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“戦隊モノへの解像度”が低すぎるパロディ企画者は今すぐ天寿を全うしてしまえ


 あ、タイトル最初は「天寿を〜」じゃなくて「首を括れ」くらいのこと書いてあったんスけど、最近、芸能人がうっかりSNSで死んでくださ~いだの何だの書いて干されたじゃないですかぁ。怖いなぁ~ 怖いなぁ~ って思って、ちょっと日和りました。(←なんで稲川淳二風に怖がってんだよ、夏だからだよ)

 まあ、おれはかつて「モバイダー」という、雑なパロディヒーローをやってたご当地ヒーローのはしりみたいなものなのでご容赦ください。←この先に連なる文章が1万5千字くらいあるので、とっておきのオチを最初に持ってきました。

雑な「戦隊モノ」パロディが見るに堪えない!

 正当な批判は名指ししてすればよいのでしますが、漫画『桃の園』への批判が特撮ファンの間で高まっている。炎上といっても良い。

 概ね、「いわゆる戦隊ヒーローへの解像度が低くリスペクトが足りない」「雑」「このテーマを描くのに戦隊ヒーローをモチーフにする合理性はあるとは思えない」といった論調だ。

 今回話題となったパロディ作品のターゲットは特撮ファンとは限らない。特撮ファンをターゲットとしていなさそうなテーマにも関わらず、モチーフに戦隊ヒーローを選んでしまうロジックは不明(註:お笑いにおける企画大喜利がネタ元のようです)だが、それは横に置いておくとして、作者や編集者はこういった作品を世に出すにあたって「戦隊ヒーローって概ねこんな感じで、それはそれとして描きたいテーマは戦隊ヒーローじゃなくて社会にこびりついている男尊女卑感覚への皮肉や戯画化」をやっていきたいはずだ。漫画を拝見する限りにおいてはそのように読み取れる。

 だが、戦隊ヒーローのイメージを大切に思う特撮ファンは、モチーフを借りるにしたって理解がなさすぎる、このままでセンシティブなテーマを扱われたのでは、そういった社会的課題もスコープに入れて展開してきた戦隊ヒーロー作品のイメージも毀損される、と拒否反応を示している。

 まあ、簡単に言えば「この作者は戦隊ヒーローへの造詣が浅いにも関わらず、戦隊パロディを自信満々で送り出している、けしからん」というわけである。

 そして、追い打ちをかけるように作者のツイートが燃料を投下している。

 このツイートが何故燃料なのかというと、『全員女子の戦隊ものも知っている』とあるが「全員女子の戦隊もの」は、戦隊ヒーローの代名詞たる「東映スーパー戦隊シリーズ」には存在しないからだ。

 しかし他社制作作品や既存のパロディ作品には、ある。ぶっちゃけエロビデオ作品にも、ある。

 だが、これを説明したところで「東映にあるとか無いとかどうでもよくない?」という人も多数いると思われる。それもそのはず。パロディ作品の作者や編集者を含めた一般市民と、特撮ファンとの間では、戦隊モノの定義が乖離しているのだ。

戦隊モノは近年「東映スーパー戦隊シリーズ」寡占の状況である

 先ほど「戦隊ヒーローの代名詞たる」として「東映スーパー戦隊シリーズ」という言葉を使った。近年は毎週ニチアサ9:30(東京都の場合)に放映されている、いわゆるニチアサを構成する番組の一つだ。

 このシリーズにおける最新作は、この春から放映されている『爆上戦隊ブンブンジャー』だが、前年や前々年の『王様戦隊キングオージャー』や『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』は一般ニュースでも話題になったので、耳にした人も多いと思う。

 近作でなくても、俳優の松坂桃李がレッド役を務めていた『侍戦隊シンケンジャー(2009年)』や、玉山鉄二がシルバー役の『百獣戦隊ガオレンジャー(2001年)』なら聞いたことがあるという人もいるのではないだろうか。どちらも戦隊出身俳優で、後に朝ドラの主演を務め、一躍スターとなった。一連の番組は若手俳優の登竜門であり、横浜流星、飯豊まりえもシリーズ出身だ。

