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電撃婚するくらいなら、穏やかな独り身がいい。

思えば、生まれてこの方「挫折」というものを味わったことがない。

高校受験も大学受験も就職活動も、不合格や不採用を経験した事がない。当然浪人もした事がない。
ストレートに大卒、社会人5年目。有難い話である。

赤点も留年も経験した事がない。大学4年間、単位を落としたことなど一度もない。
社会人になってから、職場を巻き込むような大きな失敗をした事もない(身に覚えのない案件で名 指しでクレームを受けたことならあるけれど)。

両親は健在。平々凡々、ごくごく普通の核家族。進路に口出しはされても、家を出ることに反対はされなかった。
今だって週1ペースで実家の食卓を囲むくらいには、関係は良好だ。

誰かに縁を切られたことがなければ、縁を切ったこともない。友達と絶交したことも。
深く付き合うような友達はいないが、一生かけて恨まれるような人もいない。

何不自由ない、平穏で平凡で穏やかな暮らし。

それがとても貴重で、当たり前じゃなくて、大切にするべきものだと知ったのはつい最近のことだった。

その代わり、生まれてこの方まともな恋愛をした事がない。

いちばん初めに出来た彼氏は、知らないところでわたしの親友と付き合っていた。
にばんめに出来た彼氏は、3股していた挙句、別れた後に全SNSを駆使して粘着してきた。

以降7年、彼氏はいない。
好きになった人は、大抵いつも他の誰かと結ばれていて、誰も知らないところで勝手に恋が終わってた。

身を焦がす程に運命を感じた恋ならしたけれど、その相手は気がついたら別の人と結婚してしまった。

その時感じた絶望を、「挫折」と呼んでもいいのかもしれない。

アラサーと呼ばれる年齢になって、周りの友達はどんどんどんどん伴侶を見つけていく。
その事実に過敏になって、勢いで婚活を始めた挙句、恋愛アレルギーを発症して、婚活をやめた。

生涯ひとりで生きるつもりだった。

その覚悟を決めたはずなのに、ふと周りを見渡して、当たり前のように家族を持って「これが当たり前の幸せだ」と笑う彼らを見つけて。
その空気に流されそうになる。流されて、焦りそうになる。

時が流れて、少しずつその空気を受け流せるようになって。
それでも足を取られそうになった時は、こう思うことにした。

「神様は、恋愛出来ない体質にする代わりに、わたしに何不自由ない暮らしを与えたのだ」

大きな挫折なく、五体満足で、家族と仲良く暮らせて、信頼出来る友達がいる。
当たり前のようで当たり前じゃない毎日が、この先続く人生。

その、なんて静かで、豊かなことか。
数多の男に言い寄られて電撃婚!!なんて人生より、そっちの方がよっぽと良い。

その果てが天涯孤独だって、受け入れるしかないじゃん。だって神様がそうしたんだから。

そう思うようにすると、何故だか生きるのが楽になった。

きっと家族を持って「当たり前だ」と笑ってる彼らだって、その人生を選びとるために、どこかで何かを対価にしている。
だったらわたしだって同じだ。ただ、払った対価が違うだけだ。

そうして選びとった人生がその人の「当たり前」で、わたしの「当たり前」なのだから。

だからわたしは、この人生を遠慮なく謳歌しようと思う。

※遠慮なく人生を謳歌してお散歩をしたら、とっても綺麗な青空が撮れました。トプ画はその時の写真です。※




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