緊急時のリーダーシップ
1
山登りし始めて何度か遭難しかけたことがある。
理由はいろいろ。天候が悪くなって視界が見えにくくなったり、足止めをくらうといった天災的なものが典型だが、中には、主に一人でなくパーティでだが、人災的なものがある。
典型的なのは見込みやへんな精神論や野心といった客観性の乏しさに基づいた行動。
例えば、おそらく今日もバスやロープウェイが頂上で運行しているから多少遅くいっても多分大丈夫だとか、弱音を吐くのは男じゃなく引き返すのは女々しいだとか、今回のパーティのリーダー役の自分はこの厳しい状況の中で他のみんなを驚かせるような奇策を使って崇められたいだとか、そんなバカな思いによって誤った行動がなされ、それが身を危険に晒す。
あと、こんな緊急時にでもあくまでみんなで決めようみたいなことをやりすぎること。
余裕があるときは、登山が実りあるものになるようにパーティみなの意見を取り入れた登山計画を作るのもいい。
でも、緊急時ですら、みなの意見を云々すれば、時間ばかりが過ぎ、その割に考えが定まらず足並みも乱れる可能性があり、やはり身を危険に晒す。
緊急時においては、目指すべき方向性が曖昧になることは死を意味する。
民主的なやり方はその曖昧さを引き込む可能性が高い。
思うに緊急時においては、生き残るという目的のために客観性のある明確なルートを一つはっきりと選択する必要がある。
そのためには、多少体力を疲弊しても金がかかっても構わない。
それも命を守るための必要経費ぐらいに考えるべきだ。
2
それは仕事についてもいえると思う。
普段は多数が同意するまで話し合う民主的なやり方のほうが、方策の完成度や応用度、それにメンバーの納得性の観点からこのましい。
曖昧さといったファジーな部分も出て来やすいが、それも柔軟な会社運営の点から考えるとプラスに働くと思う。
しかし、緊急時や時間がない時には、そのファジーさやみなが納得するための手続き的なものが災いする。
やはり、リーダーが客観的で明確な目的を示し、トップダウンでスピーディにやるべきことをやりきる必要があると思う。
とすると、そういった通常時と緊急時をどんな時に分けるのかという基準作りが大切になってくると思う。
そのへんがしっかりしていないと、いくらリスクマネジメントといったところであまり意味がないと思うのである。
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