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梅雨明けの草花摘み

傍から見たら「そんなことやって楽しいの?」と思われることでも、実際手を動かしてみると、思いのほか楽しいことがある。

身近な作業でも改めてきちんと丁寧に向き合ってみると、なるほど新たな発見がある。

大切なのは「全集中」すること。

さり気なく鬼滅ネタ(漫画全部読んじゃった)を入れてみたけれど、冗談ではなく真面目な話で。身近なことにとことん真正面から向き合ってみると、意外な充実感が得られる場合がある。

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梅雨明け、一気に夏らしくなり、毎日抜けるような青空だ。

梅雨時期に抱いていた鬱蒼とした気持ちも、ようやく退散していった(直近で弱気な記事を書いてしまい、方々からアドバイスやお声を頂き、ご心配おかけしました。人生の先輩方の偉大さを改めて感じました)

待ちに待った夏がやってきた嬉しさと、庭の緑や花々が綺麗なことが相まって、草花摘みをすることにした。一年ぶりに取り出した麦わら帽子を被って、夏の到来をかみしめる。

草花摘みについては、最近になってその魅力に気が付いたばかりの作業である。

草花摘みを始めた最初のきっかけは「うちに客人が来るときに、お花ぐらい飾ってあった方がいいよな」という単純な理由からだった。湖畔に家を買ってから、民泊のお客さんはもちろん、夫の知人、私の知人、地域の方など、なにかと来客数が増えた。

レストランやホテルにお花が飾ってあると嬉しいから、「自分もそうやって誰かをもてなすものだ」と思っている。そういえば実家に帰ると、必ず玄関先にお花が飾ってある。母にとって私は客人になるのだろうか。

なんでもない雑草でも、花瓶に収めてあげると立派な芸術になる。植物っておもしろい。植物の可憐さは人工物では表現できないものがある。

花瓶に飾るほか、押し花用にもたくさんの植物を採った。

ドクダミ、みつば、クローバー、ツユクサ、蓮の葉、蓮の花、バラ、あじさい……。名前の分からない草でも形が気に入れば、さくさく摘んでいく。

草花摘みの時間は地味なようでいて、実は非常に豊かなものである。移動距離も少ないし、庭をうろうろしているだけのようなのだけど、頭の中では色々なことを考えている。

「この花きのうは無かった」、「小さい花だけど形は綺麗だな」、「ヤギが好きなやつ」、「花弁に小さい虫がたかってる」、「柔らかくてちぎれそう」……。

いちいち一人でぶつくさ考えながら摘んでいる時間は、なんだか愛しい。これが全集中というやつか(いやそんなに簡単なことではないでしょう)。

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摘んだ植物をお盆にのせてみたら、標本みたいになった。

生物多様性とかって難しい言葉で表現したりするけれど、一つ一つの植物を採取していくと、その言葉の重みみたいなものを体感できるような気がする。いろいろな顔ぶれが庭にいることは賑やかで自由だ。

もっと暑くなっていったらどんな草花摘みの時間になって、どんな標本ができるだろう。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。