東日本大震災と、「絆」の終焉。 -3章


(以下は2013/2/10に加えたコメント) 2章が報道、つまり発信の分析。それを踏まえて3章は受容の分析へと移る。ここらへんから発表用のパフォーマンスっぽくなってくる。まとめサイトからネタを拾ってこようというものだ。しかし、一見手抜きに見えるかもしれない内容だが……実は2章の倍以上時間がかかっている。なんど心折れそうになったことか。

 だが、いくら時間をかけたと述べたところで、次のような批判は免れない。即ち「2ちゃんねる」「まとめサイト」が、社会の全体性を表すことができるのか?という批判だ。「2ちゃんねる」の使用者が限定的であることは既に調査で証明されているので、これにはなかなか反論できまい。結局のところ、分析をきちんとできるのは「新聞」や「雑誌」くらいなのだろうか、とおもう。ところが新聞や雑誌もまた、読者は限定されている。そのうえ、「新聞」には ネット上の語りとはまた違った力が働いている。したがって、それをどう発信して受容されているのか、という問題がどうしても残されてしまうのだ…。困る。

 ただ、かなり時間をかけて調べた結果だ、ということだけを、強調しておこう。(自分を労ってやるために)

 あとは、枝野への評価が逆転していくのに注目。


(以下は2017/3/11追加コメント) 「絆」とナショナリズム、そして発信と受容をテーマにしたことにより、ここらへんで大きな限界にぶち当たっている。「ナショナリズムを語るのであれば、社会全体の動向を語れないといけない」↔「社会全体が受容するメディアなどないし、どのようにメッセージをディコードするかはそれぞれの層によって異なる」といったジレンマに直面したのであろう。

 現在であれば、こういう限界は自分自身で容易に解くことができる。(1) そもそも「ナショナリズムが高まっていく社会」を「全体として捉え」ようとしてみた場合、(2) そのような形で「社会」というものを同定しようとしたところで、「ナショナリズムに対して反発する人」は存在するから、ここで無理が生まれる。(3) すると、そうした「社会」なるものはそもそも前提の設定から誤っているか、あるいは「ナショナリズムに対して反発する人」は「社会」の内部に含まれない、ということになる。(4) この無理を抱え込まないためには、「社会全体を語る」という考えを捨ててしまえば良い。どこか特定の層における発信と受容の関係を語れば良い。逆にいえば、その程度のことしかできない。

 おそらくその程度の話なのだ。しかし、当時は北田の論に乗っかろうとすることで、こうした単純なことに目を向けることができなかった。なお、このとき私が陥った、「絆」という言葉に「社会全体」を投影してしまう (したくなってしまう) という問題については、後に「『絆』の構築と終焉」という記事のなかで分析の対象とした。これも後日再公開する。



*****



◯ Ⅲ 調査:「2ちゃんねる」からみる、「絆」報道の受容


 (1) 調査内容と調査方法

 つづいては、「2ちゃんねる」の動向を探ることで、「絆」という言葉がどのように受容されたのかを探る。先行研究に挙げた『嗤う日本の「ナショナリズム」』において、北田は「2ちゃんねる」を次のように説明する。

 ニュース・論説を含む総体としてのマスメディアは80年代以降、情報内容と伝達様式の乖離を体現してしまった。ワイドショー的構成をとった報道番組の増加は、報道をバラエティ的形式に依存させ、マス・メディアシステムとジャーナリズムとの差異を明確にしていく。90年代における《繋がり》の社会性の上昇というコンテクストにおいて、メディア・ジャーナリズム間の差異を批判する (嗤う) こと。このことによって生まれたのが「2ちゃんねる」である。

 しかし、「はじめはマスコミの建前(形式) / 伝達(形式) のズレに照準した批判であったものが、やがてアイロニー的コミュニケーションの継続を目的化するようになり、形式 / 内容 の差異を無理やりにでも読み込もうとする陰謀論的態度に帰着してしまう。」「嗤いは、もはや批判的アイロニーの機能を喪失し、内輪空間の《繋がり》のためのコミュニケーションツールとなって」しまった。そして、「建前に隠された本音を語る」というロマン的な自己像を求めてやまない「2ちゃんねらー」は、ジャーナリスト以上にジャーナリズムの理念を求めている。だからこそ、彼らはときに信じがたいほどの正義漢ぶりを発揮するのだ。

 

 北田の論を踏まえて、ここでは以下の仮説をたてる。

 「絆」という言葉は、当初「感動」「共鳴」をもってベタに迎えられた。しかし、それは《繋がり》指向のなかで、次第にネタにされるようになる。したがって、震災直後に「絆」に関してなされた報道 (①「絆」による助け合い ②「絆」への危惧 ③「絆」の可能性 ) は基本的に筋違いのものであった。「絆」は他者と接続するための道具として利用され、ある程度の流行を過ぎたのちに (ある種不遜なナショナリズムによって)「建前と本音」を読み込まれ、そして忘れられる。従って、「絆」という言葉そのものは、ナショナリズム性を一時的にしか持ちえない。

