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家族という呪い、「絆」というゼロ記号。:序章 なぜ我々は「絆」を語りたがるのか


「ねえ、家族というのは、一種の幻想。『呪い』のようなものだと思わない? 考えてもみてよ。『家族』という名に縛られて苦しむ子供たちのことを。愛という名目のもとに、子供に何をしても良いと勘違いしている親たちのことを。彼らが本当に愛しているのは自分自身だけだというのに、子供たちはただ家族だからという理由で、親を愛し、きょうだいを愛さなければならない。」
(『輪るピングドラム』)


(朝日新聞を対象にした。詳しくは『東日本大震災と「絆」の終焉』へ。)


 このブログでは、「絆」を語ることへの圧力が上昇してきているということを (不十分な形ではあるが) 繰り返し指摘してきた。
 例えば、東日本大震災のときにあれほど強調された「絆」という言葉は、実は90年代以降から少しずつその存在感を強調させてきたものだったのである。事実、1995年の阪神大震災では、「絆」はおろか、そもそもスローガンと呼べるものすら存在していなかった。確かに、唯一「がんばろうKOBE」という合言葉があったとはいえるだろう。これは後に様々な震災で同形の文句を生み出していくことになったし (東日本大震災における「がんばろうニッポン!」のように)、その点は強調しても良いかもしれない。しかし、この掛け声は地元球団の「オリックス・バファローズ」が生み出したものであり、あくまでチームの合言葉として生まれたものでしかなかった。実際、「がんばろうニッポン!」のように広く利用された文句であったとは言いづらいのである。
 スローガンだけではない。下のデータを見てもらってもわかるように、私たちは1995年の時点で、「震災」と「絆」を結びつけるという発想を持ち合わせていなかったのである。それどころか、何かを報道する際に「絆」を問題にすることすらほとんどなかったと言って良い。「絆」は、1990年代後半以降、主に2000年代に入ってから、新聞の紙面を飾るような言葉になったのだ  [注1]。

(数値は記事件数。対象は朝日新聞)


 しかし、こうした事実をもって「我々が日常使う「絆」という言葉は2000年代以降に使われるようになってきた」と結論するならば、それは性急に過ぎるだろう。探そうと思えば、1990年代以前の本からいくらでも「絆」という言葉を見つけてくることができる。では、上で示したデータが語るのはどのようなことか。それは「絆を語る風潮が高まって来ている」ということである。なにかを「絆」と結びつけて語ることへの圧力が、1990年代後半を過ぎたあたりから高まってきている。
 そこで、疑問が生まれる。なぜ「絆」語りへの圧力が高まったのだろうか。もしかすると、これはただの一過性のブームでしかなかったのかもしれない。実際、以前の記事ではその可能性を指摘した。しかし、そう考えたところで、「なぜそうしたブームが起こったのか。そうしたブームが起こる下地はどのように用意されてきたのか」という問いは残る。
 こうした問いに答えることは難しい。(1) どう答えれば答えになるのか (それをどのように検証すればよいのか) がわからないからだ。ましてやこれまでの記事は「新聞報道」の件数ばかりを対象にしていたため、(2) このブームが新聞の紙面上だけで起こったことなのか、それとも社会のその他の分野でも同時に起こっていたことなのかを判断できないし、(3) 報道の内容を見なければ、一体何についての「絆」が語られていたのかがわからないので、「絆」ブームの内実すら理解できないことになってしまう。ブームの内実を理解できないのに、そのブームが準備された理由を答えるなど無理というものだろう。
 だから、ちゃんとしたことは述べられそうにない。ただ、ちゃんとしたことは述べられないということを認めたうえで、この記事では、ある無理やりな仮説を提示したいと思う。それは、「絆」語りへの圧力の高まりは、家族のあり方の変化が引き起こしていたのではないかという仮説だ。この仮説は、上記(3)の限界に対応するため「絆」報道を片っ端から見ていたときに思いついた。ただし、上記(2)の問題にはあまり答えているとは言い難く、上記(1)についてはもう読んでもらって判断してもらうしかない。くどいようだが、飛躍をなくしては、何事も述べられそうにないのだ。だから、一度大きく飛躍をして仮説を提示し、この仮説について語っていくことにしよう。

