映画『マザーレス・ブルックリン』(2019)感想
要約:段々と明かされる事件の背景と、それにつれて増してくる身の危険。そのせめぎ合いの解決方法は評価が割れそう。音楽がとてもよい。
◆ネタバレありについて
本文は劇場、DVD、ストリーミングサービス問わず、鑑賞した映画の感想を内容に踏み込みながら述べた文章である。
ネタバレなしで感想を書きたいとも思ったが、結局内容と密接に関係しており、感想を読めばどうしたって作品のおぼろげな輪郭は見えてしまう。
そうした「雰囲気的なネタばらし感」も含めて「ネタバレあり」で取り扱っている。
◆予告編
本作は劇場で鑑賞した。2020年2月1日現在公開中の作品である。そろそろ国内の劇場では公開が終了するとみられるが、予告編を下にリンクしておきたい。
◆プロローグ
私立探偵フランク・ミナの助手ライオネルは写真記憶を持ちミナに重宝されていたが、トゥレット症候群という実にやっかいな疾患を抱えており、対人関係に支障を来し仕事では苦労していた。
その日もいつも通りミナの指示で張り込みをしていたが、計画の最中にミナは撃たれてしまう。残された手がかりを元にライオネルは調査を続けるが、ミナの言っていた「デカいヤマだ」という言葉は、単にデカいだけでなく、暗がりを増し身の危険を増幅する想像を超えた巨大なヤマだった――。
◆冒頭の一文
本作はなかなか手の込んだサスペンス、もしくはスリラーである。
舞台は1950年代。パンフレットの解説によると1957年だそうだ。公民権運動の真っ最中であり、本作もそれが非常に深く関わっている。そしてそれは今回の事件が単なるターゲットとなる個人の身辺調査の域を遙かに超えた、バックになにか巨大な組織が居座っていることをも、同時に示している。
それは冒頭、以下の一文で端的に示唆される。
it's excellent to have a giant's strength, but it's tyranny to use it like a giant.
「巨人の力を持つのはすばらしいが、その力を巨人のように使うのは暴虐だ――シェイクスピア」
tyrannyという言葉は「圧政」「暴虐」「専制」といった意味で、もともと古代ギリシア語からきているそうだ。一番なじみ深いのは「ティラノ」サウルスだろう。かなり強い政治的な、権力的な意味合いを示す言葉だ。
このフレーズの出自を調べてみた。これは、シェイクスピアの戯曲『尺には尺を』(Measure for Measure)の第二幕 第二場のもので、イザベラという人物の台詞である。
この場面は、彼女の兄が婚前交渉でとある貴族の女性を妊娠させたかどで死刑を宣告されたため、取りなしを求めて公爵代理を訪れたところである。
公爵代理は性道徳には厳格という触れ込みで、とても嘆願など聞き入れてもらえるはずはなかったが、イザベラの予想に反して公爵代理はこう言い放った。
「俺に抱かれれば言うことを聞いてやる」と。
イザベラは権力を欲望のために振るう彼に対し、痛烈な言葉を浴びせた。それが巨人のたとえである。
この戯曲を観たことがある人なら、本作の内容がまさにこの言葉の示すとおりであるとわかるはずだ。
◆感想
端的に言えばサスペンスであり、最近はやりの「ジャイアント・キリング」ものであるが、どんどん闇が深くなり、相手が巨大になり、全容がしれるに従い調べたことがどんどんリンクしていく様子は見ていて愉しかった。
ただ、相手があまりに巨大なせいか、解決それ自体は目に見える形できっちりと描写はされず、それを示唆するにとどまる。なので張り詰めた緊張が緩みはするが、すっきりカタルシスをえられるかというとそうではなく、情報を知る前からほんの少しよくなっただろう日常を想定できるだけだ。
そこが不満と言えば不満だし、にやりとさせられる勝利宣言のようにも思えるし、評価は割れそうだ。自分はこういうのが好きなのでにやりとした。
また、俳優たちも生き生きしていて、その場でそのように生きているのがわかるような現実感がしっかりあったし、心を動かされた。
そしてなんと言っても音楽。素晴らしい。ジャズだから素晴らしいのではない。
・作品世界に最もしっくりくること
・登場人物にしっかり寄り添って必要不可欠な要素になっていること
・シナリオ上重要な役割を果たしていること
・何より聴き応えがあること
こういう理由があるからだ。単体で聞いてもいい曲揃いだが、やはり画面と一緒に聞くとたまらない。
背景となる情報量は多い作品なのだが、その背景をたとえ知らなくてもしっかりついて行けるようになっていた。おそらくこれは50年代がどういうアメリカだったのか、今のアメリカ人すらもちゃんと知らない人が多いのを示していると思う。つまり観客のアメリカ人にもある程度説明が必要なので、作中では色んな要素を用いてそれを知らせてくれる。
