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中学生の頃(2)

前回のnoteを書いてすぐ、スクールに通う選手の保護者に中学校のバスケ部で僕より2個上の先輩がいる事を思い出し、スクール後に話しかけてみることに。(たぶんあまり話したことない先輩だったはず、、、間違えてる可能性あり。)

一連の流れを話していると、最近その代の同窓会が行われたようで僕と漢字は違う【南 豊】さんは元気にしておられるそうで中学校を卒業後はずっと最寄りの駅の焼き鳥屋さんで働いていたようです(地元では有名な焼き鳥屋だったので敬遠していましたが、正解でした。ちなみに今LDHに所属するDOBERMAN INFINITYのメンバーも通っていた焼き鳥屋。)

本題へ。

中学1年で分かったことは、この中学校では足が速くないとまともにボールも持たせてくれない。

ほぼ毎日ある5km走(体育館練習前に行われる校舎周りの競走で20位以内に入れれば学年関係なく体育館練習に参加できる下克上競争)に命をかけていました。

ミニバスの1つ上の代は近畿大会優勝メンバーでほぼ全員同じ中学校に上がったんですが、技術は完璧でしたが走るのが苦手で走力第一のチームで全員1年間ろくにボールを触れず腐ってしまいました。(残酷。。。)

ラッキーなことに毎朝毎晩走らないとご飯が出てこなかった小学生時代を過ごしていた私はギリギリ初回から20位に入っていました(お母さんありがとう。マジであの習慣がなかったら私は終わっていた。)が先輩による順位表の書き換えや、コースのショートカット(途中に校舎を曲がれば半分カットできる)が行われて理不尽に体育館に入れない日もありました。(バスケ部も不良の端くれが何人かいたので色んな圧がすごくありました。)

それならと毎日の走る距離やスピードを速めて、、、

15位より上に入ることがコンスタントにできるようになり、書き換えられないようになりました。(陸上部の遠距離選手の気分でした。。。)

可愛がってくれていた竹下先輩も書き換え常習犯の先輩に【ミナミはやめといたってくれ】と注意してくれていた事を後から聞きました。(竹下先輩も書き換え常習犯だったのことも後から聞きました、、、お父様が怖い系の方で同級生を始め先生も注意できなかった伝説の方。)

そんな竹下先輩や怖かった3年生も奈良県2位となり、近畿大会で兵庫代表の加古川中部に派手に負けて引退しました。(運動能力の高い185cmが3枚、パスセンス抜群のガード、2年生エースが1人のすごいチームでした。ガードのミキくんは県大会の1点差負けの大事な場面でハーフラインからバウンズのビハインドパスを決めて逆転勝ちしてました。。。恐ろしい。)

中学1年生を一言で表すと【理不尽に走る】でした。(その裏では高校生の彼女ができておませな中学校生活を送っていました。)

理不尽を人生の序盤から経験していたので多少のことは範囲内。(家系や家庭環境の話はまたいつか書きましょう、、、)

でも小学6年生から中学1年生って本当にわかりやすく環境が変わるから今思えば面白かったですね。

一番上から一番下に下がって、敬語も使わなくちゃいけなくて、変に大人扱いされて、、

でも体も心もまだ子供で。

無理やり大人にされてる感がMAXだったような気がします。

これが高校、大学、大人になっても続く。

その最初が中学1年生。

人とあまり関わらないようにしてるから自分自身は今少なくなりましたが、敬い続ける生活は生きずらいな思います。

素直に書きすぎてカッコがない文章でしたが思ったことを修正なく書きました。

次回は中学2年生とその頃感じた何かについて書きます。



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