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いつまでもこないシーズン

※4/6 ドラフトに戻していましたが一部を編集して再公開しました。

某ウイルス感染症を広げないための日々をこのように表現するのは語弊があるのは分かっているが、許してほしい。このタイトルが適切かどうかもわからない。

モータースポーツのファンであるわたしを含むスポーツのファンは、冬を越え、待ちわびていた春のシーズン開幕が、延期になり中止になりいつまでも来ない。

楽しみをずっとずっと先送りにされているのはスポーツのファンだけではない。ライブなどエンタメもそうだし、もはや、友達と遊ぶとかの楽しみさえも。

心の支えであったはずのものがなくなっているのに、「大切な人を守ろう!」という、切実で重たいスローガンがラジオやSNSでひびく。

大事な人を守ることは正しい、ただ自分を守れていなかったら、どうなるのだろう。

★★★

少しわたしの話をする。

わたしはあるF1友達から縁を切られた。
「2020年だけ」と言われたのがよくわからないが、わたしが縁を切ってもいいと言ったし、来年の今頃わたしを思い出すことなどたぶんない。

それでも心に穴が空いた。
これのせいで某ウイルスで疲れる前に心が弱ってしまった。

通常ならば、これにあとで桜が咲いて、モータースポーツのシーズンが始まる。生活の傍らでめくるめくドラマを持った戦いに胸を高鳴らせる日々を過ごしているうちに、あっという間に冬が来て、シーズンが終わる。そのころには、わたしの心の穴もきっと塞がる。

今シーズンは昨シーズンより色鮮やかなものにしようと決めていた。

ところが始まるはずの2020年シーズンが、来ない。

★★★

なぜこの話をしたのかというと、ひとが抱える困難や苦しさ、もっといえば病気などは、当たり前だがいつもどおりあって、そしてそれらを抱えて、みんな生きている。そんななかで、某ウイルス感染症を広げないための日々を送っている。

どんなときも、なにが大事でどんな行動が適切かを自分で考え、「選択」しなければならない。外部から選択させられることもある。

某ウイルスに関わることであれば「外出自粛」もそのひとつで、生活を奪われる可能性などリスクの高い「選択」。

その地球規模の苦難について先陣をきって、いまのところの最適解の「選択」を示してくれたことが今まであっただろうか。そのことを無責任・イジメじゃないかと話した方もいた。通常運転の苦難の前に立たされていて助けが必要なひとはいまどうなっているか。

それがすべて自分の責任で、難しい「選択」をさせられてばかりだと、疲弊してしまう。

★★★

わたしとしては、まず自分を守ることを優先し、できることとやるべきことを1つずつやっていってほしい。

「アンタは独身で守るものがないからでしょうが!」とお叱りを受けそうであるが聞いてほしい。

SNSに流れる阿鼻叫喚もまた、思想に関わらず、心のなかに雪が積もるように重たくのしかかる。見てて辛くても、不安を撒くところがないともう爆発してしまうので、責めることができない。

問題を捉え、その人なりに行動したり、発信・議論しようという「選択」をするひともいる。ただそうやって行動できるひとと自分を比べて落ち込まないでほしい。

極端に言うと、自分の心は弱いままでいい。
疲弊し弱っていることを認める時間を設けてほしい。

もうひとつ、どんな些細なことでもいいから、収束後にやってくる楽しみに思いを馳せてほしい。そうすることで少しだけ自分を保つことができるから。今できる楽しみや、心を満たすことがあるのならばそれをやるのもいい。あとよく食べてよく寝てほしい。

わたしは、ついに体までが弱った。
ここ数日間養生している。

★★★

いまの某ウイルスの蔓延は、世界が変わるために起こるコンスタントに起こる厄災だという話を聞いた。この話を信じるかどうかはお任せする。
なんとなく、氷河期のようなイメージをもった。

いつまでも終わらない冬。外は明るくてもずっと暗い日々。
寒さを凌ぐように、閉じこもるように生活する。
いまは我慢だ、とか、言いたくない。
食料の買いだめも、してしまうだろう。

心も体も弱ったわたしは病床で、ずっとレースの過去映像を見ている。推しが最初のスティントでごぼう抜きする試合だ。

シーズンの開幕を待ちわび、早くサーキットに行きたいと願いながら。

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