死についての考え方

1つの曲にハマって1曲を永遠とループしてた。さすがに飽きてきたけど好きだなあと思った。



前置きはさておき。

死についての私の考えを。
いつもより長いですがお付き合いください。

〜〜

生きたいか死にたいかと言われれば、死にたいと答えるくらいには死への憧れがある。
今ある辛いことが全てなくなるなんてなんて素敵なことだろう。楽しいことも全て失うだろうけれど、やりたいことなんて全部やってから消えればいい話であって。

「あなたが死んだら悲しむ人がいる」
「あなたが死んだら迷惑がかかる」

だから何だと言うのだろう。死んだあとのことなんて、自分には関係なくてだから生きてと言われても、誰があんたなんかのために生きるか!と思う。

私は自分のために生きている。
誰かのために生きたくて、そう思って生きてみたときもあったけれど。本気で死を考えたときにそのために死ねるかと言われたらNoだった。
だから自分のために生きている。

やりたいことリストを作った。それは常に更新される。どんな小さなことでもやりたいと思ったら書く。
例えば「金魚すくいをする」とか。
それができたらチェックをする。簡単なこと。
そこに書いたことは全て「自分のため」のこと。
だから他人のことは一切出てこない。全て1人で達成しようとしているので、誰にも見せたことは無い。これが意外と楽しい。
やりたいことリストに全てチェックがつくまで死なないと決めている。まあ長生きしても絶対に無理そうなことも書いているため、それは置いといて。
やりたいことは全部やってから死にたい。日々更新されるのだから別にすぐに死ぬわけじゃない。

でもきっと死んでしまったらやりたいことができなかったという、その後悔すらも消える。
だから、やりたい気持ちよりも死にたい気持ちが大きくなったら私は死ぬのだろうなと思う。


なぜそこまで死にたいと思って生きるのか。
大抵の人は理解できないと思う。特に毎日が楽しくて生きたいと思っている人にとっては。

死んだあとなんて自分は関係ない。
どう思われようが、何を言われようが、こういうことを言われた、嫌われた等と悩む必要が一切ない。
今こうして人の目を気にして生きているのがバカみたいに。

1人で悩んで病んで眠れなくなると、死を考える。
少し前から、どうやったら死ねるのか、考えていた。
あの踏切に飛び込めば、この階段から落ちれば、今ここで道路に飛び出せば。
そんなことばかり考えていた。
ふと思った。日常の中にこんなにも死ねるかもしれない瞬間がある。決心がつけばいつでも行動できるんだな。

それから私は、死のうと思えばいつでも死ねると思って生きている。少し、楽になった。
生きることを目標とせず、死を目標とする。
逃げ道があるって、楽だ。
生きろと言われると、逃げ道がなくなる。死という逃げ道が。
でも、いつでも死ねるからとりあえず生きろと言われたら。いつでも逃げていいと思える。
どうせ死ぬんだから、その考え方に私はずっと支えられて、生きている。

自ら命を絶つことが良い事だとは思っていない。それを勧めているわけでもない。
ただ、「死ぬな」「生きろ」という言葉が嫌いなだけだ。
その言葉に縛り付けられて生きてきた。
自分で死ぬ事が悪だと教えこまれてきた。
それがずっと苦しかった。

でもわかってもらえなかった。
大人はみんな、自分を大事にしろと言う。親にもらった大切な体を大事にしろと言う。望んでもいなかった命をもらったことを感謝しろと言う。
大人になったら自分のことは自分で決めろと言うくせに、死ぬことを決めると間違っていると言う。
そんな大人が大っ嫌いだ。

死にたい気持ちをわかってくれず、生きろ、死ぬなというくせに、救ってはくれない大人が、今でも大っ嫌い。
その気持ちは、この世の中から「自ら命を絶つことは悪」という考え方が消えない限り、私の中からは消えないだろう。


私は、いつでも死ねるから、生きている。
死んではいけないと思い込んだままだったら、本当にここにはいないかもしれない。

みんな、いつかは死ぬんだから、いつかはどっかで死ねると思って生きていこう。
どうしようもなくなったら死ねばいい話。逃げ道はいくらでもある。

私も早く誰にも言わずに県外に逃避行したいな。

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