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幾千の愛の言葉よりあなたがそこにいるだけでいい

アニソンの歌詞の一節なのですが、残念ながらわたしはこういう存在にはたぶんなれません。ということで、この記事は「表現」の話です。

わたしから「表現」を取ってしまうと何もなくなる。

自己紹介を提出してほしいと思って書いたのがこれ。(一部、伏せ字にしています。)

〇〇市在住。〇〇高専中退後、フリーターを経てデザインの道へ。制作会社数社でWeb制作を中心に活動、2019年フリーランスに。2011年頃より独学で抽象画を描き始め、大阪で個展を2度開催する。
発達障害で自身のコミュニケーションに難をもつ。「表現」によって、他者との接点を見出すよろこびから、時々により形を変えつつ、人生を通じて表現活動を行っている。現在は、絵画、デザイン、イラストレーション、文章など、「表現」の可能性を幅広く探求している。

フリーランスになったくせに、きちんと自己紹介ができていなかったのですが、事実と合わせていま一番しっくりくることを書きました。

現在は、絵画、デザイン、イラストレーション、文章など、「表現」の可能性を幅広く探求している。

これをミッションとして掲げてしまったからには、「表現」についてもう少し真面目にやらな!となっております。活動費捻出が先ですが。

一方で「もうほぼ活動しません!」と宣言したFacebookの個人アカウントにだした声明の一部がこれです。

もう少し、人のいるところへ行く機会を増やし、無目的ではなくきちんと繋がりを持つことができるように。
それには私のほうの接点と、他者への想像力が必要で、これらがあれば「人が怖い」ということもなくなるかもしれません。
個人的には何年かかるかわからないなあという気がしますが、まずは「接点」のほうをきちんと考えたいかと存じます。

わたしはなにがしの「表現すること」を、他者との「接点」として生きているのですが、もちろん絵を描いて見せるだけでは成立しない(つまりは、自己満足になってしまう)ことぐらいとっくの昔に気づいています。

本気で「表現者」をやっていくのであれば、自分のために描くだけではなく、とても簡単に言えば他者にどのような影響を与えたいかを意識することが不可欠になります。

誰かのためにつくる「デザイン」で食べていくというか、わたしの一番得意でやりたいこと、にすることは叶わなかった。探求は続けるけれどメインの仕事になるかどうかはわかりません。

対人恐怖や、会話によるコミュニケーションが苦手で、絵を描いたり新聞を作ったりして他者との接点を見出していた子ども時代、そして、いま。

それを原点に「表現者」として活動していくには、まず、自分の「表現者像」とはなんぞやかということをはっきりさせる必要があります

わたしは「表現者」として、目の前の人に何を与えられますか?

その問を、常に頭の中のかばんに入れておいて、持っていかないと、いくら新しい出会いがあったとて、無意味なものになってしまいます。
(例えば、Startup Weekendに参加しているのは、ビジネスプランニングにおいて何ができるかを問うため。)

ただ、大事にしていることがあって、作りたいものが「最高のUX」ではなく「より深いコミュニケーションを成立させる」ことなのです。

そんな考えに至らせたのは、わたしが影響を受けた「ほぼ日」だったり、デザインスクールで学んだコンセプトワークだったり、文章教室や絵画個展を通じて表現できたことだったり、あといつか関わりたい、知的障害の人が創る作品。

自分対他者のコミュニケーションのため、のみならず、わたしが他者の伝えたいことを引き出すこと、将来は、ワークショップなどで他者自身に表現してもらいたいのです。

いま現状にもどると、圧倒的に創る量が足りてないし、考え抜く量も足りていません。(日報がグチグチしているところに表れている)

だから、もっとたくさん考え抜いて、創って、クオリティを上げて、たくさんアウトプットしていきます。

そこに少しだけ他人軸の視点が入ると、良い「接点」が生まれるのだと思います。(日報:2019年8月24日+ 「自分軸」のデザインと、トレンドの話

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