 この「東映スーパー戦隊シリーズ」は、約50年前の『秘密戦隊ゴレンジャー(1975年)』に端を発している。これが二年にわたって放映された後、次作の『ジャッカー電撃隊(1977年)』を経て少し休止期間があり、東映版『スパイダーマン(1978年)』を挟んで、『バトルフィーバーJ(1979年)』からは毎年シリーズタイトルを変え、毎週末に放映されている。コンテンツ消費の甚だしい時代において昭和・平成・令和をまたぐ信じがたいほどの長寿シリーズなのである。

 それほどのシリーズなので、もちろんこの影響を受けた競合他社による集団ヒーロー作品も多数生み出されたし、パロディもバラエティ番組内でタレントが5色のヒーローに扮するものや、劇中劇・作中作に登場するなども含めると枚挙にいとまが無い。

 だが、現実として現在進行形で「戦隊」と名の付く、パロディではないオリジナルの集団ヒーロー映像作品を作り続けているのは東映ただ1社。いわば寡占である。

 この状況で、あまり詳しくない人が東映のオリジナルか他社の集団ヒーロー作品かそれともパロディかどうかの区別をつけない上で思い描くぼんやりとした「戦隊モノ」像と、特撮ファンが譲ることのできない戦隊ヒーロー作品である「東映スーパー戦隊シリーズ」、それも50年近く試行錯誤の連続で紡がれてきた像は、大きく違うものとなった。

 料理を出す店に例えるなら、老舗はマンネリと言われようが味を守り、新興や暖簾分けした派生店は新しい味や食材に挑戦する、これが一般的なイメージだ。

 だが「戦隊モノ」に関しては、老舗がマンネリの味を続けていると思い込んでいるのはその店に通っていない”エアプ”の客であり、老舗に毎週足繁く通っている特撮ファンほど、その変化と時流に乗る貪欲さを味わい尽くして知っているという次第である。

定義違いで憎悪を生み出さないために

 さきほどのパロディ作品に話を戻すが、作者や編集者がこの作品を制作するにあたって、いわば本家が擁する、50年に渡る作品群やその時代背景、世につれ移り変わる思想、コンプライアンス、ジェンダー事情といったテーゼにどのように作品として応えてきたかなどについては、ほとんど深堀りせずに設定や描写に取り組んだと推察される。

 それに伴って、先ほどのツイートのように「東映スーパー戦隊シリーズ」とその他の区別がついていない不勉強な姿勢が透けて見えることが、特撮ファンが抱える嫌悪感を一層高めている。

 パロディ作品が必ずしもパロディ元を精緻にトレースする必要はない。「換骨奪胎」という言葉があるくらいなのだし、いい加減な姿勢だろうが作品を世に出す自由はあり、そういった物の中にも大衆の感情に訴えかけてくる作品はある。

 しかし、なまじっか東映が長期に渡ってコストをかけて作品を送り続けてきているがために、視聴読者に発生する「これって戦隊を銘打つ割に戦隊ぽくないな」とか「すでに本家がやってるアイデアだし言うほど新しい視点でもなんでもないな」というノイズが発生する。

 このノイズによって、例えば漫画という表現手段で示したかった主題がうまく伝えられないのであれば、それはまさに「企画者大失格」であると言わざるを得ない。

 そして、本稿でもふんだんに用いている「戦隊モノ」という呼称について、「モノ」部分が所詮そんなもんでしょの心象を含んでいることを、私は十分に知っている。つまり敬意の無さだ。蔑称に近いかもしれない。

 敬意の無さは解像度の低さを生み、解像度の低さは偏見を生み、生み出された偏見を突きつけられた人々の心に……憎悪を生む!

