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2020年の抱負「自分らしく生きる」

まもなく2020年になります。2019年を振り返ることはもうしないことにしますが、私は年始の書き初めに「生」と書きました。これを達成するのはそうそう容易いことではありませんでした。それでも家族や、周りのみなさんのおかげで、生き抜くことができました。
なので、2020年はどうするかをここに書きます。

長いテキストになります、最初の項だけでも読んでいただけると幸いです。

自分らしく生きること

結論から言うと「自分らしく生きること」です。これを、生きるための優先順位の一番上に持っていきます。

「自分らしく」ということを気にしはじめたのは、少年時代に男性であることに違和感を持った、井手上漠さんの主張を読んだときです。

自分らしくいることってとてもとてもとてもとても、大切なことなんです。

ぜひ、漠さんのTwitterの一番上にある、彼の主張を読んでいただきたいです。それはとてもとても美しい言葉で綴られています。

私は子供時代、家族に自分を受け入れてもらえませんでした。
「変わっている」「何を考えているかわからない」「態度を改めろ」

いつの間にか、そして長いこと、私は「自分らしさを殺すこと」を優先順位の一番上に持ってきていました。それは、社会に適応(学校に行ったり、企業で働くこと)するためです。

他者から「ムカつく」「気持ち悪い」そして「ガイジ」と叩かれる、ということを恐れながら。

発達障害が判る前は「障害者と呼ばせないこと」、10年前に判ってからは「健常者に近づくこと」ほんとうにほんとうに必死でした。

その努力を強いたのは親が敷いたレールだという人もいました。
精神障害者に対して差別的な目線を持ち、根性論を振りかざす両親の下で育ち、私自身もそんな思想になりました。

これは私も、他の障害者に差別的な目線を向けているということです。

妖怪人間ベムのように「人間になりたい」と願う日々。
本当は、障害者も妖怪人間も生き生きと暮らすことができる社会を願うほうが良いです。それに、人間にスタンダードなんてあるのでしょうか

2019年の春に、心身を壊して、勤めていた会社を解雇され、私は、ずっと夢だった「就職」を、5年半ほどで諦めました。無残にも、サクセスストーリーは終わりました。希望になりたかったのに(笑)
その後は、家族の援助と、精神障害者の支援機関の協力を得ながら、生活しています。

さて、「障害」という言葉が、ずっとスティグマになっているが故に、その話が多くなりました。

勘違いしやすいですが「障害」は「自分」を構成する一部分であって、全てではありません。

障害をもって生まれた(発達障害は先天的な障害です)のは「自分」だし、生活を破綻させるなどできないことがあるのも「自分」だし、計画ができずなんでもその場しのぎなのも「自分」だし、好きなことに夢中になりすぎるのも「自分」だし、嘘がつけなかったり人の気持ちがわからないのも「自分」だし、自分の腕を頼りに生きているのも「自分」…ほかにもいろいろありますが、言い表せないしんどさや生き辛さを抱えているのも「自分」です。

それは変わりのないことなのです。
誰のせいでもありません。環境のせいでもありません。
すべて自分なのです。

他者に「自分」を肯定してくれと言ってもそれはわがままに過ぎず、まず、私が「自分」を肯定しないと始まらない

障害や個人的な性格が原因でできないことを、いろいろな努力や工夫を重ねてカバーしてきたことを、体力(私はひとよりタフらしい…)勝負でなんとかしてきたことを、自分の中だけでも評価して、もっと高めていきたい。

支援機関の担当の方が、私がずっと取り組んできたことを、ほめてくださったのがとても嬉しかったのです。
この積み重ねがあっていまの私があるのです。

何かを選択する判断基準を、「これって茶鏡さんっぽいよね」とか「茶鏡さんってこれだね」「茶鏡さんこれ好きだよね」など、そういうことをもっと大事にしていこうと思うようになりました。

もう、隠したり無理したり背伸びしたり周囲に合わせたたりはしたくない。ハッタリはかまさなあかんときはあるけど。

なにより私はこんなふうに生きていきたいのです。

決められた道をただ歩くよりも
選んだ自由に傷つくほうがいい
倒れるまで走るくらい熱く生きてみたいから

1億回聴いた昔のアニソンの「夢色チェイサー」という歌の歌詞です。読んだだけでも「あ、できてないわ」って思ってしまったのです。
これを書くのと同じタイミングで、久しぶりに聴いて何回も何回も聴きました。やっぱり熱い歌が好きで。

熱くならないとなんもできないから。ということは、熱くさせるものがあればなんでもできそうな気がすること。

生きていくこと自体、無理しないとできないのだから、限界まで無理すればいい。倒れるまで振り切ればいい。

自分らしく生きることによって、更に敵を作ってしまうかもしれません。それでももう構わないと思っています。誠心誠意を尽くしても、ダメなときはダメなのです。正しさというものが違うので、これはもう仕方のないこと。

いい悪い、は関係ありません。ついていけないとか、否定する者、「自分を変えろ」など勝手にジャッジする者は、もう知らない。置いていきます。

戦いもせずに諦めるよりも
何かを求めて傷つくほうがいい
たとえ今は目指すゴール見えなくても負けないで

これも「夢色チェイサー」の歌詞(2番)なんですけど、目指すゴール…「健常者に近づく」など具体性に欠ける目標を建てるから、いつまでも目標が見えなかったり、中身がスッカスカになってしまったのです。

