手のひらを返したい。今夜は見ることができなくても。

もう、だめかもな。
そう、くっきりと思ったのは10月15日。公式からの、最後の応援上映の案内の画像を見た時だった。9月27日からざわざわと落ち着かず、浮かれたり落ち込んだりと定まらなかった気持ちが、この画像を見てすっと平らになったのを覚えている。
画像は、4枚全てが春田のものだった。
わんだほうのメニューを見せている春田。
眠っている春田。
腕組みしている春田。
そして何より、天空不動産で接客をしている春田。

この中で、接客をしている春田はまぎれもなく田中圭ではなく「天空不動産の春田創一」だった。そしてその、母親にだっこされた子供に手を振る立ち姿を見た時に、涙があふれた。嗚咽ではなく、ただただ静かに涙が流れて、止まらなかった。

春田さんは、本当にいるんだよな。
体温を持った、厚みを持った人として、この世界の中にやっぱりいるんだ。

それは、927以降、なんだかぺらぺらと紙人形のように思えてきていた天空不動産の世界が、圧倒的な熱を持っていたと再確認できた瞬間だった。
新しい世界が始まることで、今まだ映画館で出会えている彼らが「旧作」となった。「新しい春田創一もよろしく」と言われることで、今日もあたたかく胸の中にいる春田創一は「これまでの春田創一」となった。その空気の中で過ごして半月、憤りと寂しさと諦めと、よし、切り替えてインザスカイも別ものとして応援するぞと思っていたところにこの画像と出会い、ふと「もう、私にはこの(おっさんずラブという)世界はだめかもな」と思えたのだ。
だめ、という単語が頭に浮かび、頭が納得するより先に腹にすとんと落ちたことに私は混乱した。だめってなんだ。どういうことだ。じっと目を閉じて考えて、言葉を見つけた。
春田創一はこうして生きてる。
それなのに、同じ顔でなにより「同じ名前」の新しい春田創一を、少なくともしばらくは見ることはできない。そして落ち着くまでは「旧」となった天空不動産の世界にも触れられないかもしれない。
新しい世界にも、旧い世界にも行けない。
わくわくする扉を開くことも、大好きだった布団に潜り込むことも辛い。
持っていた気持ちが本当に「愛」だったからこそ。
それが、考えるより先に、深く腹に落ちた気持ちだった。

もうすぐ、ほんのあと1時間後には新しいおっさんずラブの世界が始まる。
その世界が美しくあればいいと思う。
2018の連ドラを、あれほど注意深くきめ細やかに美しく作り上げてくれた座長がいるのだから、きっとおかしなことにはならないと信じている。
リアルタイムでは見られなくてもきっといつかは見るし、その時には手のひらを返して喜びたいと思っている。でもそのために、やっぱり現時点で思っていることを自分のために書き留めておこう。

★927・・・実はドラマ続編自体信じてなかったんですよね

インザスカイの発表された日、OLきっかけで出会った友人たちとのLINEグループは静まり返っていた。放っておくとすぐに未読100超になってしまう振り切ったグループが、昼過ぎまで誰も何も発言しないまま黙っている。1人が見かねて「今日会える人?」と呟いてくれて、4人が集まることになった。翌日が応援上映だったので、どうしてもその前に1人で観ておきたかった私は夕方からの上映を一回見てから合流した。真夜中2時過ぎまで話しこみ、もはやネオンも消えかけた中洲(博多の繁華街です)の橋に並んで海に続く水面を眺め、ばかやろー……と弱々しく呟いた。
本当はドラマ7話の牧くんみたいに叫びたかったけど、橋のあちこちに酔っ払いが落ちていて、ちょっとその勇気は出なかった。
9月の終わり、潮の匂いの中で、私たちの後ろ姿を撮った写真はまるでお通夜みたいだった。

★この日は驚きと戸惑いが最も大きかった。

天空不動産での続編はもうないだろうとは思っていたのだ。田中圭さんが、続編をドラマでなく映画という形にした理由(数話続くドラマで「2人のその後」を描くとしたら現実的な辛い部分も描かざるをえないから)に納得していたし、でもそれなら連ドラや映画はなくても、いつかスピンオフくらいはあったらいいな、くらいの期待は持っていた。
武川さんの休日とか、マロと蝶子さんの新居探しとか、牧家と一緒に旅行にいく春田さんだとか。そういう、なんでもない日常と小さなハプニングの中に生きている彼らの姿がいつかずっと先にでもまた見られたら、それ以上に幸せなものなんてない。
だから年明けくらいからささやかれ続けていたドラマ続編については、公式からもお知らせがなかったのもあり「以前テレ朝から出た情報は、上層部が浮かれて漏らした一言が大きくなったものの立ち消えたんだろうな」と勝手に呑気に構えていた。
春田さんと牧くんの物語はいったん終わり。
でも、それにしちゃ映画は穴があまりにも多かったし、それをきちんと描いてくれる機会がいつかあるといいなぁ。と。