 本章では、この仮説に則り、実際に「2ちゃんねる」のスレッドを検証していく。調査にはいわゆる「2ちゃんねるまとめサイト」を活用した。調査方法としては、震災直後のスレッドと、11’末に建てられた「絆」ついてのスレッドにおけるレスの内容を比較する。

 

 調査の結果を論じるに先立って、調査における注意点と限界を簡単に書いておこう。

 「2ちゃんねる」のスレッドは特定数書き込みがされると過去ログへ収納され読むことができなくなる仕組みになっている。そのため、本調査では複数の「2ちゃんねるまとめサイト」を対象とすることになった。しかし、まとめサイトにおける情報は、管理者が元となるスレッドからレスを選出しまとめたものである。その結果当然のことだが、管理者の視点を通して内容が伝達されることは避けられない。そして、しばしば「2ちゃんねる」においてはこうした「まとめサイト」に対する嫌悪感が表明されている。そうしたズレやコンフリクトも、本論は視野にいれることができない。この点は十分に注意すべきである。

 また、「2ちゃんねるまとめサイト」がまとめる対象は、大体が「ニュー速VIP」という掲示板である。ここはそもそも、不適切なスレッドが隔離される先であり、独特の活気と毒気を持っている。「2ちゃんねる」のなかでもかなり異質な空間であり、この掲示板のスレッドをまとめたものを「2ちゃんねる」と括っていいのか、という疑問は残される。

 以上の点に注意しながら、調査の結果を確認していくことにしよう。



 (2) 調査結果:「2ちゃんねる」:震災直後のスレッドと、11’末の「絆」についてのスレッドの比較


  (a) 対象とするスレッドについて。

 比較に使用するスレッドは以下の4つである。

〔1〕ぴろり速報2ちゃんねる 2011/03/13 〔Twitterより心温まる話(東北関東大震災)〕(http://pirori2ch.com/archives/1487913.html 2012/06/21参照)
〔2〕ぴろり速報2ちゃんねる 2011/03/16 〔枝野官房長官が寝不足でヤバイ【画像あり】〕 (http://pirori2ch.com/archives/1491255.html 2012/06/21参照)
〔3〕ピカピカニュース2ch 2011/12/14 〔精神科医・斎藤環 「今年の漢字が“絆”とは笑わせる」〕(http://pika2.livedoor.biz/archives/3731532.html 2012/06/19参照)
〔4〕世界ランキング速報 2012/04/27 〔ぶっちゃけた話、東北大地震の被災者って糞うぜえよな。何が絆(笑)だよ勝手に死ねバーカ〕(http://worldrankingup.blog41.fc2.com/blog-entry-2221.html 2012/06/19参照)

 


  (b) 震災直後のスレッド (〔1〕〔2〕) について。

 スレッドの内容について見ていく前に、この時期の特徴を述べておこう。特徴として震災直後のまとめが少ないこと、とくにスレッドのタイトルに「絆」とつくものはほとんど存在しないことが挙げられる (だからこそ、対象となるスレッドが少ないのである)。〔1〕〔2〕のスレッドでも、「絆」という言葉は一度も登場しない。これは注目に値する。

 「絆」という言葉が震災のシンボルになって以降も、ほとんど「絆」とつくスレッドは現れない。「絆」という言葉が「2ちゃんねる」で注目されるようになったのは、11’夏頃になってからようやくであった。

 では、〔1〕の方から内容を見ていくことにしよう。〔1〕では冒頭においてツイッター上で語られた震災に関する「心温まる話」が幾つか説明され、その下に各「2ちゃんねらー」のレスが書き込まれている。レスの内容は、以下の3つに大別できる。①「心温まる話」を賞賛するもの、②日本人による自画自賛であると非難するもの、③非難への返答として、非難する人間の人格を疑うもの。


①「心温まる話」を賞賛するもの

292:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/03/13(日) 19:51:17.62 ID:8Pe8lAtd0
 こういうときにこう言うの見ると、日本人って捨てたもんじゃないね
375:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/03/13(日) 20:01:16.50 ID:hhrgxN3T0
  本当に日本人であることに誇りを持てる


② 日本人による自画自賛であると非難するもの

31:名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/03/13(日) 19:28:30.38 ID:bxUZ4Qxa0
  書いてるの全部日本人じゃん
36:名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/03/13(日) 19:29:05.62 ID:ShW+jCmh0
  なにこれ自画自賛?
94:名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/03/13(日) 19:35:12.51 ID:FbS8bMxM0
  偽善乙


