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"一人称単数"感想・考察 -リアルと夢と永遠と今と幻想


村上春樹は稀有な作家だ。

冒頭の一文を読んだだけで、おや?これはもしや…と思わせ、一段落読んで確信する。村上春樹の小説だ、と。

"風の歌を聴け"と"ノルウェイの森"しか読んだことがない自分がそう思うのだから、愛読者なんかは冒頭のページを開いただけで確信するかもしれない。

今日読んだ村上春樹の六年ぶりの短編集 "一人称単数" も、一話目の冒頭から妙な安心感があり、これから始まる村上春樹ワールドに胸を躍らせた。


先日読んだ"マチネの終わりに"とは異なり、村上春樹の小説はオープンで、流れるようにページが進む。

「考察とか解釈は求めてないけど、したかったらご自由に」と言わんばかりに、押し付けがましさがない。

文章のリズムとテンポもよく、途中でつまづくような難解な表現も少ない。本を"読んでいる"はずなのに、まるで"読まされている"かのような読書体験が味わえる。ただ文字を追う事が、こんなにも心地良いものかと思わせる。

登場する男女の恋愛も、たぶん多くの恋愛がそうであるように、取り立ててドラマチックな訳でもなく

どちらかの部屋で、酒を飲んで、素っ裸で、身の上話をして、体を重ね、夜を明かし、何事もなかったように朝食を摂る、こんなイメージだ。


こんな風に村上春樹の小説を読んだ後は、その文体を真似したくなるし、自分の友達の中にはすっかり染まってしまって、まるで彼自身が最初からそのような文章を書いていたかのような奴もいる。

普段、村上春樹を読まない自分にこの本を勧めてくれたのも、また別のハルキストの友達である。彼は全ての村上春樹小説を読破している。

そういうわけで、ここから感想と考察めいたことを書いていこうと思う。


ーーー以下ネタバレありーーー


全部で八つの短編が収録されているのだが、私小説っぽい話が多い。自分が好きなのは、"クリーム"、"チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ"、"品川猿の告白"、"一人称単数"だった。

"クリーム"は、現実が持つ意味の不安定さや、現実認識の不完全さを

"チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ"は、未だ科学でも解明できていない、夢や意識、時間の秘密を、ワクワクしながら考える事ができる。

"品川猿の告白"と"一人称単数"は奇を衒った演出があって、ぜひ、世にも奇妙な物語で映像化して欲しい内容だ。

この四つについてそれぞれ書いていく。


クリーム

生きていると時として、「これには何の意味があるのだろうか?」といった出来事に遭遇する。

後になって答え合わせができることもあれば、できないこともある。

人間は意味を求めてしまう生き物だから、答えがわからないと気持ち悪い。けど、どこか終わりのない心地良さのようなものもある。


"クリーム"のあらすじはこうだ。

主人公が三年前一緒にピアノのレッスンを受けていた、とりわけ仲が良かった訳でもない女性に、突然山奥のコンサートに誘われるのだが、開演時間になっても会場には誰も現れず、隣の公園で謎の老人に問いかけられる。

この老人の問いかけが面白いのだ。


「中心がいくつもあってやな、いや、ときとして無数にあってやな、しかも外周を持たない円のことや」「そういう円を、きみは思い浮かべられるか?」

なんや、この禅問答は。と思った。

壺を壊さずにガチョウを外に出してみろ、という禅の公案を思い出した。

つまり、物理的に、概念的に、考えても無駄なので、全ての合理性を取っ払った上で「ガチョウは外だ!」「そういう円はあります!」っていうのが正解。

といった話ではない。老人はこう続ける。


「この世の中、なにかしら価値のあることで、手に入れるのが難しうないことなんかひとつもあるかい。」
「けどな、時間をかけて手間を掛けて、そのむずかしいことを成し遂げたときにな、それがそのまま人生のクリームになるんや」
「フランス語に『クレム・ド・ラ・クレム』という表現があるが、知ってるか?」「クリームの中のクリーム、とびっきり最良のものという意味や。人生のいちばん大事なエッセンス、それが『クレム・ド・ラ・クレム』なんや。わかるか?それ以外はな、みんなしょうもないつまらんことばっかりや。」


未だ解けない謎、未だ叶わぬ夢に向かって努力する過程は美しい。

すぐに答えがわかる問題はつまらないし願いが簡単に叶う人生は味気ない。

存在し得ない円を想像するというのはそういう事なんだろうか。

人生という謎解きの答えを探し、ささやかな夢の達成に向けて過ごすことが、とびきり最高のクリームを作っているのだなと思うと、変わり映えの無い日々にも感謝することができる。

なんか大事なことを思い出させてもらったので、好きなお話です。

大切なものは欲しいものより先に来た -HUNTER×HUNTERより


チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ

この話のあらすじはこうだ。

"既に亡くなったはずのチャーリーパーカーが、死後六年経って新譜を発表した"、というフェイク記事を書く。ある日、主人公がでっち上げたレコードと全く同じものが売っているのを発見する。翌日にはそのレコードは失くなっていた。後日、見た夢にチャーリーパーカーが現れ、「もう一度生命を与え、ボサノヴァを演奏させてくれてありがとう」と感謝される。

なんともロマンチックな話で好きだ。

現実と夢と想像が、パラレルワールド上に同一に存在しているかのよう。

有名なアニメ"シンプソンズ"もよく未来予知してるっていうし、インスピレーションというのは、一体どこからやってくるのだろうと思わせる。

この辺りは科学的に解明されてないわけだから、祈りは死者に届いてるし、別の世界線を想像することでいつだって会う事ができる、って考えた方が楽しいですよね。

自分にとってこの辺りのテーマはまさに、クレム・ド・ラ・クレムだ。


品川猿の告白

温泉宿で出会った律儀な猿が急に喋り出して、好きになった女性の名前を盗む話をする。最後に名前が思い出せなくなった女性が登場する。

この話は単純に面白かった。

本来、乱暴で性欲の強そうな猿が、行儀よく特殊な愛の形について語ってるだけで面白い。

人間の女性しか愛せなくて、でも猿だから直接行為には及べなくて、名前の一部を盗んで自分のものにするって、切なすぎる。猿なのに。

その猿が名前を盗む行為について語ったセリフ

「はい、それはある意味では究極の恋愛であるかもしれません。しかし同時に究極の孤独でもあります。言うなれば一枚のコインの裏表です。その二つはぴたりとくっついて、いつまでも離れません」

品川猿好きだ。

もしかしたらペットも同じように、飼い主に叶わぬ恋慕の情をつのらせているかもしれない。


一人称単数

短編集のタイトルにもなっているお話。あらすじは省略。

不思議な世界観が好きだった。

オチはパラレルワールド説とか夢説とか、記憶障害説、単なる勘違い説、何か目的があって絡んでる説、色々考えられるけど

普段スーツを着ない人がスーツを着たときの違和感とか、鏡に映る自分に対する違和感っていうのは、たまに感じる事がある。

そんな現実感の無さがどんどん拡大されていって、しまいには異世界に到達してしまうストーリー展開に惹きこまれた。

この話もぜひ、世にも奇妙な物語で映像化して再現して欲しい。


まとめ

今月に入って7冊目の読書だが、この本ほど読書それ自体を楽しめた本はない。

タイトルにはRADWIMPSの君と羊と青の歌詞から引用した。

やっぱりチャーリーパーカーの話が好きだったからだ。笑

ぜひ皆さんもリアルと夢と永遠と今と幻想に胴上げされちゃって下さい!

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