山笠があるけん博多なんよ

博多の街から夏が消えて3年が経つ。
山笠(博多祇園山笠)が行われなかった福岡では、その夏、秋がくるまで梅雨が明けなかった。うすい曇り空と、ときおり襲う豪雨と、ほんのひとときの淡い青空の下で、湿った冷たい風はゆっくりと秋風にうつり変わっていった。そんな夏が、3回過ぎた。
よく降る雨のせいか、草も木も花も、狂ったように伸びた。
いまや博多祇園山笠は博多地区のものだけではない。ひろく福岡を巻き込む、巨大な祭りとなっている。それを反映するように、福岡全土で草木は高く茂り、街全体を甘い植物の匂いが覆っている。
山笠をすれば、夏が来るのである。山笠さえ行えばよいのである。そんなことは誰もがわかっている。しかし、一度見送られた祭りは意志をもった。見送られた時点で、へそを曲げた。
――疫病退散の祈祷が始まりなのだから、
――まさに今こそおおいに駆け抜けるべきではないか
――今年走らずにいつ走るというのか!
ごうごうと、祭りの念はふくれあがり、長年をかけて土地にしみこんできた山のぼせたちののぼせた熱も糧にして成長し、その年の、秋のはじめに爆発したのである。
手始めに、博多人形師が消えた。
それから飾り山、舁き山を作る人々が、追うようにして山のぼせたちが、その家族が、夜が明けるたびに溶けるように消えていった。
入れ替わるように、博多の街では昼となく夜となく、半透明の舁き山が走り回るようになった。よく見ると、歴代の舁き山たちである。解体されていったかつての舁き山たちが、おっしょいおっしょいと縦横無尽に走り回っている。半透明の山に実体はないようで、障害物はすべて通り抜けていく。とはいえ道路で、建物の中で、映画館にいてもおっしょいおっしょいとやってきては消えていく舁き山たちに、楽天的な市民は浮かれ、動画をとっては世界に流した。そのなかで、興奮して水をまき散らしていた一部の者たちは、祭り関係者と同じように夜明けとともに消えていった。
そして3年。
祭りを行える者の消えた博多の街は、肌寒い7月を過ごしていた。草木は冬が来るたびに枯れるが、春がくれば芽吹く。そして異常に長い梅雨の間に福岡タワーよりも高く茂り、博多の街を暗く隠す。
人々はもうすっかり慣れていた。おっしょいおっしょいと走り回る舁き山の亡霊の中を縫うようにして、出勤し、登校し、飲み会をし、眠った。
熱しやすく冷めやすく、楽天的で新しもん好きなのが博多の民である。
ようするに、飽きっぽいのである。
「次くるのが弁慶だったら明日の席替え成功!」
「じゃああたしは秀吉だったらダイエット成功!」
「きゃっきゃ」
走り回る舁き山も、小学生の占いにくらいにしか使われなくなっていた。

雨にも舁き山の亡霊にも、高く茂る草木にも飽きてうんざりした市民はついに、まったく一から祭りを作ることを決意した。
「もういやだ。夏といったらビヤガーデンでビールやろーが」
「この草の繁っとるせいで打ち上げ花火も見られん」
「浴衣を買っても買っても暑くないけん着る気にならーん」
「夏がこな、博多は腐るばい」
「そーやそーや!」
山笠をしようとすれば、どこからともなく消されてしまう。
だから全く新しい博多の祭りを作るしかない。
小さな声はあっという間に大きな力になり、たまりにたまった鬱憤を晴らすように、博多の中心に市民が続々と集まってきた。7月半ばの夜明け前。祈るべき神もばらばらで、人種も年齢もばらばらな博多の民たちにとって、神事もなにもない。情熱だけをほとばしらせて、小雨の舞う曇り空に叫ぶ。歌う。踊る。やがて、走る。
走る。
走る。
走る。
走る。
その力と熱に引き寄せられるように、おっしょいおっしょいと舁き山も集まってきては併走する。全く新しいものをと意気込みながら、それは明らかに追い山の光景に似ていた。小雨は少しずつ強くなり、今や豪雨になっている。ときおり光る稲光映し出されるのは、びしょ濡れになりながら走る老若男女の姿は、ほとんど、力水を得て走り続ける男衆のようだった。

その時、
ひときわおおきな雷鳴がとどろき、
地が裂けた。

あたりいちめんに地鳴りのような笑い声が響き、びりびりと空気が震え、裂けめから福岡ドームよりも巨大な飾り山が出現した。同時に、これまで消えてきたすべての人々が戻ってきた。彼らはそのまま祭りに合流し、何万人という市民が、巨大な飾り山とともに大雨の中をひたすらに走り続けることになった。やまない笑い声に背中を押されて走るうちに、少しずつ雨がやみ、舁き山の亡霊は消え、伸び放題だった草木は力を失った。

祭りが、帰ってきたのだ。

祭りは、もう姿を消さないという約束のしるしとして空から虹のように美しい通りもんを降らせた。それから強い陽がさしこんで地面を乾かし、3年ぶりにセミが鳴き始めた。

博多の街に夏が戻ってきたのである。


(今年はいつまでも肌寒くてぜんぜん夏にならないんですよね……。山笠がなかったからだったりして……という思いつきです。しかし本来ならば追い山があった昨日7/15、疫病退散を願う山笠絡みの神事が行われたらしいです。だから祭りが拗ねることはないでしょう。博多にもそろそろ梅雨明けと夏がくるかもしれません)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?