 この不幸な構図は、これまで様々な「戦隊モノ」「戦隊パロディ」「劇中劇の戦隊ヒーロー」「ご当地ヒーロー」等の描写で物議を醸してきた。

 正直、我慢ならんのだ。幼少期のぼくらに、困難に立ち向かう勇気を、仲間と力を合わせることの大切さを、地球上の生命を守り抜く愛を、教え育んでくれた作品群を雑に擦られるのは…!

 この世を憎悪で満たさないために、本稿では、誰もが思い浮かべる「戦隊モノ」のパブリックイメージと、東映スーパー戦隊シリーズとそれ以外の現在地、そして「こういうイジり方をするからオメーはつまんねぇんだよ」というノイズのポイントを整理していこうと思う。

 ところで下記に、東映にてヒーロー作品を数多く手掛けてきたプロデューサーの2021年のツイートを貼っておく。「ゼ○カイジャー」は「機界戦隊ゼンカイジャー」、「△映」が「東映」を指すと思われます……!

 このパロディへとお任せ・・・された『世間的なイメージどおりの「正統派な戦隊」』とは何なのか。次項で示したい。

「戦隊モノ」のパブリックイメージ

 パブリックイメージ。こんな大上段に構えなくても、「5色くらいに分けられたヒーローが怪人と戦う番組」で概ね間違ってはいない。けれどそれこそ解像度が低すぎるというものだ。

 この記事のトップ画像は生成AIに描かせたが、この絵に辿り着くまで、同じ色が2人いる絵を出してきたり、6~7人を描いたり、レッドがセンターにいなかったり、うろ覚えで絵を描く人そのものの出力ばかりで安定しなかった。

 なんとか5色のヒーローが崖上でそれっぽくポーズをとっている画像が出力できたが、グリーンの色が薄くてブルーが二人いるように見えるし、『パワーレンジャー(東映スーパー戦隊シリーズの海外版)』に似すぎていて不満である。

 この生成AIのやらかす、レッドをセンターに置かない状態や、パワーレンジャーしか知らないかのような想起は、つまりそれは「戦隊モノ」に対して解像度が低い人と同じ状態と言い換えられる。

 パブリックイメージとしての「戦隊モノ」を万人の頭の中に再現するには、生成AIに細かく指示をするのと同様に、「そういえばレッドがいつもセンターにいるなぁ」「名乗るタイミングは揃った時だけだよなぁ」ということを含め、当たり前に思えているものを、どういう要素があるのか、分解して言語化する必要がある。

戦隊ヒーロー側の要素

 いきなり示してよいものか迷ったが、一つ一つ吟味する過程を書くと離脱が増えそうなので、下記に戦隊モノのヒーローのパブリックイメージたる要素を挙げていこう。

 先に引用したツイートでいえば『世間的なイメージどおりの「正統派な戦隊」』の要素であり、あくまで「戦隊モノ」というキーワードが出たときに想起されるヒーロー像であり、全部の項目に「※東映スーパー戦隊シリーズの作品が必ずしもこれに当てはまるわけではない」と注意書きを添えたいほどだ。

  • 変身することで人間がヒーローとなり強い力を得る
    変身は重要な要素だ。変身するということは人間の状態とヒーローの状態の二つがある、ということでもある。

  • ヒーローはツナギのスーツを着ている
    見た目において、ツナギのスーツというのも象徴的なものだ。全身タイツと言い換えても良い。他のヒーロー番組にある変身ベルトやマフラー等の小道具は、戦隊モノを再現したい場合には必須ではなさそうだ。

  • ヒーローは覆面(ヘルメット)をしている
    素面(註:生身の顔)ではない。パロディ作品の漫画ではモノクロでキャラクターを描き分ける必要からマスクの形をそれぞれ変えたり、素面が始終透けていたりするが、基本的にあるデザインラインに沿った覆面(ヘルメット)を装着している。

