「絆」の構築と終焉。


 2013/9/13に公開した記事。同じデータを利用しつつ、絆について地震と結び付けない形で書いている。実は、この記事を公開する前に1980年代からの絆報道の内容変化を追ったレポートと、それに関連する一連のエッセイを公開していた (エッセイは未完だったが)。この記事はそこで公開していた調査を前提に書いてしまっているので、これだけ読むと内容がスカスカだったりする。でもまぁ概要はわかるので、公開しておく。

 ちなみに、当時「「つながり」についての調査って、つながりをポジティブにもネガティブにも捉えられる以上わりとなんでも言えちゃうよなー。社会調査とかもまず定義の問題のところで横滑りしてる感がすごい」と思いながらこれを書いた気もするのだが (実際にいくつかそういうものを書こうとしていた記憶もあるのだが)、そういう問題意識はあまり反映されていないかも。まぁ、調査をする前に「つながり」という概念がどう価値づけられきたかということを明らかにした方が良いし、そもそも言葉が議論をどのように方向づけてしまうのかということを (少なくとも自分は) 考えたほうが良いと思っていた。

 

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1.「絆」とはなにか。

 東日本大震災の際に、「絆」という言葉が連呼された。社会学の入門書でもたとえばソーシャル・キャピタル関連の本で「絆」という言葉が使われている。また、よくある通俗の現代社会論は、「絆」という言葉を使い「絆」の〈喪失〉や〈再生〉を語ってきた。「絆」という言葉は様々な場面で利用されてきたのである。しかし、この記事では、そうした「絆」語りからは距離をとることにしよう。

 そもそも「絆」とは、実在している (手で触れられる様な) 何かではなく、客観的な対象でもない。したがって「絆」というものが問題とされる場合、そこには「絆」を問題だと考える“人々”の目がある。

 このように「絆」が人々によって問題とされたものであるならば、問うべきことはほんとうに「絆」の〈喪失〉や〈再生〉なのだろうか。それ以前に、そもそも「絆」とは何を指し、その〈喪失〉や〈再生〉とはなにを指すのであろうか。そうしたものを語ることにどれほどの意味があるのか。あるいは、そうしたものを語りたくなってしまう我々の視点こそが、分析されるべきものであり、反省されるべきものなのではないか。

 私には、「絆」という語は問題の所在をどこまでも曖昧にしていくものにみえる。「絆」の定義ができない以上、「絆」についての議論はどこまでも横滑りを続け、その問題はいつまでもどこまでも解決できないような、あるいは逃げ水のようにいつまでも捉えられないようなものになるだろう。

 したがってまずは、「絆」が関係する問題について語る前に (「絆」を問題視する前に)、「絆」そのものについて語るべきだと思うのだ。「絆」という語はどのように人々の語りに現れるのか。人々は「絆」にどのような問題を託したのか。


2.「絆」報道からみる、「絆」の問題化

 実は、「絆」が報道の現場で社会問題と関連付けて語られるようになったのはつい最近のことである。朝日新聞のデータベースで「絆」という言葉で件数を検索してみると以下のようになる。自殺者数が3万人を超えた98年や新潟で地震のあった08年などが目立つが、全体の傾向としては右肩上がりなのがわかるだろう。 

 また、阪神淡路大震災(95年)と東日本大震災(11年)の後に行われた朝日新聞の世論調査を比較すると、二つの震災を語る視点が変化していることが語彙の変化からわかる。読み比べてみてほしい。

