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第94回:「夢」という「喜び」を味わって生きる

七夕の今朝、楽しい夢を見て目覚めてから、そのままその夢の余韻に浸っていた。

それから起床するまでにまだ時間があったから、ぼんやりとしながら海外を旅している夢を思い描いていて楽しんでいたら、さらに心地よくなって最高の朝を迎えることができた。

「夢」は、寝ている間に見る潜在意識の夢と顕在意識が生み出す夢の二通りある。

今朝は、潜在意識の夢と顕在意識の両方の夢を楽しむことができた。

顕在意識の夢でも半睡眠状態のような中で思い描いた夢は、客観的な思考が入り込まないので、たとえば「お金が‥‥」とか、「どうやって」といったネガティブな思いが入ってこない。

半睡眠状態での願望は否定的思考が入らない分、伸び伸びと夢想できるから楽しさに拍車がかかる。

そういった客観的な思考のツッコミの入らない状態で、普段の生活を過ごすことができるようになると、生きていくのも楽しくなるだろう。

以前、何かの本で、とある山の奥に住む部族では、誰かが「悪い夢」を見たりすると、それをきっかけにその部族のあり方の見直しをする、というような話を読んだことがある。

夢は、ストレスが反映されるから「悪い夢」を見るということは、その人が何かしらの負荷が掛かっていると解釈ができる。

つまり、部族の一人がそういった夢を見るということは、集団としてのあり方に何かしらの問題があるということになる。

だから、そういった人が出ないように部族として話し合う。

確かそういった内容の話だったと思う(記憶で書いているので、違っている点もあるかもしれません)。

もちろん、夢は寝ているときの状態で、寒かったり寝苦しかったりすると、そういった状態に沿うような夢を見るものだから、夢の善し悪しは、一概にストレスとはいえないけれど、本で読んだその部族でのあり方にとても共感を持てた。

部族としてすべての人が満足できる社会を創るという姿勢が、羨ましくもある。

おそらく、その部族は精神性がかなり進歩している部族なのだと思う。

文化という点で見ると、物質文明の繁栄の姿と、精神が発達している文明の姿は異なるものであり、物質的文化の繁栄の中で生活していると、山奥に住む彼らのような部族の暮らしを低く見たりするけれど、彼らからしてみれば物質的文化は混沌としていて落ち着きのなさを感じるのかもしれない。

今の物質中心の文化はストレスが伴うものだから、便利さを引き換えに精神的安定を明け渡しているのかもしれない。

とはいえ、現在の文明も我々の精神のあり方次第で、変化していくものだから、多くの人が精神の大切さに気付くことができれば、思いもよらない進化を果たしていくのかもしれない。

話を戻すと、多くの人が心地いい気分で過ごせるようになれば、世の中は平和になるから、顕在的な夢で楽しむことは悪いことではないし、ますます夢を描いて楽しくなって、寝ているときに見る夢も毎回楽しい夢を見ることができるようになるといい。

潜在でも顕在でも「夢」が、その人を前向きにさせ明るい気持ちにさせるなら、どんどん夢を見るべきだし夢を使っていい波動を出せるようにしていくと日常生活が楽しくなっていく。

夢が叶うかどうかは二の次にして、「でも」や「だって」のツッコミをせずに心のままに夢を描く。

そうやって潜在意識と顕在意識の境目をなくしていく。

僕らは潜在意識に生かされている。

だから、潜在意識に自分の願望を刷り込ませていくと、潜在意識の方で「夢」を叶えてくれるようになるだろう。

そのためにも、「でも」や「だって」を加えないこと。

夢を描きながら「でも」や「だって」を加えていくと、それも一緒に潜在意識に入って行ってしまう。

だから、単に遊びだと思って結果は気にせず頭の中を「お花畑」にする。

そういった意味では、日中は思考がバリバリ働くものだから、「でも」や「だって」のツッコミが入りにくい朝の時間に何かしらの工夫をして夢想するのが一番いいのかもしれない。

そうすれば、一日を快適に始めることができる。

繰り替えしになるけど、潜在的でも顕在でも「夢」がその人を前向きにさせ明るい気持ちにさせるなら、どんどん夢を見るべきだと思う。

夢を見て夢を語り合っていけば世の中が明るくなって、平和になり精神性の高い文明を創ることができるようになるだろう。

夢は喜びだから、夢想でも現実でもそれを味わうことができれば、生きることが楽しくなる。

夢が叶うかよりも、毎日を楽しく生きることの方が大切なのだ。

夢は、日々の楽しさの先にある。




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