  • 何らかの組織に所属している
    地球防衛隊のような組織内のチームで、彼らに指示をする上官(管理職)がいる。

  • 3人か5人でチームになっている
    中途加入で人数が増えたり、人員交代も発生する。

  • チームの名称が「○○レンジャー/○○ジャー/○○マン/○○ファイブ」である
    ○○の部分が何であっても名前が「それっぽい」ものになる。

  • メンバーそれぞれに色がありレッド、ブルー、イエロー、グリーン、ブラック、ピンク、ホワイトなどを割り当てている
    チームメンバー同士で呼び合うときに、色の名前や色の名前がついた愛称で呼ぶことで識別される。

  • レッドがリーダーでセンター

  • ピンクは女で紅一点

  • イエローはパワータイプでカレー好き

  • ブルーは頭脳派

  • グリーンは身軽で素早い

  • ブラックはニヒルなレッドのライバル

  • 変身後や、駆けつけて全員揃った際に名乗りを上げる

  • なんか崖の上に立ち並んでいる

  • 名乗ると背景で爆発が起こる

  • 5人で揃って必殺技を放つ

 いかがだろうか。「戦隊モノ」のヒーローを思い浮かべる時に、頭の中では概ね上記のようなイメージが展開されているのではないだ
ろうか?

↑こういうツイート、大好きですw

敵の特徴

 ヒーローだけでなく、敵の要素も挙げてみよう。ただ、ヒーローほど思い浮かべる機会もないし、ヒーローに敵対する組織としては仮面ライダーの『ショッカー』とその戦闘員に強烈な印象を覚えている(=それだけ各種メディアで擦られ続けている)はずで、戦隊モノの敵組織や敵怪人については東映スーパー戦隊シリーズにおいてヒーロー同様に多種多様であり、明確なイメージを持てるという人は少ないはずだ。

  • 敵も組織である

  • 敵組織は社会の脅威である

  • 敵は等身大の怪人である

  • 幹部怪人や戦闘員がおり、上下関係があるっぽい

パブリックイメージでは無視されがちな要素

 続いて下記は「戦隊モノ」を構成するには必要な要素と思われるが、そこまでイメージとしてすぐ思い浮かばないものだ。

 映像作品としてパロディが作られる際には用いられている確率が高いが、漫画では設定の理由付けが難しかったり作画においてコストが高かったりするのか、あまり採用されない。

  • ヒーローによる武器の使用
    徒手空拳で戦うのではなく、銃や剣など多彩な武器や戦法を用いる。

  • 怪人の巨大化
    怪人は必殺技で倒されると、何らかのロジックで巨大化し暴れ回る。

  • ヒーロー側の巨大ロボや巨大マシン
    巨大化した怪人を倒すためにヒーローが駆る。

  • マスコットやベテラン役者/芸人枠の人物
    ヒーローに特殊な力を授ける存在や組織の長官、あるいはヒーローに理解のあるレギュラー出演の市民・協力者役がいる。

 これら要素を再現できれば、現行の「東映スーパー戦隊シリーズ」作品を無視したとしても、十分にパブリックイメージを元にした「戦隊モノ」として機能すると言えるのではないだろうか。

完全なる無知蒙昧による「戦隊モノ」イメージ

 前段で挙げた要素があれば、おおよそパブリックイメージの「戦隊モノ」と言えそうだ、ということがわかった。ここではもう少し推し進めて、人が何かを指して「戦隊」と表現する場合、さらに他のものを混同して使われるケースについても考えてみたい。

 例えばニュースサイトの記事で「俳優の○○は戦隊ヒーロー作品でデビューし、作中でウルトラマン△△に変身する青年を演じた。その後NHKの朝ドラや大河ドラマに出演するなど順調にステップアップしていった」という文章があったとする。つまり、この記事を書いた記者の頭の中では「戦隊ヒーロー」に「ウルトラマン」が含まれていると考えられるのだ! いい加減にしろよ週刊誌のおっさん記者!(←根拠のないイメージ差別)