なりたい自分、高みを目指すことも必要ですが、いま現状の自分を肯定し、自分らしく生きることを大切にする、を2020年の目標にします。

自分らしく生きていれば、とても苦手な他者とのコミュニケーションも、いまのように「対峙」ではなくなって、もっとフェアになるような気がしています。
適当にへらへらしてごまかすでなく、自慢とか愚痴を不必要にあけっぴろげにしない。自己開示は、自分をわかってもらいフェアにコミュニケーションするためにするのです。

下記に、今年具体的にやりたいことを書きます。

やること1:視野狭窄やめる、好きなことは全力で行く

モータースポーツとメイドカフェに傾倒するようになってから、趣味はそれしかやらなくなりました。この2つに私は救われています。あ、聴くラヂヲもそうだ。

デザインを勉強し始めた頃は「自分の知らない世界や違う価値観の世界をもっと知ろう」と貪欲になっていましたが、ここ数年ですっかり視野狭窄になっていました。

もちろん好きなことは可能な限り全力で行きます。

プラス、知らない世界や違う価値観を旅したいという、若いときの気持ちを思い出してあげようとおもいます。

インプットというか、「これいい」というものをもっとたくさん集めたり、「これ違う」と切り捨てていくことによって「価値観」の輪郭がはっきりするのです。

やること2:「表現の可能性」の探求

私はコミュニケーションにおいて、ノンバーバルどころか、会話も当てにならないので、絵を描き始めました。(これなので、他者と会話を生み出すことに価値を置いていない)

それはいまも変わりなく続けています。
そして他者のプロダクトやミッションの良いところなどを引き出して、喜んでもらうためにデザインをはじめました。

私は「最高のUXを提供したい」のではなくて、コミュニケーションにおける表現の可能性を探求したい」のです。デザインもイラストも抽象画も、いま書いている文章も、ツイートも、ぜんぶ手段です。

たぶん、一番自分自身と一番直結しているのは画業です。


これは2019年の夏にやらせていただいた個展の写真です。(撮影:茶本晃生さん)

個展が終わってから、絵をさっぱり描かなくなってしまいました。なんのためにフリーになったかわからん。

私から表現することを取ってしまったら何も残らなくなります。
お金にならなくても、もっと真剣に表現活動に取り組みたいのです。と同時に、お金を生み出すことを真剣に考えなければなりません。
SNSやブログの活動も「表現」なので、適当なことばかり書いていないで真面目にやりたいです。

やること3:フォースとともにあらんことを

さてはて、いきなりスター・ウォーズの話になります。

このフレーズはジェダイフォースの光明面を信じている)の人がよく使っている言葉で、やることの中身は「フォースの暗黒面に堕ちない」ということです。

スター・ウォーズでいちばん共感できるの登場人物は、ダース・ベイダー(アナキン・スカイウォーカー)です。
アナキンが暗黒面に堕ちていくところはわかりみが全開やったし、ダース・ベイダー誕生の瞬間は泣きました。
※いちばんかっこいいと思うのは、ハン・ソロ。

ここに私が書いた、2012年の個展の説明の一部を載せます。

「透明な心」は、なりたい自分。不安、怒り、執着、激しい感情に連れていかれない心。

この説明は、スター・ウォーズの影響をもろに受けています。まず「心を透明にしろ」と言ったのは、ジェダイの師・ヨーダです。そして、不安、怒り、執着、激しい感情、というのは、ぜんぶフォースの暗黒面を引き出す力です。

いまの私はフォースの暗黒面を信じるシスの皇帝から「こっち(暗黒面)に来ないか」と言われたらほいほいついていきます。フォースの暗黒面を引き出す、この力に振り回されて、しばし、いやいつも、暴力的な行動、コミュニケーションを取ったりするのです。

人類そういうときもあるのですが、私はやりすぎです。

フォースの暗黒面を力として活かすのもまた生き方の一つですが、私は本当はシスになりたくありません。
それには「ならない!」という強い意志が必要なのです。

「善と悪を、どう区別すればいいのですか?」
「すぐに分かるようになる。冷静で穏やかになり、心を開くのだ」

この下のヨーダの言葉は私に欠けているものを一言で表していますね。

エピソード1/2で、ジェダイ・オーダーが恋愛禁止を掲げてたの、わかる気がする。

おわりに

みずがめ座の2020年上半期しいたけ占いに似たようなことが書いてありました。そしてちょっと参考にしました。書き始めて障害の話になるとは思ってもみませんでした。たぶんこれまでにネタにしたエピソードも入っております。

私はいつから障害児にされたのかわかりません。学校に入る前も入ってからも検査を何度もして。知的な遅れはないと結果が出るので、家族も私も認めませんでした。中学で勉強を頑張りました。その後の生きるモチベーションは「障害者と呼ばせないこと」でした。どう生きていきたいかとか、何がやりたいか、大事なものはなにかが、完全におざなりになっていました。

でも私はもう若いときのように強靭な体力がありません。スキルがなく障害を抱えている私は、言ってしまえば就職はもう難しい。表現活動の話をしましたが、やりたいことは何かという問い自体、本当は贅沢です。現実、いまできるのはささやかな幸せと自由を守ることじゃないかなと思っています。

いくら「自分らしく生きていきたい」と言っても、急に考えを変えることと同じように、それはとてもとても難しくて、躓くかもしれません。何年もかかるかもしれません。

いまの私には、自分らしくありのままを受け入れてくれる味方が、まだひとりもいないのです。これから出会うからです。

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