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岩手の賢治?賢治の岩手?(6 終)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(20)】[#50]

 宮沢賢治が生きた時代に起こった様々な岩手の出来事(地震・津波・飢饉)や、岩手の自然が賢治作品に影響を与えた、ということは、多くの人が理解しています。

 ただ、岩手の(厳しい)自然、(厳しい)時代、(賢治に対して厳しい)人々、だけが賢治の作品に影響与えたのならば、岩手は賢治の足を引っ張る、マイナスの存在のようにも見えます。

 ダメな岩手を、理想郷「イーハトーブ」につくり変えようとしたのが賢治だとするならば、「賢治」の評価が高まるほど、逆に「岩手」の評価は下がる可能性もあります。

まるで
「岩手の中から賢治が生み出された、岩手の賢治」
ではなく、
「賢治によって岩手の価値が保たれている、賢治の岩手」
であるように。

 ただ、普通に考えれば、賢治が生きた時代の岩手にあった何らかの「豊かさ」がなければ、宮沢賢治の「豊かな」世界も生まれるはずはないと思われます。

 なぜなら、宮沢賢治は100年前の岩手に実在し、その生涯のほとんどを岩手で生きた、岩手と切り離すことができない人物だからです。

 今回の記事が50記事目と区切りの良い数字となりましたが、これからも、「宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代」をテーマに、いろいろと調べながら、まとめていければと思います。
 
 もしよければ、記事を遡って、過去の記事もご覧いただければと思います。

2022(令和4)年11月17日(木)

(終)

#自己紹介  #宮沢賢治 #新渡戸稲造 #原敬 #佐藤昌介 #内村鑑三 #斎藤宗次郎 #後藤新平 #斎藤実 #ディキンスン #岩手 #花巻 #札幌 #北海道 #北大 #盛岡 #北海道大学 #札幌農学校


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