私は本当に呑気だった。

驚きは「あ、本当にシーズン2やるんだ」の1点。
春田と黒澤だけが引き継がれて、違う世界でドラマが構築されるのは、2016年単発から2018連ドラの流れとも同じなので、聞いてしまえば「なるほどね」とは思えた。
そして、それ以外の全てのことに、戸惑った。
発表当日から既に何人もの人が指摘していたが、2016の世界と2018の世界は全くの別物というよりも「バージョンアップしたもの」である。恋人となる2人の年齢差、同居に至る成り行きから告白の言葉、上司の黒澤が春田にしかけるアピールまで同じもの。
私は連ドラを見てから単発に辿りついたので最初は抵抗があった。
けれど、見てみるとその違いに深く納得できた。
単発版はテンポの良い明るい恋愛ドラマではあるが、より「現実の世界」に近く、たとえば差別的な視線は直接的で、描かれ方も雑な部分がある。短い時間の中に出会い、ハセと黒澤からの告白、ハプニング、すれ違いと春田からのキスまでがぎゅぎゅぎゅーと凝縮されているので、丁寧に描く隙がないのを差し引いても、そもそもの空気が恋愛を描きながらもコメディに寄っており、ちょっと見ていて辛い場面も多かった。あのドラマに出ていたのが、繊細でありながらすぐに暴走しちゃう牧くんだったら成り立っていなかった。可愛くもツンツンしているマクガフィンの春田先輩を好きになったのが、メンタルが強くて徹底的に先輩を甘やかしてくれるハセくんで本当によかった……。なんだかんだ、大人と大人のカップルだよなーあの2人。
ともあれ、そこでのさまざまなささくれを丁寧にケアして「恋愛ドラマ」としてブラッシュアップさせられたのが2018の連ドラだったのである。
春田が「愛される人」であることに説得力が増し、周囲の反応も現実離れしているほどフラットで、だからこそ視聴者は「牧くんの切なさ」「自覚しないまま加速度的に牧くんを好きになっていく春田の思い」「30年連れ沿った妻に頭をさげて自分の気持ちに正直であろうと決めた部長のまっすぐさ(とずるさ)」等々に、余計な雑音なく没入できた。加えて、脇のキャラクターたちも本当に愛すべき人たちばかりで「悪人がいない世界」がファンタジーであると痛いほどわかりながら、せめて架空の世界だけでもそれを楽しむことの幸せに骨の髄まで浸ることができたのが、この「おっさんずラブ」というドラマだった。

★その、続編?

2016から2018への変化が当てはまらないことはすぐにわかる。
だって、あの世界は綺麗な円になって終わっている。映画というおもちゃ箱みたいなオマケまでついて完結している。
ただ、実は映画の告知の時から少しだけ違和感はあったのだ。
「今度は5角形のラブバトルロワイヤル!?」という煽り文句。それは「2016も2018も、面白がられた肝はわちゃわちゃしたバトルであった」という認識のもとでないと出てこない言葉である。確かに、ドラマ終了後であってもあのドラマの紹介のされ方は、切なさよりコメディ部分に重きを置かれていたように思う。けれど、それでも、テレ朝のミュージックステーションでスキマスイッチが「Revival」を演奏した時の映像は確かに「恋愛の切なさ」に寄っていたと記憶している。なのに映画では「男たちのラブバトル」が強調され、さらに「今度の舞台は空!男女入り乱れてのさらなるラブバトルが展開」的なフレーズとともに続編が発表された(ちなみに映画では5角形には全くなっていない。ファミリー映画であるという主演や監督の言葉通り、新キャラの2人はまさに「家族とは」を描く存在だった。つまり煽り文句だけが宙に浮いている)。

泣いたよね。
これほど多くの人が深く深く愛を持った、その肝が本当に「わちゃわちゃしたバトル」でああり「武蔵に迫られる春田」だと思ってんのかと。
え、正気なの? どういうことなの?
ソフトドリンクを浴びるほど飲みながら4人で泣いた。

戸惑いのポイントはもうひとつ。
まったく新しいストーリーで「おっさんずラブ」を描くという。
つまりそれは「最初から男と男の恋愛」を描くつもりだということなのか? という点。これは、ドラマが始まってみないとわからないのでなんとも言えないが、そうだとすると「男女関係ない純愛を描いたドラマ」という2018の説明が根底から覆される(個人の見解ですが、純愛にはきちんと性欲と肉体関係は含まれます)。2018は、実際最後まで誰を選ぶのかわからなかった。春田は牧のことを本当に好きになった。でも、結局うまくいかなくて部長と結婚してしまうのかな? それともちずちゃんを選んでしまうの? どうなってもおかしくないけど、やっぱり本当に好きになった牧くんを選んで欲しい! と(私は)思って最終話を待っていた。座長はそのザワザワをネットで見ながら「へっ」と笑っていたらしいけれど、見ている方は最後までわからないし、不安だったんだよ……。そもそも貴島Pも、ドラマを思いついたきっかけとして「女同士で結婚したって別にいいじゃない、と思って」と語っているし、その意味では共通する世界観である2016と2018ではその説明が成り立っている。
けれど。
おっさん同士がわちゃわちゃとバトルして、女性も絡むけれど最終的には春田と誰か男性が結ばれる、という部分のみが受け継がれるのであればそれはもう「BL」である。BLが好きとか嫌いとかいいとか悪いとかじゃなくて、そうなるともう「男女関係なく好きになった相手を選ぶ」という設定が完全に「建前」でしかなくなるのだ。かといって、今回は女性を好きになりましたよー、ではタイトル詐欺になる。べつに結ばれたっていいだろうけど、詐欺にはなるよ、そうでしょ? だったら最初から「春田が年上の上司に迫られるけど最終的には顔のいいだれか男性を好きになって結ばれるよ」と言ってくれたほうがよほど潔い。