「家族のあり方が変化した」から「絆」語りが高まった。これが本論で扱う仮説である [注2]。なぜこの仮説へとたどり着いたのかを一応先取りして語っておこう。ただ、そう難しい発想ではない。(後の章で詳しく見ていくが) 新聞において「絆」語りが増え始めた時期に、多くの記事が「家族」と「地域」の絆を話題にしていた。ここからわかるのは、1990年代後半から2000年代の新聞における「絆」語りの上昇は、人々が「家族」「地域」についての関係性を「絆」という言葉で (執拗に?) 語るようになりつつあったことを意味していたということであろう [注3]。そのうえで、改めてこう問われることになる。なぜ「家族」「地域」についてのそのような語り方が生まれてきたのだろうか。そうした語りは、どのように準備されてきたのだろうか。もし、そうした語りの増加傾向に「家族」と「地域」のあり方の変化が関係していたとすれば、それはどのような変化であったのだろうか。
 以降の章では、こうした問いに答えるために、時代区分を設定して「家族」のあり方の変化を語っていくことにしたい。例えば1960年代に関しては「地域 (家郷)」と「家族 (家庭)」の変化を語り、1970年代から1980年代では消費社会とメディアの影響について語り、1990年代から2000年代に関しては新聞報道内容の変化を見ながら「絆」語りの変容とコミュニケーションの変化を見ていく予定だ。
 以上の青写真からもわかるように、以降の記述は、基本的に「薄い」。扱う内容が多岐に渡るため、世代論・若者論を更にどうしようもなく薄めたようなものにしかならないだろう。では、なぜこんなものを書くのか。まず、言い訳として思いつくのが、見取り図を示した上で、それをたたき台にして修正しようというものだ。ただし、これは言い訳でしかない。では、言い訳ではない積極的な意義はあるのか。
 この問いには、ある、と答えたい。実は、本論の意義と実際の狙いは、「絆」語りの変化を追うことよりも、「家族」というものを「絆」という言葉と結びつけつつ時代を追って見ていくことで、「家族とは (そして絆とは) 呪いである」という考え方を導くところにある。そのような見方を提示し、「家族」という関係を一種の呪いとして描き出すことによって、「家族」という関係における適切な距離の置き方を探り、そこに希望を見出す。言い換えれば本記事は現代社会における適切な「家族」との付き合い方を描き出すものといえるのである。ここにこそ、この記事の意義がある [注4]。
 とはいえ、ここではまだその内容を明かすことはできない。入念な準備が必要なのだ。そこで、早速次章から準備に取りかかることにしよう。次章では分析に先立って、「絆」という言葉を一種の記号として見るという見方を提示してみたい。以降、準備も含めると長い内容の記事になると思うが、どうかお付き合い願いたい。



[注1]なお、1998年の「絆」報道件数が多くなっているのは、(1) 自殺者数の3万人突破と、(2) 当時「絆」というタイトルの映画が公開されておりその宣伝が検索に引っかかっていることによる。

[注2][2018年の自分から見たコメント] 誰が見てもわかることだと思うが、この仮説は「絆についての語り」と「家族の実態」を、とくに検討することなく繋いでしまっている。しかし、実際には「語り」と「実態」はずれることの方が多い。例えば、「若者批判」が「若者の実態」とすれ違うことは多いだろう。だから、このように無反省に「語り」と「実態」を結びつけてしまうことは避けなければならない。そして、これくらいの問題は、執筆している当時の私も気がついていた。気がついていたので、いくつかの形で対応しようとしていたようである。例えば、以降の章では「家族についての語り」の変化に焦点を置いてこの問題を解消しようとした形跡も見られる。「語り」と「語り」を結びつけるのであれば問題はないと考えたのだろう。しかし、そのように問いを変えてみたところで、では「家族についての語りはなぜ変わったのか」が問われることになってしまう (これをあえて問わないという方法を採る人もいるし、そういう立場の方が安全だとは思うが、しかし読者としては問いたくなる)。そうなると、「家族の実態が変化したからだ」という説明が密輸入されやすくなり、実際のところ「実態」を語り初めてしまったりする (これは「構築主義」というものが、その価値があったかどうかはともかく、時間をかけて向き合ってきた問題の一つだ)。
 そこまで色々と悩んだ上で、「あ、この記事はもう完成しないな」と悟り、結局このメモをお蔵入りにしてしまったのだ。これは良い判断だったと言えるかもしれない。知識不足を無視するとしても、この記事には無理筋が多すぎる。その無理筋をかいくぐったとしても、完成するのは下らない世代論の一種でしかないので、コストに全く見合わない。ただ、まぁ社会学を学び始めた頃に、卒論とか関係なく数万字程度のメモで構想を練ったことは良い経験になったといえる。そのようにしてみて初めて、ものを語る際にはどのような困難にぶつかることになるのかを知って悩み考えることができるからだ。

[注3][2018年の自分から見たコメント] 新聞というメディアだけを扱いながら社会を語ってしまうことの弊害がこうしたところで顔を出している。もしかすると、ある時期から友人との関係に「絆」を使うことが増えていたかもしれない (例えば少年漫画を調べるとそういうものがわかるかもしれない)。しかし、本記事は新聞しか対象にしていないため、「友情」についての「絆」のように紙面に登場しにくいものに関しては扱うことができない。扱うことができないのに、新聞についての分析からわかったことを、社会全体の変化であるかのように論じてしまっている。この点で本論には大きな無理がある。

[注4][2018年の自分から見たコメント] そして、私はこの記事について考えるなかで、「個」としての他者という考え方や、他者との適切な距離のとり方という考え方を準備してきた。この点で、この記事は先のプリティーリズムについての記事の前日譚のようなものなのである。






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