傘に蛙も乙なもの
知らない間に「期待」している。人に、物に、出来事に、繰り返しやってくる日々に。
なんだか前に進めない、気分が乗らないというとき、大体はこうやって「何か」に期待している。そしてその期待は満たされずに終わっている。
でも、無意識に期待していたんだと、そう気が付くことが出来たらラクになる。期待を認識できたとき、自分の目の前にはただ「事実」があるだけで、それ以上でもそれ以下でもないことを改めて理解する。
事実はとても潔い。
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さすがに梅雨ということで、最近は雨ばかり。寝ても覚めてもお空はどんより曇っていて。壊れた雨樋から水がこぼれ落ちる音が耳に入ってきて、静かな瞬間がない。
雨だとヤギたちがお外に出られなくて、いつもより機嫌が悪い。晴れていれば問題なくできるトイレも、雨だと感覚が鈍ってしまうのか、小屋の寝床でド派手にやらかす。もちろんそれを片付けるのは私の役目。
のんびり草原で草を食んでいる姿を見るのが好きだから、小屋に居させてしまって申し訳ないなという気持ちにもなる。本当は晴れて欲しいよね、サラサラの土を被って砂浴びしたいだろうに。
連日の雨模様、そしてヤギに対する罪悪感を毎日抱いていると、なんだか悲しくなってきて、幸せな気持ちが芽生えづらくなった。梅雨に負けて、気持ちまで流れていってしまいそうだ。
そんな感じだったけど、今朝、ヤギ小屋から雨降る様子をひたすらに眺めてみた。
冬の時期からは想像できないくらい庭は緑であふれかえっている。いつそんなに生えたんだろう。植物って瞬く間に成長するよなあ。もう紫陽花やシロツメクサは終わりで、色あせてきた。代わりにツユクサが元気になってきた。
雨降る様子を見ていると、なんだか静かだなと思えた。
「雨降りは嫌だ」という心の雑音が大きいだけで、本当は、雨は静かなものなんだと感じた。
心のどこかで「明日は晴れて欲しい」ってずっと期待していた。梅雨だから一日で雨が止むことなんてないのに。それでも何となく期待していた。少しでもいいから止んでよ、お願いだって。
でも、随分と大きく図々しい期待をしていることに突然気が付いて、雨と一緒に過ごせばいいやってストンと腑に落ちた。すると気分が幾ばくかラクになれた。
不思議なもので、ヤギは飼い主の気持ちを察することがあるように思う。もしかしたら雨でヤギがいつもより荒々しく見えたのは、私の気持ちを察していたからなのかもしれない。もし私が、雨が止むことに期待しなくなって、雨を楽しめるようになったなら、ヤギも少しは幸せになるのだろうか。
どんな些細なことでも知らない間に期待して、それが自分を苦しめていることがある。
もう明日は晴れて欲しいだなんて期待しないようにしよう。ただ雨の中を生きていくこと。雨をしばらく眺めて思ったけれど、事実は想像より静かだし、優しいものだと思う。
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ヤギの大好物、三つ葉。私たちも時々食べる。雨の雫がたくさん付いて綺麗。こんな黄緑色が好き。新緑の色。
駐車場には水溜まりができた。ここだけ地面が凹んでいる。蛙が立てかけておいた傘の中や、家の壁際で雨宿りしていた。ただいま大量発生中。
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