「オタクを辞めた虚無」にならないほうがいいと思う理由
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「オタクを辞めた虚無」にならないほうがいいと思う理由

自由さ


あなたの周りにこんなオタクはいないだろうか?外が明らむ頃に「ぽきた」とツイートして、とっぷり日が暮れた頃に「退勤」とストロングゼロ(実際は檸檬堂や999.9みたいななまっちょろい酎ハイを飲んでいる!)をかっくらう。アニメを見る時間はホロライブやにじさんじのアーカイブやを追う時間にすげかわり、「サブスクで週休三日にしてくれ」と、月曜日に恐れ慄くオタクがゲームをすれば、スーパーマリオ3Dコレクションや押入れから出てきたGBAで在りし日に思いを馳せ、Vtuberのプレイしたゲームを追体験する‥‥のはまだマシなほうで、実際はTwitterをやりながらFGOの周回をするか、それに飽きたとて原神やAPEXやオートチェスや(もう一銭も入れたくないほど飽きた)シャドウバースを漫然と遊ぶだけ。長期休暇ともなればおバイクと共にアウトドアや一人旅に出かけるけれども、くたびれた心持ちを見るに放浪と呼んでも差支えがなさそうで、情動の探究というよりは逃避行めいている。現実を生きているけれども、それが現実的な生き方とまでは思わない。


「中学生の時にキノの旅を読んでオタクに目覚め青春をかなぐり捨てた学生生活を謳歌したものの、就職にあたってアニメを見る体力や気力が低下し、忙しさのあまりオタク友達とも疎遠になり、同期の結婚報告を聞いた帰りにFGOをやってiwaraを徘徊するだけのオタクを辞めた虚無になった」

おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。スーツのしわを弛ませながらツイートをしているところを想像すると、なかなかどうして鬼気迫る。

「オタクを辞めたら虚無」は別にオタクコンテンツから完全な離脱を遂げたわけでもないし、定義も漠然としているけれども、たぶん「インスタントなコンテンツにしか手を出せなくなったオタク」「オタクであることにアイデンティティを見出せなくなったオタク」「情動と感動が劣化したオタク」がそう呼ばれている。この自嘲には無趣味な人への即物的な危機意識と、青春の華が枯れ果てたことへのアイロニーがないまぜになっていて、内側からも外側からも「なりたくない(なかった)存在」とされているようで、僕もそれに思うところがあり筆を執った次第だ。

実は僕もぼんやりしていた時期は冒頭のようなオタクになりかけていて、「このままじゃダメだなあ」なんて思ったりもしていたのだけれど、じゃあピシャっと戸外に締め出されたように居心地が悪くなったと言うとそうでもなく、気づけばなっている‥‥みたいな緩慢な石化のような状態で、だんだんと過去に思いを馳せることが多くなるだけだった。 僕は蓬莱人形を聴いてオタクになったのだけれども、ぼんやりした状態でそれを聴いたら10代のころの記憶が堰を切ったように押し寄せてきて、泣きそうになったのをよく覚えている。

なんでそれがダメだと思ったんだろう?理由の一つ目は、オタクとしての営み(ヲタ活)がオタクにとっての「ていねいな暮らし」だと思うから。二つ目は、オタクを辞めたとしても、オタクの悪いところは打ち消せないから。三つ目は、情熱を持ち続けることが自己実現に繋がるから。

オタクであることとQOL

「ていねいな暮らし」と聞くと輸入品のコーヒー豆とか、早朝のランニングとか、北欧の家具とか想起する。それだけだと生きるにあたって必要じゃあないけれども、モノやコトで日々の暮らしに肯定感をもたらして、QOLの上昇に繋げることは普遍的かつ必要な営みだろう。もっともオタクは村上春樹のように丁寧なアイロンかけはしないだろう‥‥が、この営みの前向きな姿勢自体は持っていたように見える。オタクもオタク的営為を日々の生活の肯定感や人間関係の構築やアイデンティティの樹立などに貢献させる姿勢を継続していたし、それはライスワーク的な社会生活とは別次元の領域を拡張する自助行為でもあった。例えば、2ch/5chの部屋晒しスレッドでオタクがオタクグッズをしつらえた部屋をアップロードするサマは、まさにオタク的営為を通じて暮らしの嬉しみを思索していた証左だったし、そこまで行かずともコンテンツへの取り組みには嬉しみ(たとえば、カタログを見るとかフィギュアと一緒に誕生日ケーキの写真を撮るとかそんなものでも)が付随していた。そうしてめくるめくオタクの世界を思索することは矮小な趣味ではない(もっとも、ここで想定している抽象的な「二次元オタク」に限った話かもしれない)「暮らしそのもの」であったし、オタクであることはヘルスケアでもあったように思う。

必要な営み‥‥と書いた通り、きっぱりやめて別の営みに方向転換できるならまだしも、いい加減な取り組みに劣化させたりするのはQOLの低下につながるように思えるし、実際にストロングゼロにアイデンティティを委ねたり、休日をソーシャルゲームとホモビ男優の喘ぎ声と共にする人間を見ていると、多少無理してでもオタク的営為を続けたほうがいいようにしか思えない。「趣味を持つべき」的な一般論でもあるけれども、オタクはオタクであることと人間性を紐帯させているのだから尚更だ。


どうして悪いところが消せないのだろう?

