FFXVのストーリーデザインはどのように改善できるか? - FFXV感想・妄想記事 (ネタバレあり)


 40時間程度でクリア。いくつか簡単に書いてみたい。

 制作の事情も考えず、適当に「ストーリーこうしたら良かったのにな~」と妄想する記事。




**ネタバレあり**

 


 まず、欠点は多いがそれを差し引いてもなお良いゲームだったとは思っている。全体としてのストーリーはともかく、4人の旅としては非常に素晴らしいものだったと、寄り道を楽しんだ身としてはいえる。


 それを断ったうえで、この記事ではあえて、大きな問題があるということで大方の意見が一致しているであろうストーリーについて考えてみよう。主軸は良い。(1) 星の病を治そうとしシガイの原因を吸収していたアーデンが、(2) 王家に元凶扱いされることで王家を恨み、(3) かつシガイの影響で不死になってしまう。それがノクトの旅を経て (3)' 自身は消滅し、(2)' 同時に星の病も消滅し、(1)' 王家も途絶えさせることに成功する。これはアーデンの壮大な復讐と星の救済と自殺の物語であり、だからこそアーデンはノクトたちの旅路を不可解なまでに手助けする必要があったのである。

 このように理解すれば、アーデン周りの設定は現状のままで良いように思える。他方で、アーデンというキャラクターが魅力的に描かれていたかは疑わしい。なるほど藤原啓治の演技によって不思議な魅力をはらんではいるが、その人格を描き出すことができていたかといえば疑問は多いといえるだろう。ルーナやノクトはアーデンを「眠らせる」ことが重要だと気づいていたらしいのだが (リヴァイアサン戦やアーデン戦)、肝心のアーデン自身が自分についてどのように考えていたのかが明示されることのないまま終わってしまった。その結果、主人公の目的やライバルとの因縁は描写不足のままに終わってしまう。物語に深みを与え設定を掘り下げていくチャンスはドブに捨てられてしまったのである。この点は非常に残念であったし、FFXVの最大の弱点であるとすら私は思う。スタッフは何よりもまずアーデンというキャラの書き込みを重視すべきであり、ここが十分であれば道中に問題があれどそれなりのラストを迎えることができたと思うのは私だけだろうか?


 そうした課題を解決したうえで、その次に初めて、帝国を描き出すことが求められる (ノクトとアーデンの関係を中心にもってくるのであれば、帝国はあくまでその関係を惹き立てるものとして設定を絞り込む必要があろう)。さて、これに関してまず第一にいえることは、レイヴスは (諸般の事情でカットできないことはわかるのだが) カットしてしまっても問題はないということだ。もちろん、時間と予算が余っているのであれば、ルーナと関係の深い人物を帝国側へ置くことには大きな意味があるだろう。ドラマの深めようもあるかもしれない。しかし、「意外性のある設定」とは、「多くの、かつ納得のいく説明を要するもの」である。したがって、その設定を消化するためには必然的に多くの労力が必要になる (あるいは、陳腐な説明が持ち出されて、プレイヤーは肩透かしを食らうことになる。マンガに例えるなら浦沢直樹作品の多くのように)。だから、まずここは時間が限られている以上、真っ先に削るべき部分だったといえる。

 そのうえで、レイヴスにかける分の労力をイドラに割くべきだったのではないだろうか。帝国が内部から崩壊しつつあるとするのは良いが、単純に「旅の目的」を不明瞭にしないためにも、プレイヤー自身の手で (シガイではない) イドラと一度正面から戦うべきであったように私は思う。ルーナの喪失によって目的を失ったプレイヤーに対して、ひとまずの達成感を与えることはゲームをデザインするうえで重要なことであったように思えるのだ。まずイドラと戦い、その後で、アーデンが現れて倒れたイドラをシガイ化するなどして、終盤の展開に持ち込めば良い。このようにすれば、ストーリーに関するスカスカ感のいくらかは解消できたように思えるし、「二国間の戦い」が「星の戦い」へと移っていくという当初の想定も、(最低限の形でではあるが現行のFFXVよりは明瞭に) 描くことが出来ただろう。だから、レイヴスをチャプター13のボスとして登場させる労力を使って、イドラ戦をちゃんと作るべきであったと繰り返し強調しておく。

