映画「リチャード・ジュエル」を観ました。


先日、友人宅で夕飯を食べている時
その友人がレンタルしていた映画を観ました。

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それがこちらです。


僕は特に予備知識もなく鑑賞したのですが
どうやら事実を基にしたストーリーだそうです。

「リチャード・ジュエル」


クリント・イーストウッドがメガホンを取ったということで
俳優としても映画監督としても彼の作品のファンである僕はそこに期待が膨らみました。

比較的最近だと自身が監督と主演を務めた「運び屋」も記憶に新しいですよね。

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僕はこの映画もなかなか切なく、やるせない気持ちを煽られて好きだったんですが
一緒に観た友人はラストの演出にモヤモヤしたようでした。笑


話は「リチャード・ジュエル」に戻るのですが
あらすじはこんな感じ(映画公式サイトからお借りしました)↓


あらすじ


1996年、警備員のリチャード・ジュエルは米アトランタのセンテニアル公園で不審なリュックを発見。その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。事件を未然に防ぎ一時は英雄視された彼だが、現地の新聞社とテレビ局がリチャードを容疑者であるかのように書き立て、実名報道したことで状況は一変。さらに、FBIの徹底的な捜査、メディアによる連日の過熱報道により、リチャードの人格は全国民の目前でおとしめられていった。 そこへ異を唱えるため弁護士のワトソンが立ち上がる。無実を信じ続けるワトソンだが、そこへ立ちはだかるのは、FBIとマスコミ、そしておよそ3億人の人口をかかえるアメリカ全国民だった──。


1996年と言えば体感的には古い話ですけど
こういった事件の捜査やマスコミの動きなどが
こんなに今と違う(というか今では考えられない)
とは想像していなかったので驚きました。

人の悪意だったり自己中心的な考えに振り回された主人公の悲劇ですよね。

この映画では彼を取り巻く壮絶な環境が描かれながら
同時に、彼の母親想いで他人にも優しい温かな人柄にもスポットが当てられます。

おそらく、こういった性格が事件に巻き込まれるきっかけになった側面もあるのだと思いますが
"人が本当に大事にすべきものは何か"という根本的なことを訴えかけてくるシーン達だと思います。

リチャードと母親は劇中で"悲しい、辛い"という涙ではなく
"強く温かい、誰かを守りたい"といったような涙をいくつかのシーンで流します。

映画のキャッチコピーにもありますが
「その日、全国民が敵になった」世界で
母と弁護士、その秘書と友人との関わりだけがこの映画に救いを与えてくれます。

当時の彼はこんな風に世間から批判され、孤独を感じていたんでしょうね。

あまり話すとネタバレになると思うので
深く踏み込んで書くのは避けようと思うんですが
劇中、ひたすら主人公のリチャードを信じ、守ろうとする弁護士のワトソンがカッコいいです。

そしてリチャードが犯人ではないかと報道された途端に手の平を返す周りがめちゃくちゃ怖いです。
これは部屋で一緒に観ていた友人2人も同じ考えだったようで何度か声に出ました。笑


Wikipediaによるとこの映画は公開前に想定していたほどの興行収入には満たなかったようなのですが
いくつかの映画賞を受賞していたりもしますし
派手な映画を好む方より
ジワジワと考えさせられる映画や
ヒューマンドラマのようなジャンルが好きな方にオススメな作品です。

あと僕と同じようにクリント・イーストウッドの作品が好きな方もぜひ。


クリント・イーストウッド監督の作品

といえば
2014年公開の「ジャージー・ボーイズ」も素敵な作品でしたね。

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この記事に書いた「リチャード・ギア」、「運び屋」とは全くイメージの違うミュージカル映画なのですが
それ故に新鮮な雰囲気もあり
年齢を重ねていくことの寂しさとそれ以上の暖かさ(この3作には共通して描かれてると思う)を感じて
楽しめる作品だと思います。