今回は字幕しかなかったので字幕で観たが、チャンスがあれば吹き替えで観てみたい。こういう作品は字幕だと情報量が少ないし、文字を読んで映像を見るのはなかなか大変な作業だから。
◆原作との違い
本作は原作小説を元にしているが、原作は執筆当時の90年代を舞台にしており、映画とは年代が全く違う。大きく脚色されて原作小説通りにはなっていなく、原作そのものの映像化を観たい人はずっこけてしまう作品だ。
パンフを見ると作者と直接話し合って時代設定を変えたとのことだ。
これは今敏『パプリカ』のようなものだ。
あれも原作と映画が全然違っているのに「これはパプリカだ」といえる作品になっていた。なぜなら、あらすじを共有するのではなく、作者が表現したかった世界観を共有して映像化したからだ。
本作もきっと作者が表現したかった世界観を描き出しているに違いない。小説はまだ読んでいないが、今度買ってみようと思う。
◆1950年代への思い
公民権運動、ジャズ、発展するニューヨーク。
映画に出てくる車や建物や服装や音楽など、50年代を表す映像がふんだんで、本当の50年代を知っている人がどう思うかわからないが、雰囲気をたっぷり味わえた。監督が相当研究を重ねていたとのことである。
また、本作が志向しているいわゆるフィルム・ノワール自体が40~50年代のものであり、自分のすくない映像体験でパッと思いつくのは『市民ケーン』『第三の男』など。時代背景で言えば単純に思いつくのは『マルコムX』だった。
そもそも黒人差別と戦う映画は枚挙にいとまがないが、2020年2月28日から『黒い司法 0%からの奇跡』(原題:Just Mercy)が公開される。1980年代に殺人のえん罪で死刑宣告を受けた黒人を救う弁護士の物語だ(以下は予告)。
1980年代の黒人差別と言えば『タイタンズを忘れない』が思い出される。『黒い司法』と同じく実話が元になっており、作品としてもよくできていておすすめ。
◆キャストのこと
主人公ライオネルはエドワード・ノートン。演技派だ。『ファイト・クラブ』しか観たことがないが、印象の強烈な役だったし、今回も強烈な人物を演じ、しかも監督脚本もこなしている。Wikiをみたらまぁ頭のいい人らしく、研究家肌なのかなと思った。
私立探偵のフランク・ミナはブルース・ウィリス。『ダイ・ハード』シリーズでタフな警官を演じていたが、今回は重要な役ではあるものの出番がほとんどない。
ミナが調査していた女性、ローラはググ・バサ=ロー。2017年の『美女と野獣』に出演しているとのこと。正義感に溢れる強さと、プライベートで見せるか弱さとが非常によく出ていて、いい役者さんだなと思った。
ニューヨーク市の監督官にアレック・ボールドウィン。『レッド・オクトーバーを追え!』ではきりっとしてたが、もはや太ったおじさんとなってしまい、似ても似つかぬ(目は同じ)。色々賞を取っている実力派で説明の必要などないが、『私の中のあなた』の秘密を抱えた弁護士の役など、一癖ある人物をやらせたら最強の部類ではないだろうか。
ニューヨークの市政に憤慨している貧乏な男はウィレム・デフォー。この映画贅沢だな。アレック・ボールドウィンかウィレム・デフォーかどっちかでもすごいのに。この人のすごいところはその人物に溶け込みきることだと思う。
いつも映画を観るときはキャストが誰なのかをはじめに調べたりしないので、予告で出張っていたノートンとウィリスくらいしかみてなかった。この人が画面に出るたびあれ? と何度も思った。デフォーだよなぁ…と。ブルックリンの一市民が演じてるのかと一瞬本気で納得しかけたわw 役者ってすごいよな。
◆おわりに
エドワード・ホッパーというアメリカの画家は、ちょうどフィルム・ノワールの年代にニューヨークの薄暗さ、静けさ、寂寥感を描いた作品が有名だ(ナイトホークが最も有名で、自分も好きな作品)。パンフにも書いてあるが、この画家の絵のような雰囲気を作品から感じとれたのはうれしかった。
ニューヨークと言えば『ワーキング・ガール』(古いなぁ…)のような華々しさもあれば、『偉大なるギャツビー』のように華やかさの中に隠された犯罪のイメージもあるし、一方で全国的な黒人の公民権運動にみられるように、白人と黒人の差別や分断のような闇の側面もある。
人が集まる大都市はそれだけで何か言いようのない魅力が詰まっているが、これほど一貫してめまぐるしい都市もないのではないか。
こうしたぐつぐつ煮えたぎるような都市の毎日から生まれてくるのは、やはり熱いドラマなんだろう。本作はノワールの冷たさを投げかけてくるが、それを作り上げる監督やスタッフ、キャストの熱い思いはしっかり受け止められる作品だと思う。
残念ながらもう公開は終了するが、レンタルやオンラインなど視聴をおすすめできる。
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