③ 非難への返答として、非難する人間の人格を否定するもの。

45:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/03/13(日) 19:30:02.00 ID:0a8h19PS0
  お前らどんだけ根性ひんまがってんだ
178:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/03/13(日) 19:42:28.75 ID:zn2puNXn0
  素直に喜べないお前らがかわいそう


 つづけて、〔2〕のスレッドを確認しておこう。〔2〕は、枝野官房長官 (当時) がやつれていく様子を、写真によって比較するという内容のものであった。このスレッドは基本的に ① 枝野を賞賛する言葉であふれている。そしてそこに少数ながら ② 枝野を賞賛することへの違和感を述べるものが混ざっている。②のレスも、枝野を過剰評価することへの違和感が述べられているのみであり、枝野本人の人格や行動などを非難するようなものではない。


① 枝野を賞賛するもの

7:名無しさん@涙目です。(北海道):2011/03/16(水) 01:28:54.00 ID:nibcqZw20
  枝野さんステキ!抱いて!
10:名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/03/16(水) 01:29:23.27 ID:R1mWWQs60
  がんばれ技野
14:名無しさん@涙目です。(北海道):2011/03/16(水) 01:30:05.70 ID:tXi2G64o0
  おまはよくやった。
  ギブアップしても誰も文句は言わないはずだ


② 枝野を賞賛することへの違和感

16:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/03/16(水) 01:30:10.57 ID:A1+WNIBw0
  甘え
  当たり前だろ
  これぐらいで枝野持ち上げてるガキ共なんなの
88:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/03/16(水) 01:42:30.32 ID:BlJKVEuq0
  死ぬまでやりぬいたら評価してやる
  こんな有事に不眠不休とか当然だし



  (c) 11’末の「絆」についてのスレッド (〔3〕〔4〕) の分析

 スレッド〔3〕〔4〕の間で内容に大きな差はない。したがって、ここでは二つを同時に扱う。レスの内容を分類すると、以下の4種類に大別された。①「絆」という言葉を政府が連呼することへの違和感、②被災者の態度への違和感、③「絆」という言葉により被災者を排除しているという危惧、そして、④「絆」という言葉に飽きたというものである。量的には④の内容が大部分を占め、①②と結びついて語られることが多い。

 以下、①~④の例を呈示していく。とくに、2章との関係から、ここでは①の内容に注目しておきたい。先に述べたとおり、「絆」という言葉は積極的に政策の場で語られるようになったのだが、そうした「絆」連呼への皮肉がかなりの数書き込まれ、共有されていた。


①「絆」という言葉を政府が連呼することへの違和感

91:名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/12/13(火) 21:11:51.99 ID:qQUN7LC/O
  絆とは・・
  国民が放射能食物を消費することにより政府東電の補償額を少なくする施策である
97:名無しさん@涙目です。(SB-iPhone):2011/12/13(火) 21:14:06.89 ID:WvF/WITsi
  絆
  放射線被曝のリスクを国民全体で甘受すること。


② 被災者の態度への違和感

45 : 地震雷火事名無し(静岡県) :2011/12/01(木) 23:14:51.88 ID:7/dmG51C0
  みなうんざりなんだろうね、「絆」とか「頑張れ」とかっていう薄っぺらい言葉が。
  一番頑張るべき人たちが何も頑張ってないんだもんな。-
107 : 福島県民・水産(福島県) :2011/12/08(木) 21:02:40.18 ID:ODHKW81X0
  家も職場も船も失って船員保険も切れてどうやって働けっていうんだ。思ったほど勤め先なんて無いんだぞ。特に俺ら50代はな。くれくれ、言いたく無いけれどどうやって生きていけばいいんだ。氏ねってが。簡単に氏ね氏ね言ってくれるなよ。
108 : 地震雷火事名無し(SB-iPhone) :2011/12/08(木) 21:58:10.30 ID:Tcqc9w1gI
  >>107
  甘えすぎ。いい年こいて情けない。
  もっと苦しい人はたくさんいる。
  被災で保障がはいるだけまし。
  神戸の震災とか、今より全然保障なかったのに、
  きちんと立ち上がった。
  あんたたちは甘えすぎ。
  氏にたければ勝手に氏ねば?


