「面白くないなら、無理して笑わなくていいよ。」


 忘れられない一言についての小話をする。

 もう8,9年前のことになったのだろうか。ゼミの飲み会でのことだった。私はいつも通り普通に酒を飲んで、楽しく会話をしていた。飲み会は取り立てて大好きというわけではなかったし、会話に困る場面もあったが、嫌いというわけではなかった。

 だが、その会の途中で、正面に座った女性に、「面白くないなら、無理して笑わないでいいよ。」と言われた。その一言は本当に唐突で、何気なく、私を鋭く貫いた。私の顔は凍り付き、動揺を隠しきれず、少し汗ばんだと思う。

 私の表情が不快感を与えるものだったのか、それとも私のことを心配してのことだったのかはわからない。彼女の性格を考えるとおそらく後者であったのだろう。「私のつまらない話に、無理してつきあう必要はないからね、あまり身構えないで」、と。そういう配慮だったに違いない。

 私はその日以来、「自分がいまどんな顔をしているのか」を度々気にしてしまうようになった。私の顔は、不自然にも自然な表情を作り上げようとし、そう意識することで自然さを失ってしまう。そのように私には思えて、そう考えることがまた、私を相手との会話から引き離してしまう。目の前に私と会話している人間がいるのに、私はその会話の内容ではなく、その会話のなかで期待されている表情を作り上げることに集中している。

 いうまでもなく、私には人の心の中身はわからない。例えば、飲み会で楽しそうに話す人が、「楽しそうに話している」ということはわかる。しかし、彼/彼女が本当に楽しいのかどうか、私のために無理をしているのかどうかは、わからない。時折、そういう疑念を全く感じさせないような人と出会うことがある。心の底から、飲み会という場にいることを楽しんでいるような、そんな人。

 そういう人でも、やはり自分がどう見られているのか、ということを気にしながらその場にいるのだろうか。それとも、そうではないのだろうか。そういうことを、何年経っても気にしている。



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