家を出ていくまでの貴重な時間を、これからも思う存分味わっていきたいと思います。