 ここで「え、何がおかしい? 含まれてても問題ないんじゃ?」となった人は、本当に申し訳ないが、戦隊の「隊」という字がついている意味くらいわかってほしい。単体ヒーローかつ巨大ヒーローですよそれ。

(逆に、ウルトラ兄弟や仮面ライダーセイバーを指して「隊じゃん」という意地悪が言える人は区別がついてて言ってる人でしょ? そういうのやめて)

 グラビア雑誌の「戦隊ヒロイン水着大集合」特集にしたって、ウルトラマンや仮面ライダー出演女優の写真が出ているし、中にはヒロインではなくて悪役ヴィランもいる。ここでの「戦隊ヒロイン」という言葉は、「ヒーロー番組に出演しているお姉さん」くらいの意味しかない。

 パブリックイメージの要素で挙げた内容を「戦隊モノ」と言うのはかまわないのだけれども、お願いだから他のヒーローと出会ったときに「戦隊モノ」かどうかの区別くらいつけてほしい。

 その照らし合わせ作業が脳内でできなかったり面倒くさかったりするから全部「戦隊モノ」でいいや、となっているのだろうけれど。後生だからサボらずに頭を動かしてほしい。

 さすがにヒーロー番組を何でもかんでも「戦隊モノ」と呼ぶのは解像度低すぎない? と思うのだけれども、仕方がない。「母ちゃんが『ファミコン』と言ったらセガマークIIIもPCエンジンもみんなファミコンになる」というのと同じレベルで、戦隊の「隊」を為していない単身ヒーローや巨大ヒーローも「戦隊」と呼ぶ人も世の中にはいるのだ。それも結構数多く。

 そのあたりのもどかしさや嘆きも、ネットにおける特撮ファンの言動から感じられる。おれらの愛した「戦隊モノ」の世間からの認識はその程度なのか、と。

 パブリックイメージよりも、もっと解像度が低い、物事の捉え方が粗い、そういう人に向けてアピールしていかなければならないし、アピールしても暖簾に腕押し、という世界も案外広がっているのだ。

 MCU(MARVEL Cinematic Universe)作品のことをアベンジャーズに限らず「アメリカの戦隊モノ」って表現してる人、いると思います……。

 まあ、そのイメージ形成の一端は、20年ほど前に雨後の筍のように現れた雑なご当地ヒーローや、ドンキで売ってる雑な全身タイツが担っちゃったというのもありそうですが。

では東映スーパー戦隊シリーズは毎年何をやっているのか

 冒頭に挙げた漫画作品をきっかけに「戦隊モノ」論議が沸騰したことで散々各方面で語られているため、どれくらいの深さで触れていいものかわからないが、近年の作品を挙げつつ、東映スーパー戦隊シリーズが必ずしもパブリックイメージ通りではないという部分をピックアップしてみたい。

  • 王様戦隊キングオージャー(2023年)
    ヒーローたちは各国の王様であり中盤まで呉越同舟の趣で、利害の一致で臨時的に協同して戦っている。ピンクがいない。女性ヒーローはイエローとパープルに割り当てられている。
    新機軸としては特撮映像にLEDウォール(電子式の書き割り)やグリーンバック合成がふんだんに使われており、ロケや物理的な舞台セットを極力抑えることで、各国の景色、異世界らしさを描写することに成功している。話の完成度よりもライブ感のある作劇が重視されていて、前後をよく観ていなくてもエモいシーンが何となくエモく感じられる。