(*言うまでもないが、レイヴスを納得の行く形でボスにするよりも、イドラをボスにするほうが労力は少ない。「父の仇」である以上ノクティスにはイドラを倒す強い動機があるし、ノクトの感情の高ぶりを描くのも容易であろう。きちんと描きこまれた序盤のストーリーも活かすことができる。なんなら、ノクトがイドラを倒すために我を忘れて暴走するなどのシーンを入れても良い。OMENトレーラーを作ったスタッフも報われるというものだ。そこで (アニメ版のように) 仲間が呼びかけて思いとどまらせれば共に旅をしてきたことの意味も強調できただろうし、ルーナの回想かなんかで思いとどまればルーナの印象の薄さも拭えるだろう。そのときに指輪が活かされれば、あの無意味な指輪へのイライラも抑えることができる。いっそ天国の父からの謎パワーとともに剣が届けられても良い。「父と子」を強調していたわりにほとんどその設定を利用できていないのだから、こういうときにこそ使うべきである。たとえどんなにご都合主義で古めかしいものでも、そこらへんに落っこちているレイヴスの手から剣を引き抜き、脈絡なく無意味にシガイ化した皇帝を片手間に倒す現状の無意味なストーリーよりはマシである。)


 さて、ここまでに述べたことに注意すれば、物語の中盤 (帝国との戦い) と終盤 (アーデンとの戦い) のデザインを現状よりも多少マシに描き出すことができるように思える。それをふまえつつ、序盤の目的を設定していくことへと話を進めてみよう。FFXV序盤における旅の目的とは、間違いなくルーナだ。

 ルーナに関しては、死亡するという展開自体は別に否定すべきものではないように思われる。(FFXVをどこまで野村の影響がある作品と考えていいのかわからないし、そもそも私はスクウェア作品をあまりやったことがないのだが) この点で参考になるのは野村作品では『キングダムハーツ』(初代) であろう。『キングダムハーツ』は、基本的にカイリと王様の不在をめぐる旅であった。旅の当初の目的である王様とカイリには、いつまで経っても会うことができない。途中でまみえることがあれども、カイリ・王様ともに、まるですれ違うかのように出会い、そしてすぐに別れてしまう。では、プレイヤーはこの展開に対して大きな不満をもったか? それほどではなかったように思える。必ずしも十分な説明があったわけではないラストシーン (カイリとの別れのシーン) であっても、多くの人が感動したのではなかったか? なぜ多くの人が感動したかといえば、それは偏に演出とラストにいたるまでの度重なる回想のおかげであったように思える (演出の巧みさに関しては、『キングダムハーツ』EDを知っている人であれば理解できると思うので、多くは語らない)。

 翻って考えてみよう。カイリの不在が大きな不満点とはならなかったように、ルーナの死亡も、それ自体に大きな問題があるわけではない。いや、その後のストーリーのなかで何も活かされていないあたりほんとは問題だらけなのでそれは改善する必要があるが、ともあれルーナの死は活かそうと思えば十分に活かす余地を残した設定ではあった。しかし、今作は、指輪の意義の薄さやルーナのバックストーリー (KHにおけるカイリの回想に値するもの) の描かれなさゆえに、ほとんどルーナが死ぬ意味がなくなってしまっている。「ただ少しばかり衝撃的な展開を入れたいから制作の都合で殺した」程度の扱いにしかなっていない。

 正直なところ、制作には (レイヴスのストーリーの改善・拡充なんてどうでもいいので)、この部分をほんとうになんとかしてほしい。ルーナがノクトの裏側でどのような行動を採っていたのか (これはキングスグレイブでそれなりに描かれているが)、そしてルーナの行動がノクトにどれほどの影響を与えるものなのか。この描写を十分に行わない限り、ストーリーの空虚さを拭うことはできないだろう。


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 最初に述べた通り、4人の物語としては本当に良いものであった。「旅」をしたという充実感は無二のものであろう。だから、この基本部分は完成されているし変えなくて良い。そのうえで、現状のリソースを活用して、現状よりも話をコンパクトに、かつ意味のあるものにするためにはどうすれば良いかを考えてみた。

 誤解してほしくはないのだが、私はFFXVをかなり楽しんだし、わりと好きだ。87点くらいならあげていいと思っている。そして、楽しんだからこそ、ストーリーの惜しさがどうしても辛い。同じ時間と労力でも、もう少しまとまりのあるものを描けただろうと思わずにはいられない。ほんとうに、この点がどうしても残念で仕方ないゲームであった。



 



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