体罰問題を考える。
体罰問題が無くならない
先日、プロ野球選手も多く排出している有名高校で体罰を受けたと告発をされ監督と部長が解任される出来事が起こりました。いつまでこのような時代遅れの指導を続けるのでしょうか
そもそも体罰が社会問題となったのは今から6年以上前のことです。とある高校のバスケットボール部員が監督の行き過ぎた指導に耐えかねて自ら命を絶ついたたまれない事件が起こったことがきっかけです。
人が亡くなっているにも関わらず、どうして6年経った現在でも体罰が起きてしまうのでしょうか?
原因は3つ考えられると思います。
①選手及びチームを支配できる
一種の脅迫と言った方がいいかもしれませんがチームを支配できれば選手にとって辛い練習も有無を言わさず増やすことが可能になります。さらに采配面でも文句を言われないようになります。自分の指示がすべて受け入れられチームに浸透することが可能になります。生徒のことはなんにも考えていないと思いますが
②度を超えた愛情表現
体罰によって処罰された教員や監督 コーチが必ずといって使う表現です。
・子供の為に仕方なく
・愛ある故 仕方なく
体罰を行う人の常套句にもなりつつありますが体罰が教育にとって仕方ない事だったことなど1度もありません。
③ 体罰の指導しか知らない
ある意味可哀想なことだと思いますが、体罰しか知らないという指導者もいます。頭の中ではダメだと分かっていても昔自分たちがされてきた行為と同じことをやってしまう。
体罰がダメだと言われると自分たちの学生時代を否定されたような気持ちになってしまうのです。
某野球部OBが俺たちは~と自分たちの過去を持ち出してしまうことと全く同じです。過去を持ち出すことは相手をシラケさせますし説得力がありません。
○体罰が無くなっていくために
では体罰を減らしていくにはどうしたらいいか
"体罰"="暴力"
という考えを持つことが大事だと思います。体罰は暴力であり傷害事件だという認識がもっと広まれば体罰行為も少なくなってくるのではないでしょうか
子供たちのために大人に出来ることはなにか今一度考えていきませんか?
体罰がこの世から無くなることを祈ってます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?