  • 暴太郎戦隊ドンブラザーズ(2022年)
    メンバーは一般人の中からどういうわけか選ばれるため組織ではなく、怪人発生時に都度集合したり集合しなかったりする。ピンクが男性。ピンクが怪人にされてしまう、三度も。怪人は過去のスーパー戦隊をモチーフにしている。レッドが一人だけ桁外れに強い。最終回付近までメンバー同士にブラックの正体が割れておらず、揃って変身したのは終盤も終盤。ロボ戦が無いまま済まされる回がある。
    面白い点としては、主役はレッドだが主人公はイエローという構造や、ブラックとピンクが変身後にフルCG描写となり極端な身長差を設けられているビジュアル、前作(下記ゼンカイジャー)の主人公が出演続投している、追加戦士の二面性ある性格やイマジナリーフレンドに支えられていたというホラーじみた怖さ演出等が挙げられる。

  • 機界戦隊ゼンカイジャー(2021年)
    メンバーのうち4人がロボット。センターが赤色ではない。歴代の他のスーパー戦隊の力を用いることができる。そして概ねそれは公式パロディとして表現される。正体を隠していない。追加戦士はいないが、追加戦士枠の仲間はいる。←こういう区別を厳密につけるのがオタクのうるさくて面倒くさいところなんだよね。敵幹部の1人とつかず離れずながら生き方について尊重し合い心を通わせる。敵のライバルは操られた父親である。
    ロボットや数多くの並行世界を通じて多様性のあり方や異種族、異なる価値観を持つ人々との共存についてスポットを当てている。

……とまあ、こんな感じです。現行作品の『爆上戦隊ブンブンジャー』のほうがパブリックイメージに近いものがある。

東映スーパー戦隊シリーズではない「戦隊モノ」とは

 先ほど「仮面ライダー」や「ウルトラマン」の名を出したが、そういった単身ヒーローや巨大ヒーローとの混同ではなく、「東映スーパー戦隊シリーズ」ではないが「戦隊モノ」のくくりに入りそうな作品、集団ヒーロー作品には、どんなものがあるだろうか。

 これらがもしパブリックイメージの再生産や印象づけに一役買っているなら、「東映スーパー戦隊シリーズ」の動向に関係なく、私たちの固定観念のルーツがわかりそうなものである。が、先に答えを言うと、「東映スーパー戦隊シリーズ」ほどの認知は得ていない。

 むしろ正当なフォロワーであったり、それこそパロディであったり、ライバルとなるべく独自に開発された集団ヒーローなのだ。とはいえ、きちんと例示すべきなので、いくつか分類して列挙していきたい。

東映が制作しているがスーパー戦隊シリーズではないもの

 実際の作品で「戦隊モノ」の範疇でありつつ、まずは「東映が制作しているがスーパー戦隊シリーズではないもの」から紹介したい。

 まったくややこしい話で、先ほどスーパー戦隊シリーズが寡占していると書いたばかりではあるが、その周辺作品として東映が別種の集団ヒーロー作品を手掛けている状況は理解してほしいからだ。

 比較的新しいものから10年おきくらいに3作品。

  • 『ザ・ハイスクールヒーローズ(2021年)』
    学園を舞台に、学園防衛部の生徒たちが平和を守るために奮闘する。ジャニーズ(当時)の男性アイドルグループが主演しており、彼らのポテンシャルを活かす様式として「戦隊モノ」が選択され、東映のプロデューサーほかヒーロー番組経験のあるスタッフが集結して制作している。『秘密戦隊ゴレンジャー』のアカレンジャーがイマジナリー的存在として登場し、主人公に正義を説いたり共闘するシーンがある。先述した戦隊モノ要素の「ピンクは女で紅一点」を逆手に取り、本作のピンク(モモヒーロー)は性自認の悩みから解放され自己肯定を得ていく男の子という設定で、近年の社会的なジェンダー意識に向き合って作られている。
    そのほかジャニーズ(当時)タレントを活用した映画に『エイトレンジャー(2012年)』『同2(2014年)』がある。確かに男性アイドルグループは「シブがき隊」「少年隊」の昔から「隊」であり、「SMAP」も『スマイル戦士 音レンジャー/音松くん(1993年ごろ)』を名乗っていた時代もありましたね。女性アイドルグループの「ももいろクローバーZ」も、楽曲『Z伝説 ~終わりなき革命~』での衣装はかなり戦隊モノを意識したデザインになっているなど、アイドルと戦隊モノとは相性が良い。

