デッサン1

絵は「上手く」なっても意味がない。

皆さん、絵を描いていますか?

仕事柄絵を描くことが多い(当たり前)のですが、

絵を描くということについて少しお話ししていきたいと思います。

あくまでこれは個人的見解なので、うっとうしいと思った方はそっと閉じて頂いて結構です。


普段絵描くことを趣味にしている人、

仕事で描いている人、

ストレス解消のために描いている人、

その動機は千差万別、色んな理由があると思います。

生きていくために必要な人にとっては、

人が息をするのと同じぐらい必要な、生命活動になっている人もたくさんいらっしゃいます。


そういった中で、絵画教室をやっていてすごく良く言われるワードがあります。


「絵が上手くなりたいんです。」


頭に”安西先生”をつけたらちょっといい話になりそうな日本語ですね。

上手くなりたい、そう思うのは当然だと思います。

今思い描いてる「上手い」がそのまま絵に出来ればどれだけ良いことかと思う心理は当然だと思います。

ただ、これだけは知ってほしい。

いつまでも想像通りの「上手い」には辿りつきません。


これは何故か。

それは、絵を描きたいと思う理由の根底に、自身のアーティストとしての無意識がのっかるからです。

もう少し具体的に言うと、画家として生きている人たちは自分の絵のゴールを決めているわけではなくて、いつまでも絵の可能性を追い求めているのです。

そういう生き物なのです。


「絵を描きたい」と思った段階で、自分の中のアーティスト精神が呼び起こされていて、それは探究心をもって長い旅に出発するのです。

そしてそのゴールはありません。

「やったーここがゴールだー」

と思った時点で、アーティスト生命はそこで試合終了です。(伏線回収)


技術的な面で言うと、たくさん絵を描けば当然描きたいものには近づいていって、今まで描けなかったものまで描ける様になります。

しかし絵を描く上で、技術は顔の表情の様なもので、

それを補っていく、もしくは要になっていくものは

それを描く「自分」をそこに投影できるか。

それが絵を描くことだと思っています。


もちろん色んな思いで描いている人はたくさんいるので、それを否定していません。むしろ、色んな考え方があることを許容できる芸術という分野だからこそだと思います。

「絵が上手くなっても意味がない。」

というのは、理想の絵を追い求めていくことにゴールはありませんという言い回しです。


答えのない永遠の旅路を、楽しんでみてはいかがでしょうか?

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