2016に誕生した「おっさんずラブ」の世界は、2018にさらに大きく花開いて完結した。
けれどそれは、一度きりの禁じ手だったんだと思う。
タイトルありきで何度もやれるような入れ物ではない。

おっさんずラブはおっさんのラブなんだから、ようするにこれは「黒澤武蔵の物語」なのだ。連ドラでは特に、武蔵の行動で全てが進んでいく。牧にスイッチを入れ、春田に自分の気持ちに気づかせ、最後は愛した彼の背中を押す。春田を好きになった10年間では実質妻を裏切り続け、恋する男の顔に上司としての姿を自在に溶け込ませて巧みに春田の心身を狙い続けた部長はずるい男で、だけどどこまでも純愛を貫いていて、だから視聴者は部長のことも大好きになった(人が多いはず。私は好きだったよ!)。

それを、武蔵を主軸に何度も繰り返して描こうとするとどうなるか。
黒澤武蔵が新しい世界で何度も若い男を好きなって迫ってはふられる?
は、とんだ色情狂だ。
なりふり構わぬセクハラパワハラ暴力も、毎回となるとさすがに見逃されはしないだろう。

といって春田を主軸にして、新しく誰かと深く深く恋に落ちる様子を丁寧に描き出してみせても、その恋は次のシーズンが始まるとすっぱりリセットされてしまうとなれば、見る方は「のめりこむのはやめておこう」となるはずだ。本当に胸が痛くなるほど入り込んで恋模様を見守っても、その片方は次の年には違う誰かを同じ名前で愛するのだ。
いやいや地獄でしょ。なんかの刑なの、それ。

なのにインザスカイではその両方をやろうというのだから、狂ってるとしか言いようがない。

★まあでもなんだかんだ、一番言いたいことは一つです「はええよ!!!」

とまあ、いろいろ思ったり語り合ったりはしたけれど、一番大きなことは結局これに尽きる。「はええよ」。わかるよ、タイアップとかあるんでしょう、映画のほうがイレギュラーだったのかもしれないよね、深夜でやってるドラマとは事情が違うのかもしれないけれど。

早いって。
それに尽きる。

2年後だったらそれなりに素直に受け入れられたというファンは絶対に多いと思う。だってまだやってたからね、映画。福岡で終わったのは10月31日だったか。ほんのまだ一昨日のことですよ。で、この先円盤がでたらその告知もするわけですよ。天空不動産の春田さんが。てんぴちの春田さんを散々みたあとの私たちがそれを見るわけですよ。

カオスじゃないですか?
よく考えるまでもなく。

ここにきて言うことでもないけど、私は実は別に牧じゃなきゃイヤだ派ではない。話をしない聞かない、コミュニケーション不足で察してなくせに文句をいうキャラクターが嫌いな私にとって、牧くんは割とイライラする存在だった。林遣都の演技がすごすぎて、見ている間は本当に牧くんに気持ちが寄り添って泣いてしまうけれど、特に劇場版での察してヤクザっぷりはなかなかひどかった(けど、炎の中で部長がずばっと言ってくれたのでかなりスっとした)。ひとえに、春田さんが好きだというから、牧くんのことが好きだったのだ。

だから、牧くんが出ないから納得できないと泣く人の気持ちは実はわからない。だって田中さんの発言からみても、仮に2人のその後が描かれるとしても、こんなにすぐなわけないじゃん。けれど、牧くんが好きで泣いている人も、あの世界が好きだったから寂しい人も、牧を好きな春田が好きで辛い人も、その寂しさは理解できる。

当然だが、新しいドラマが楽しみな人は天空不動産の世界が好きじゃなかったなんて言いたいわけじゃない。ただただ、そこまでの悲しさと寂しさを産んでしまうほど、天空不動産の作り出した世界が圧倒的にあたたかく、生身の体温と愛を持っていたんだ、ということだ。

★なんて言ってたらもうすぐ23時ですよ。

あと1時間と言っていたのにもうあと15分ほどになってしまった。
15分後には離陸が始まり世界はインザスカイのただなかとなる。

繰り返すが、その世界も、美しいものでありますように。
今すぐは見られなくても、きっと見る(最速だと朝までには)。
手のひらを、返せたらいいと思う。
ほんとうに。

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