③「絆」という言葉により被災者を排除しているという危惧

102:名無しさん@涙目です。(京都府):2011/12/13(火) 21:16:28.22 ID:UuUw83iJ0
  絆って俺も違和感あるわ
  口ではガンバレ東北東北いってたのに実際、東北の人排除してんじゃん
  京都の俺も恥ずかしいけどさ


④「絆」という言葉に飽きたというもの(①②と結びついて語られることが多い)

56 : 地震雷火事名無し(東京都) :2011/12/03(土) 00:35:52.52 ID:4JPQyXdA0
  NHKで毎日のようにやる震災後の今、的な報道とか特番はもう見てても何の感情も湧かなくなった。
  これが震災を忘れるってことだな。
  過剰な叩きもしないが、優先して支援もしない。もう空気だよ。
  報道や政府が盛り上げようとしても、はっきり言って非被災民は軒並み飽き飽きしてる。
  だからこのスレみたいに被災者を無意味に応援したり持ち上げるのを叩くのも当然の流れだなあ。-


 

 (3) まとめ:感動の全体主義化と「絆」のネタ化

  (a) 調査結果のまとめ

 「2ちゃんねる」の全体像を捉えられたとは到底言いがたいが、震災直後の「2ちゃんねる」の様子と、震災から時間が経ってからの「2ちゃんねる」の様子を比較した。震災直後のスレッドにおいては「感動の全体主義化」とも呼べる現象が起こっている。頻繁に登場する「日本人」という言葉とそれへの感動、自画自賛だと非難する者を排除する動き。これはナショナリズムの高まりの兆候であると考えられても、不思議ではない。

 しかし、「絆」という言葉に着目すると、少し違った側面が見えてくる。先述のとおり、震災直後のスレッドでは「絆」という言葉はほとんど使われていなかった。では、どの時点で、「絆」という言葉が頻繁に登場するようになったのか。それは、マスコミや政治家が「絆」という言葉を連呼することに違和感が生じた (と表明される)、その時点においてである。

 11’末のスレッドの内容は、感動へと一元化された震災直後のスレッドよりも、レスの内容が多様化している。しかし、その内容のほとんどは〝違和感〟の表明と「絆」への皮肉であった。政府への違和感、被災者の態度への違和感、被災者を排除しているという違和感。そして、「絆」という言葉への飽きと、それがいまだに連呼されていることへの違和感。スレッドはそうした違和感であふれかえっている。そして、その違和感がある種のネタ化と、「建前に隠された本音を暴く」という形式の下で表明されていたのだ (「絆」とは、「国民が放射能食物を消費することにより政府東電の補償額を少なくする施策である」といったように)。


  (b) 「絆」のネタ化

 本調査を行うにあたって、震災直後のスレッドが「2ちゃんねるまとめサイト」にほとんど掲載されておらず、探すのに苦労した。だが、その反面、たとえば11’末に「今年の漢字」が「絆」に決定されたことに関連するスレッドなどは驚くほど多かった。このこと自体が、「2ちゃんねらー」の性質を表してはいないだろうか。

 この点においても詳しくは4章で論じるとして、とりあえずここでは初めに掲げた仮説を訂正しておく。仮説では、「絆」という言葉が「感動」と「共感」によってベタに迎え入れられるとした。確かに、上で確認した通り、震災直後のスレッドは「感動の全体主義」のような雰囲気を発してはいた。この点は間違いない。しかし、実際にはそうした全体主義の場において「絆」という言葉は使われていなかったのである。

 東日本大震災が引き起こした一連の事柄において、原発問題や政府の対応などを対象に「2ちゃんねる」の「正義漢」ぶりは遺憾なく発揮された。そして、「絆」という言葉もまた、同様の対象とされたのである。「2ちゃんねらー」は日本人の素晴らしさを語るためには「絆」という言葉を用いなかった。彼らがそれを用いたのは、「絆」という言葉がメディアのなかで連呼されすぎるようになった、その後においてである。「絆」は、過剰な報道の対象となることによって、始めて「2ちゃんねる」の空間に (建前に隠された本音を暴く「2ちゃんねらー」的ジャーナリズムの空間に) 姿を現し得たのだ。皮肉という形で。

 そもそも北田の論に従えば、「2ちゃんねる」とは「アイロニカルな視線」と「内輪での接続指向」が共存するコミュニケーション空間である。「絆」もまたこの空間においては、「アイロニカルな視線」にさらされると同時に、「接続指向」を満たすためのコミュニケーションツールとしてネタ化されざるをえない。これを繰り返せば、「絆」という言葉はより急速に飽きられることになる。飽きられた「絆」は、ますます実感を伴わない言葉になっていくであろう。


 余談ではあるが、2012/06/03のスレッド「ば~~~っかじゃねえの? 枝野官房長官(当時)「メルトダウン・放射能漏れ分かり切ったことで言わなかった」」では、枝野元官房長官への痛烈な批判が書き込まれている。そして、比較的新しいこの話題も、一月後には忘れられていることになるのだろう。


718 名無しさん@12周年 :2012/06/03(日) 08:35:47.67 ID:nKB2s7xZ0
  枝野寝ろ永遠に二度と起きるな




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