オタクはオタクを辞めてもキモいからだ。いみじくも非モテが言った通り「セラピーで顔は治せない」し、例え彼らがトロミシャツやチェスターコートの袖を通したところで、オタクの内面まで帳消しにできるわけじゃない。オタク的営為で培った(汚染された)モラルや倫理観やマナーの一部は取り返しがつかないのだ。例えばオタクがオタクを降りて女性を求め始めても、オタク特有のミソジニーの矛先が「スイーツ(笑)」から「昨日マッチングアプリで会った女さん」に代わるだけでとんと軟化しないし、留年や浪人を戯画化する異常性や他人の知的財産を乗っ取って自分のコンテンツにする鉄面皮っぷりがそのまま社会性に反映されるだけである。

そもそも「オタクを辞めた虚無」は能動的にオタク要素を滅却したわけではないから、オタクのあり方に対して疑問を抱いたわけじゃない。普通にプリコネRとかやってるし、なんなら異常独身男性とかオタクを自認仕切れなくなり始めた元オタクが能力や地位を問わない肩書を借用することで「自助努力で何者かになる」という選択肢を棄却しつつ道化的なユーモアの有効性の維持を試みているだけの異常でもなんでもない悲しくてくたびれた若者だ(互助行為や体系だった運動にも興味がないようだし、これには糸井重里の「ヘンタイよいこ」的な実態のない団結っぽさがある)。だから「オタクを辞めた虚無」になることとオタクの内面が変化することはイコールではないし、(これは観測上の話だが)常識人になるオタクは元からまともであるか、能動的かつ後を濁さず脱オタするのである。

どうして自己実現に繋がる?

オタクは卒業してプロになれ!————————ブン

一般論として、情熱がスキルの会得に繋がるからだ。みんながアウトプットする文章や音楽やイラストや動画も、情熱が技術に変換されて具現化されたものだ。だから価値がある。もしあなたが人から高値を付けられるアウトプットしか価値が無いと思っているのなら、あなたは狂っている。

‥‥話が逸れそうだから戻すと、スキルを身につけるきっかけの一種には原体験で抱いた感動や憧れ——情熱——がある。イラストレーターや漫画家が幼少期に鳥山明の絵を模写していたエピソードなんか、耳にタコができるくらい聞いて笑っちゃうけど、それだけ好きというきっかけは強固だと言うことで、夢や目標に向かう飛び道具だ。自己実現に繋がる。ここでは「これからは好きなことが仕事を作る!」みたいな主張はしないしナンセンス。パソコン通信でのイラスト投稿が仕事に結びついた原田たけひと氏からもわかるように時代は関係ないし、社会的成功や競争への手招きじゃなくて、もっと有り体の充実感の話だ。

僕はhikakin氏の人生観を肯定しているけれど、「好きなことで、生きていく」は目標じゃなくて過程の話だと解釈している。好きなことをライスワークにするのでなくて、好きなことのためにライスワークをするのだと。そしてそれが自己実現に繋がるのだと。だからワナビでいるのが最高だ!‥‥なんて言うつもりは毛頭なくて、日曜大工でマイホームを建てましょうよ、ということを言いたい。目標を持って絵を描けばよりすばらしいし、最終的に人生の目標になるならよりすばらしい。それは映像でも音楽でもなんでも一緒だ。見たり読んだりするだけでも、好きなコンテンツに関する知識や教養を付けたり、目的意識のある交友関係を持ったり、そういった営みが人生の目的意識をクリアにして、自己実現の一助となると信じている。それに熱意を持って臨んだほうが、ぜったい、うれしいしたのしい。

忙しかったら何もできないでしょッッッ

はてさて一体全体僕らは何をするべきなんだろう?アニメの一気見?ゲームで完徹?イベントで散財?それも萎れた花に水桶をひっくり返すように思えて、建設的に思えない。ただ、観念を変えようと意識するだけでもだいぶ異なるんじゃないかな、と思うし、暮らしにあくせくしているようならそれだけでもいいと思っている。

例えば、「自分はオタクである」「オタクとしての原体験こそが自分を創っている」という自覚を持つだけでもだいぶ違うし、実際その観念は、どんなくたびれたオタクでも埋もれているはずだ。

原体験こそ‥‥と言った通り、オタクが遊ぶソーシャルゲームひとつとっても、大なり小なり彼らの原体験であるコンテンツの影響を受けていて、一本の太い幹から枝分かれしたものだ。そのソーシャルゲームを遊んでいるのも、幹が心にまで根を張っているからだ。ウルトラマンの老眼鏡やマジンガーZの杖が売っていることからもわかるように、オタクとしての原体験と、そこから広がった青春は一生を左右する。

