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『夜と霧』を読みました。

フランクリン『夜と霧』を読んだ。画像は特に関係ないです。よい絵。

「わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ」という考えがとても新鮮だった。

私は今、普通に暮らしながら、幸福だったり、絶望したりしていて、たまに人並みに死にたいななんて思ったりしている。今私は人生の岐路に立っていて、これから先、どうやって生きていこうか必死に悩んでいる。そうすると、何で生きているんだろう、なんて思うことがあるのだけど、でもそうではなくて常に人生から私に問いかけてくるものを今この瞬間答えていけばいいのかしらと思っている。解釈がまちがっていたらごめんなさい。

苦悩もまた、生きる意味のひとつだと言います。
まったく、人間の生存本能みたいなものは恐ろしいなあと思う。苦しいと思いながら、死にたいと思いながら、それでも生き続けるのは人間の遺伝子レベルで生きなければならないという意識があるのだろうと最近考えている。私たちは生きることから逃れることはできない。そう思うと自殺を選択してしまうというのは相当のことだとも思う。

収容所生活の中で、生きる目的を失い、未来に失望した者たちは精神的にたちまち崩れていったという。けど、私は生きることに目的を見出す必要性はないと思っているし、未来に希望をもつ必要もないと思っている。今のところ。生きることは無意識レベルで刻み付けられた人間の行為であり、それに目的を見出すことこそナンセンスなんじゃないのかしら。
そういえば、ゲド戦記でテルーが「私は生かされた。だから生きなきゃいけない。」みたいなことを言っていた気がする。ゲド戦記をちゃんと観たときに、この言葉を聞いてすごく腑に落ちた感覚があった。これです。フランクルが言いたいのこれと一緒なんじゃないかしら。私たちは誰かによって生かされている。そういうことなのかなと思っている。

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