【資料】阪神大震災についての世論調査

 大きな被害を出した阪神大震災から、年が明けるとまもなく一年になる。朝日新聞社が十七、十八の両日に行った世論調査によると「阪神大震災のような大地震が自分の住んでいる所で起きる」という不安を感じている人は六五%で、半年前の六月に行った調査の六四%と比べ、ほとんど変わっていなかった。 しかし、防災用品の準備や家具の固定など、地震に対する備えは「阪神大震災直後は考えたが、とくにしていない」という人が四五%で最も多く、以下「考えていない」二三%、「震災の後で備えた」二一%、「震災の前から備えていた」一〇%の順。こちらは「のど元過ぎれば熱さを忘れる」の傾向が出ているようだ。 (…)「阪神大震災の経験は、あなたの住んでいる自治体の防災対策に生かされていると思うか」という質問には「生かされている」三〇%に対し「そうは思わない」五八%と、否定的な見方が多数を占めた。 調査は、全国の有権者三千人を対象に面接方式で行い、二千二百四十七人から回答を得た。有効回答率は七五%。

(1995/12/22【震災直後は考えたが「地震対策なし」が68% 朝日新聞社世論調査 】)



【資料】東日本大震災についての世論調査

 朝日新聞社が実施した世論調査(郵送)によると、東日本大震災後の日本社会をみて、人と人の絆を「実感した」と思う人が86%に達した。震災後に寄付など何らかの支援活動をしたと答えた人も85%にのぼり、被災地を支えたいとの思いの広がりを感じさせた。震災後、日本社会の絆をどの程度実感したかを4択で聞くと、「大いに実感した」36%、「ある程度実感した」50%で、「あまり実感していない」11%、「まったく実感していない」2%だった。

(…) 震災の前後にこだわらず、一般的に日本社会の絆の強弱について聞くと、「強まっている」は14%、「変わらない」26%で、「弱まっている」が54%と半数を超えた。だが、「弱まっている」という人でも「震災後の日本社会の絆」については85%が「実感した」と答えている。

近所の人や地域社会の絆については「弱まっている」と答えた人が53%にのぼった。しかし、「大きな災害にあった時、あなたの地域では助け合っていくことができそうだと思うか」との質問には、68%が「できそうだ」と答え、「できそうにない」の26%を大きく上回った。調査は全国の有権者3千人を対象に2月上旬~3月中旬に実施。回答率77%。

(2012/3/21 【震災後「絆を実感」86% 朝日新聞社世論調査】)


 前者が〈不安・備え・対策〉をキーワードにしているのに対し、後者が〈絆・助け合い〉という言葉をキーワードにしているのがわかるだろう。それもそのはず、阪神大震災の当時、「絆」と地震はほとんど結びつけられていなかった (以下のグラフを参照)。震災の規模を考慮してもやはり、「絆」報道は明らかに少なかったのである。


 簡潔な検証ではあったが、ここまでをまとめると次のことがいえる。「絆」は、ここ20年の間に社会問題を語るためのキーワードとなった。比較的新しい言葉なのだ。

 そして「絆」は、〈地域〉や〈家族〉、〈自殺〉や〈ひきこもり〉や〈学級崩壊〉という問題を語るための便利な「カテゴリー」としてつかわれるようになった。この「カテゴリー」は、明確な範囲を持たないために、あらゆる問題を包摂していく。(*2017/3/15追加コメント:当時、この記事よりの前に「絆」報道の内容の変化について調査したものを公開していた。以下の記述はこの調査の結果を前提にしている。この記事も出来れば後日公開したい。)


3.「絆」という語の変化

 いや、しかし「絆」という言葉は80年代にも、それ以前にもあったはずだ。別段新しい言葉ではないはずである。なぜ「絆」なのか。

 実をいえば、なぜ「絆」が問題を語るためのキーワードとしてピックアップされたのか、その経緯はよくわからない。何度か調査・考察はしたがいまだ納得のいく答えはでていない。 (*可能性レベルの考察なら、以下の記事で触れた。:https://note.mu/siteki_meigen/n/nd785048c1bb4?magazine_key=mb9a7c188776f )

 したがってここでは、なぜ「絆」なのか、という問題を保留にしておく。そのうえで「絆」という語が変化しつつあるということだけを指摘しておこう。例えば、東日本大震災の後、「キズナ」「KIZUNA」「kizuna」をキーワードにした海外への広報活動がはじまったことは記憶に新しい。

