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ついにコンフォートゾーン脱却厨を脱却できそうな話

今だから雑に書けることなんですが、高校時代にいわゆる進学校的なところで周りが盲目的に『良い大学(?)』を目指す環境にいたおかげか、私は勘違いイキリ受験生だった。今だからこそ完璧に自覚がある

まあ案の定受験には失敗したわけで、大学入学とともに絶大なコンプレックスを抱えた絶望焦燥感勘違いイキリ新入生だった。まあそんな人間も一年に5万人は生み出されているんだろうが


「何かしなければならない」「何者かにならねばならない」「現状に満足してはならない」「『成長』しなければならない」「コンテンツ力爆上げせねばならない」

と無思考に鼻息荒く思っていた。我ながら恐ろしい


そこから変にコンプレックスを拗らせたりせずに行けたのは割りかしよかったが、常に『自己成長』的なものをしていないと気が済まないタチになり、とにかく自分をいわゆる『コンフォートゾーン』から追い出して、うっすら不安があったり精神に負担をかけることこそが最良であると盲目的に狂信する人間となり、

学生団体的なものに入ってみたり

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アゼルバイジャンで働いてみたり

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スウェーデンに留学してみたりしていた

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ド荘厳な留学先の講堂。引く

そんなことをしているので、褒められているのか貶されているのかはわからないが、行動力あるねと言われがちな大学1、2年だった。典型的なコンフォートゾーン脱却厨である


当時はぐへへと褒められていると思って勘違いしていたが、

よく考えればただのセルフドMだねと言われているだけな気もするし、

よく考えればすっっっごく怪しい人間だとも思われていたのかもしれない。

まあ、マグロに「よく泳ぐね」といっているようなものなので特に意味はないのかもしれない。


何かしていないと自分に価値がないのではとヒステリックになりながらも、逆に話をよく聞いてくれる後輩のようなポジションができるとギラッギラのドヤ顔で自らの『経験』を鼻息荒く話すような人間。こういう人間は得てして自分が行動的であることに対し、歪曲したプライドを持ちがちなのである。そのくせ実態は大したことがない。あと多分童貞


(これらの経験をしなければよかったなんて思うことも思ったことも一度もなく、一心にいろいろ手をつけてきたからこそ今の自分があるってのはとても感謝してます 関わってくださったみんなLOVE)


上手くいきすぎている感

と、諸々自分にプレッシャーをかけることで喜びを得ていた大学1、2年の頃と比べると、今、すごくいろいろ上手く行ってるんですよね、あくまで自分の感じ方かもしれませんが

そもそも、毎日散歩して筋トレして瞑想して本読んで寮の友達とたわいのない日々を暮らせるという、自分自身のウェルビーイングがカンストしている感もあれば、(瞑想については下記事に書いてます)

とある会社でお手伝いさせてもらっている(インターンという言葉は嫌いなのでつかいません)んですが、働いてる人もスーパー多種多様ながら箱推しできるし、会社の存在自体も激推しできるような環境で、ついにはずっとやってみたかったカメラマンの仕事も初めてさせてもらったりもしました。感涙 嬉しすぎてこのnoteのヘッダーにもしてんねんけど、綺麗っしょ?

人間関係とかも、気の合う人とちょくちょく会うくらいがちょうどいいように感じるし、面白い出会いもあったりするもんなので、最近はありがたいことにストレス的なものとは程遠い生活を送っていたわけなんですハイ


ただ、「何もかも上手く行きすぎ感」というのは、コンフォートゾーン脱却厨からすればこの上なく恐ろしいものなのである

大学入学とともにセルフドMとして名を馳せてきた自分でもあったので、「困難な課題」的なものに「挑戦」的なものをして「成長」しなければならないし、その過程で何もかも上手くいくような事はないと鷹を括っていたのである。こんな毎日楽しくやっているはずなのに、もっと何かしなければ、新しいことをしなければという強迫観念にまた引き込まれそうになっていた。今思えば自己暗示ノイローゼでしかない


全てが全て脱却すべきモノなんですか?

再度自分を痛めつけねばならないのか、、、!?!?と思い出したところで部署の上司と話してて、いわゆる世間一般に言う「コンフォートゾーン」には二種類あるんじゃないかって結論になった。


ひとつ目は、「心理的安全性の担保」としてのコンフォートゾーン

最低限の文化的な生活ができて、人間としていい毎日が送れている感覚。朝ちゃんと起きて、適度な運動をして、タンパク質と食物繊維重視の食生活をして、適度なコミュニケーションをして、マインドフルネスの時間を取ること。かつその余裕があること。不安なことやストレス、トラブルが起こったときに頼れる人やモノ、お金、考え方が確立させていること。

自分自身のウェルビーイングを追求すること、そしてそれができる、する余裕があることによって、心理的安全性のコンフォートゾーンが守られる。しかも、このコンフォートゾーンは日々の生活におけるココロの安全の保証とも言えるので、この第一のコンフォートゾーンは抜け出さなくてもいい、というよりはできるだけ維持したほうがいいよね、となった。


二つ目は、「過不足なし」のコンフォートゾーン

与えられている課題や自分の目標、環境が、普通にやっていれば卒なくこなせてしまうような状況であること。問題なく日々を送る事はできるが、特にストレスも感じなければ面白味も感じない状況。

この二つ目の過不足なしの状況こそが、いわゆる脱却すべきコンフォートゾーンと言うモノなのではないか、と話した。なるほど


上手く行ってる時は上手く行ってる!でいいじゃない

以上のことから今の状況を考えてみると、

「心理的安全性の担保」としてのコンフォートゾーンは割と確保されてるっぽい。今日とかハウスメイトとチャリでボルダリングしてカレー作って食ったりしたので大変満足です

「過不足なし」のコンフォートゾーンに関しては、一見すると過不足なしで毎日ハピハピで仕事と勉強できてるんかな?と思いがちやけど、実際はやったことが無いものや知らないことを勉強しながらもそこにストレスを感じていないし、もしトラブルが起きたとしても頼れる心理的な安全が守られていると言う安心感もあるので、それがこの「なんか上手く行ってる感」に繋がってるのか。やっと腹に落ちた気がする

上手くいってると思える時は、上手く行ってるやん、イエーイWWくらいに思っとくのが実際いいのかもしれないし、そう思えるようになってきたのも1、2年の頃の突進マグロ系過呼吸大学生からは少し進化できたのかもしれませんね。まあ人間も海から出てきて進化したことを考えれば、人間は魚出し、自分も皆さんも実際にはマグロなのかもしれません。僕はそう思いませんが

あ、でもここまで書きながら、いかに世の中の多くの人々がこれまでのマグロ系大学生みたいに「永遠の成長思想」のもとで自分のウェルビーイングガン無視で資本主義的脳味噌を拡大させているかを考えると、え、怖、、、となりました。

なので、上手く行ってる時はラッキー!w儲けやわくらいに思っとくだけでよくて、わざわざ自ら好んでストレス与えたり、変に挑戦しまくったりする必要って実は無いんかもしれませんよね。多分自分で上手く行ってる!と思えることっでそもそもそんなに無いと思うので


そろそろコンフォtーぞんと書く事でゲシュタルト崩壊を起こしつつあるし、マグロに対する誹謗中傷で訴えられそうな気もするので、この辺でおやすみなさい。

いい三月を。


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