CRAFTWORK「さよならを教えて」 レビュー(全体の構造) *ネタバレあり


*がっつりネタバレあり。






愛が一方通行なら、相手からの愛を期待しないで済むのなら、僕はいくらでも人を愛することが出来るのに
――無償の愛。もしそれが真理だとしたら、愛とはなんて身勝手なんだろう。だとすれば、僕は人を愛することが出来る。僕は自分が他人に愛されるだなんて思ってない。
僕が何をしたって、相手からの愛が得られるとは思わない。


 “さよならを教えて” は、一方的な愛の物語である。

 主人公は夕暮れの校舎を彷徨いながら、少女達とかかわり、歪んだ愛を抱き、傷つき、壊れていく。

 そしてラストに(実際にはかなり早い段階でわかるのだが)、少女達は主人公の妄想にすぎなかったことが明らかになる。

 自分のつくりだした妄想を、自分で愛す。これほどまでに自己中心的で自分勝手な愛があるだろうか。


 例えば、屋上の少女。主人公は彼女を、「父親にレイプされて、立ち直れずに、世界の全てを呪っている」そんな少女だと設定していく。他の少女に関してもそうだ。みんながみんな心に傷を負っている、“かわいそうな”少女という設定にする。

 そして主人公は決意するのだ。“かわいそうな” 彼女たちを、“僕が守ってあげよう”。


 “守ってあげる”。これは男の夢であり、妄想だ。

 現実でこんなことを言ったら「気持ち悪い」の一言で終わりだろう。それは妄想の押し付けにすぎないから。いわばオナニーだ。というか顔射だ。そのくらい「キモい」。


「お姫様なんて、本当にいるのかねぇ」
「いたとしても、本当に『怪物』に囚われているのか」
「あんたが、全世界の苦痛を背負わなくてもいいってことさ… たった一人で世界を救えるだなんて、考えない方がいい」


 実際に守ってあげる相手も、守るだけの力もなかった主人公は、妄想の女の子に、“守ってあげたい” という妄想を押し付けていく。

 ただ、こんな歪んだ構造が長続きするはずもない。


 “さよならを教えて” は一方的な愛の物語であり、徹底的な自己否定の物語でもある。

 なぜなら、助けようと決心した少女は、エンディングで必ず主人公によって殺されてしまうからだ。

 自分をなにかに投影して、でも自分の思い通りの理想を押し付けることにも失敗して、自分を傷つけていく。


『特別な自分』は『特別にダメな自分』でしかないのだった。
後悔のたびに、涙を流すたびに、嘘をつくたびに、自涜をするたびに、消えてなくなりたくなる。
どうして僕は僕を肯定してくれないんだ?
僕の知覚のなか以外のどこに世界があるっていうんだ?


 そして “さよならを教えて” は、救済の物語に、なりそこなった物語である。

 妄想と “さよなら” をする主人公。ここでさよならをして、そして主人公が新たな一歩を踏み出せたのなら、物語は「自己救済」の物語としてハッピーエンドを迎えたかもしれない。

 だが、この寓話はそんな陳腐なハッピーエンドを許さない。

 なぜなら、それは救済でなんでもない、ただの自我の崩壊だから。防衛機制によって作りだした妄想を、自分の手で殺してしまう。これは症状の悪化でしかない。

 “さよなら” をして現実に戻った主人公には、当然ながら何も残されてはいなかった。

 自分の中に意味を探しても、何も出てこない。からっぽ。

 徹底的な自己否定の果てに現れたのは、自己の喪失。

 

 結局、主人公は無理やり自分に意味付け加える。しかも以前よりも悪い形で。

 妄想の中に留まりながら、現実の医者(大森となえ)に依存している。自律行動すら疑わしいその構図は、最悪としか言いようがないだろう。

 そしてそのまま幕はとじる。


 

 これは、徘徊し空転する自我の物語だったのではないだろうか。

 自分の中に何も見つけられない男が、自分の妄想の世界を作りだした。これは自我の分裂・乖離。

 男は、妄想の世界の住民を愛するようになる。自己愛であり、精神的な救済でもある。この時期の主人公は一番落ち着いている。

 ところが、姉などの手によって現実を見せられる。そして妄想の世界の動揺。

 この世界に自分が存在していることを肯定するために、襲ってくるはずのない何かから少女(自分)を守ることを決意する。

 襲ってくる者 (少女たちを傷つけ、その羽根をもぐ者) は怪物である自分なのだと知る主人公は、少女である自分を殺してしまう。自己による分裂した自己の否定。

 少女たちと「さよなら」をしたところで、自分のなかには何にもないのだと気が付く。自我の喪失。

 自分のなかに何もみつけられない男が、新しい自分の妄想の世界を作りだした。そして終幕…。

 物語は一週して、さながら夢の終わりのような淋しさがプレイヤーを襲う。


 自己肯定のための自己否定。

 これが「さよならを教えて」である。


(2011/2/27に公開したもの。一部加筆訂正)



⇓もっとちゃんと書いた記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?