「外務省 キズナ強化プロジェクト」http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/kizuna_project.html

「JICE-KIZUNA」 http://sv2.jice.org/kizuna/what/about/

「kizuna311 - 助けあい、乗りこえる。私たちの財産は、[ kizuna ]」 http://kizuna311.com/

 これらの活動の内容には踏み込まない。とりあえず、「キズナ」「KIZUNA」「kizuna」という表記に注目しておいて欲しい。

 これを踏まえたうえで、ふたたび新聞記事の話にもどろう。先にグラフで示した通り80年代の新聞記事に「絆」報道はほとんどなかったのだが、数少ないこの時期の記事にはあるひとつの特徴があった。ほとんどが海外に関連する話題を取り上げた記事だったのである。詳しい理由はわからないが、あまり深読みをせずに、訳出上の都合だと考えておく。また、これは当たり前のことなのだが、80年代の邦訳本のなかでも「絆」という言葉は出てくる。(なんでもよいのだが、すぐに思いつくのだとフーコー『自己への配慮』など。) ここからわかるのは、少なくとも80年代においては、「絆」とは翻訳可能な言葉であったということだ。

 再び2011年に目を転じてみよう。先に見たように、2011年には「絆」は、「キズナ」「KIZUNA」「kizuna」という〈翻訳不可能なもの=なにか日本に固有のもの〉に変容している。これまである英語への訳語としても違和感なく使われていた「絆」が、日本語のまま表記しなければ抜け落ちるニュアンスを持っているということになってしまったのである。そして、だからこそ「kizunaを国際語にしよう!」などと臆面もなく言えてしまえていたのだ。これまで邦訳本の中でも普通につかっていた「絆」という言葉を国際語にしようなどと考えるのはどこかで理屈が転倒してしまっているのだが、そういうことを違和感なく行えてしまえるようになったのである。我々は「kizuna」という「日本固有の概念」をこの20年程度の間で構築してしまったのだ。

 また、「絆」という文字には、〈きずな〉という読み方の他に〈ほだし〉という読み方があった。同じ漢字であっても、〈きずな〉と読んだ場合にはポジティブな意味を、〈ほだし〉と読んだ場合にはネガティブな意味を一般にはもつ。先の「キズナ」「KIZUNA」「kizuna」という表記からわかることは、2011年の段階で「絆」は〈ほだし〉という読み方を失いつつあり、〈きずな〉というポジティブなものに一元化されつつあるということだ。先に挙げた「kizuna」関連広報の内容を見ても、「kizuna」の意味内容は基本的にポジティブなものとして設定されている。東北 (あるいは日本) が持つ「絆」をそこまでポジティブなもののみとして捉えられるかどうかは大きな疑問だが、ここでは「絆」を「kizuna」としてしか読ませないことで、そうした問いが初めから排除されてしまっているのである。

 以上の比較と考察はかなり恣意的であるが、しかしひとつの可能性を示唆している。「絆」という語は、社会問題を担い続けるうちに、その意味内容を複雑化・単純化させてきた、という可能性を。

 複雑化とは「絆」が担う社会問題が多様になるにつれて、「絆」という語自体の意味が多様になったことを指す。実際に報道内容の変遷をみると、「絆」ははじめ海外に関連する記事に、つぎに家族を語るために、そして2000年代にはあらゆる内容を語るためにつかわれるようになった。イベントの名前や映画の作品名に「絆」という文字が増えはじめるのは2000年代であり、まさにここでは「絆」という言葉の氾濫が起こっている。「絆」はもう何にでも接続されうるようになり、それゆえにあらゆる意味や問題意識を担えるようになった。(*すべて以前の調査結果から。) こうした過程で「絆」は翻訳しがたいものへと膨れ上がっていったのであろう。