逆説的だけれども、「オタクを辞めた虚無」である人は情熱の形を変えたくないのだと思っている。疲れたり早さにまどわされたり歳を食っても、結局のところ原体験がなくてはならない・かけがえのない存在であるから、それが要らなくなるわけじゃない。だから心の断捨離をして完全な脱オタをするわけにもいかずに、原体験の再生産とも言える営為を行うのだと思っている。

例えば、電撃文庫のラノベ作家を目指していたワナビが政治のために筆を執るのも、けいおんでギターを始めたオタクがアニメを見なくなってなお志摩リンと各務原なでしこのフィギュアと共に(くたびれたおっさん像を演出しながら)キャンプに出かけるのも、情熱の形を変えないためのアプローチでもあるんじゃないか?と思うし、このことを踏まえると「オタクを辞めた虚無」が取り返しがつかないとは思えない。

だとしたらバズってる「キモオタクからオタクを取り去ってただのキモになるどころか存在を認知されなくなり無となってしまった皆さん」みたいなツイートをRTして、「これアタシだ‥‥」「やめてくれカカシ その術は俺に効く」なんてこぼす必要はさらさらない。末路でもなんでもなく、情熱を持ち続ける手段がうまく機能していないだけなのだから。「昔のような情熱を求めている」と思うだけでいいと思う。フワッとしているようだけど、目標じゃなくて自覚だ。すこし義務的になるのが肝要だと思う。少し立ち入った視線でゲームを遊ぶ‥‥とか、重い腰を上げてアニメを見てみる‥‥とか、そういう些細だけれども現状を少しでも発展させる選択肢が見えてくる。

僕も何か自分の足しになるようなことをしたくなって、(普段行かないような)ミニシアターで映画を観てとても満足したし、これもオタクとしての「ていねいな暮らし」の発展だと思う。あなたがオフィスで9時間コーディングを行う平日とFGOの種火周回をしながらホモビ男優の喘ぎ声を聴く休日を反復していても、大きな人生で小さな一歩を踏み込めば花丸だ。

Noteやブログを書くことも、とてもおすすめしたい。アニメや漫画や映画の感想なんか2行3行書くだけでもそれは立派なアウトプットだし、筆が乗ってくればnoteやブログの存在がコンテンツを享受するインセンティブになる。とりとめのない思考や所感を書き連ねておくだけでも、つまらない思考や認知の歪みなんかを訂正できるかもしれない。

なにより、誰でも・いつでも・どこでもできる。アメリカ大統領でもなろうと思えばツイ廃になれるんだから、流石に日記くらい誰でも書けるだろう。


終わりに

僕は「オタクを辞めた虚無」が普通のコンテンツを楽しめなくなったゆえんは、加齢や感性の鈍麻ではなく、今のインスタントで目まぐるしい早いコンテンツの様式に慣れ過ぎたことが(大きく)あると思っている。例えば、Twitterの4ページ漫画が漫画の様式の標準になっているなら数十巻の漫画なんて長く感じるだろうし、それはyoutubeやソシャゲやバトルロワイヤルのゲームやTwitterイラストにも言える。それらに慣れ切ったら「遅い」コンテンツが全く受けつかなくても不思議ではない‥‥と思う。だから「歳取ればみんなそうなるんだよ」的な言説に安易な迎合をするべきではないし、「早さ」にも屈するべきではないと思う。


御峠呼世晴氏の言葉を引くわけではないけれども、オタクの享受するコンテンツは水や食べ物とは違って生きていく上で必要じゃない。それはほんとうならば、生の営みとは別次元の、特別な物語を物語るものとして創られている。だからこそ僕たちはコンテンツに特別なモノとしての眼差しを向けてきて、それを自身の特別な物語———ひいては夢や希望や憧れ———に繋げてきた。

YouTubeの短い動画では数十秒以内に約3割のユーザーが離脱するのはご存知だろうか?微弱な快楽をもたらすインスタントなコンテンツと、情動の伴わない消費行動は、水や食べ物となんら変わらなくなってしまっている。僕たちが嫌っていた、低俗なワイドショーをザッピングする行為と何が違うのだろうか?

もっとゆっくりやろうや!

電車でソシャゲやる代わりにkindleでも紙の本でも持ってさ、休日とかさ、映画もアニメもサブスクじゃなくてTSUTAYAで借りて、いるなら友達呼んで、お菓子でもジュースでも用意して、ああよかったなあ、ってさ、そしたら「おもしろい」とか「すごかった」とかでもいいからさ、ブログなり日記に書いて、オタクとしての歴史を紡ごう!

僕はオタクで良かった!広がる未来を作っていけたし、友だちだって初めてできた。

何度聴いても蓬莱人形は最高や!みんなもオタクでいようや!

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いっぱいちゅき、
自由さ
毎日エッセイを書いていたり、Googleフォームで相談事などに返信をしています。オタク 相談箱:https://docs.google.com/forms/d/1sSFV3SOShTe5dpQanUHf2Vr4WQb2DGUWhnvwCUQ-4Bg/edit