 そして単純化とは、「絆」が〈ほだし〉という意味を失い、〈きずな〉というポジティブなものに一元化していくことを指す。「絆」が持つネガティブな意味はもはや忘れられつつあるのではないか。(少なくとも朝日新聞記事を見ている限りでは、完全に忘れられているようだ。) 元来、「絆」とは動物をつないでおく紐を指す言葉であったと言われる。要するに、単に「つなぎとめるもの」のことを表していたのである。そのようなものであった以上、「絆」とは当然ネガティブなものでもポジティブなものでもありうるし、それ以上具体的な意味を方向付けられない性質の言葉であったはずだ。だが、「絆」を「kizuna」に一元化するとき、そのつながりが持つネガティブな側面は、巧妙に隠されてしまうことになる。問題化も、そのような土台のうえで行われるようになってしまう。

 

4.「絆」とはなにか。

 まとめに入ろう。この記事で明らかにしたかったことは、以下の事柄である。

 「絆」はこの20年の間にさまざまな社会問題についての語りを担い続けた。それは「絆」という意味の変容の過程でもあったのだろう。「絆」はこの20年の間に、社会問題を担うための新しい言葉として、次第に変容してきたのである。「絆」とは、あらゆる社会問題を包摂する、新しい「社会問題のカテゴリー」なのだ。

 カタカナやアルファベットで書かれ、「キズナ」という読み方へと一元化された絆。「絆」はもはや辞書で書かれた意味を欠落させつつ大きく超えた、全容の把握しがたい言葉に化けてしまった。冒頭でも述べたが、このように変化した「絆」という言葉をもって社会問題を語ることは、問題を複雑化させていくことにしかつながらない。あらゆる問題は、「絆」を抜きにして語られなければならないのである。





***以下、補足というか、この記事では書かなかったこと。***


 そしてまた、「絆」とは〈呪い〉である。

 距離的に離れたものを結びつける。あるいは「結びつかないといけない」という痛みを産む、という両方の意味で。結びつける機能と、結びついてないことに痛みを与える逆機能を持つ、といってもいいかもしれない。

 したがって、「絆」という語自体は、おそらく大事なのだと、私は考えている。たとえ繋がりが切れてしまったとしても、たとえそのつながりが幻だとしても、すくなくとも、〈つながろう〉という意志を、「絆」は伝えることができる。「絆」がもつ規範・倫理としての機能を等閑視してはいけない。(関連記事:https://note.mu/siteki_meigen/n/n7d258ea0ffa4?magazine_key=mbf10a165a92f )

 しかし同時に、その「絆」という言葉が痛みを生むことがある。つながらなければ、「家族」でいなければ…。こうした痛みを産むという逆機能を「絆」という言葉が持つことも、忘れてはならない。


 最後に、地震において露呈した問題のなかで、実は「絆」という言葉が担いきれない問題があったことを指摘しておく。それが原発の問題であった。

 原発の問題は「絆」という言葉では包摂することのできない問題であり、そのために、「絆」という言葉に対する不信感が生まれてきた。「絆」「絆」と繰り返すが、そうしたキレイ事を抜きにして、実際に国はなにをしているのか。本当の問題を隠しているのではないのか…。(実は「絆」論ははじめ、この問題を中心に論じていた。: https://note.mu/siteki_meigen/m/mb9a7c188776f )

 したがって、変容を続けてきた「絆」という言葉は、東日本大震災によって大きく取り上げられ、まさにそのことによってその流行を終焉させてしまった、とも考えられる。あそこまで「絆」を強調させた東日本大震災が、20年に渡る「絆」の流行に終止符を打ったのである。

(*2017/3/16追加コメント:面白いことに、近年「絆」という後は政策の現場からもめっきり姿を消したようだ。ざっと検索した限りの知見ではあるが。「絆」という語が掲載されていてしかるべきであろうと思い経産省の「世界が驚くニッポン」も見たが、意外にも「絆」という語はなかった。追跡調査等くわしくは行えていないが、やはり「絆」という語はひとつの流行を終えたと考えてよいのではないだろうか。)





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