  • 『非公認戦隊アキバレンジャー(2012年)』
    東映自ら「東映スーパー戦隊シリーズ」の「定石・お約束・作劇上の制約」すなわち「あるある」を網羅し、過去の東映スーパー戦隊キャラクターがゲスト登場することも含め、劇中世界と視聴者世界の垣根を壊すかのようなメタ描写があり、ファンムービーともマンネリズムへの問題提起とも受け取れる珍しい作品。おおよその戦隊パロディ作品が「あるあるネタ」として弄っていることやこれから弄りたいことは大抵ここでやり尽くされている。

  • 『美少女戦士セーラームーン(2003年)』テレビドラマ版
    有名漫画/アニメ作品の特撮実写ドラマ化。北川景子(セーラーマーズ役)を始め、セーラー戦士達を演じた面々は、現在でも現役の女優・モデルであり、年一回プライベートで集まるというエピソードがある点も後日譚として素敵だ。

東映制作ではない戦隊モノ

 独自の集団ヒーロー作品として誕生したもの。制作会社が多様に見えたほうがよいかと思い、硬軟取り混ぜてチョイス。こちらも比較的新しいものから。

  • 『ガールズ×戦士シリーズ(2017〜2021年)』
    テレビ東京制作。三池崇史監督を総監督に据えた変身ヒロイングループ作品。近年において東映ではない「戦隊モノ」でここまでシリーズ化されたものは珍しい。東映スーパー戦隊シリーズの玩具スポンサーはバンダイだが、このガールズ×戦士シリーズはタカラトミーが玩具スポンサーである。
    『アイドル×戦士 ミラクルちゅーんず!』『魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!』『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』『ポリス×戦士 ラブパトリーナ!』『ビッ友×戦士 キラメキパワーズ!』の5作品があり、その後も同枠で女児向けドラマが放映されている。

  • 『古代少女隊ドグーンV(2010年)』
    キングレコード、毎日放送制作。アイドル主演の特撮ドラマ『古代少女ドグちゃん(2009年)』の続編として制作された。単身ヒーローの続編が集団ヒーローになった例。劇場映画もある。

  • 『トミカヒーロー レスキューフォース(2008年)』
    松竹、テレビ愛知制作。製作委員会方式。玩具スポンサーはタイトルのとおりミニカーのトミカを販売しているタカラトミー。悪と戦うというよりも災害救助や鎮圧に重きを置かれている。続編に『トミカヒーロー レスキューファイアー(2009年)』がある。

  • 『魔弾戦記リュウケンドー(2005年)』
    松竹、テレビ愛知制作。製作委員会方式。前述のレスキューフォースと世界設定が地続き。

  • 『超星神シリーズ(2003年〜2006年)』
    東宝、テレビ東京制作。玩具スポンサーはコナミ。『超星神グランセイザー』ではSF的なアプローチで重厚な設定がされており、特に終盤では地球の命運が懸かった戦いが繰り広げられる。
    『超星神グランセイザー』『幻星神ジャスティライザー』『超星艦隊セイザーX』の3作品がある。

パブリックイメージに拠った作品

 独自の集団ヒーロー作品を作っていこうというよりも、コメディ等別途のテーマのために「戦隊モノ」のパブリックイメージを用いた作品。

  • 『女子ーズ(2014年)』
    キングレコード制作。福田雄一監督作品。10年前に高畑充希と有村架純と桐谷美玲と山本美月を揃えて「戦隊モノ」のパブリックイメージとご都合・予定調和をズラしてコメディに仕上げている。「東映スーパー戦隊シリーズのいずれのパロディでもないが、パブリックイメージの戦隊をパロディにしたもの」としての例としては一番これが良いというほどに思えている。メンバーが全員女子という時点でもう、東映スーパー戦隊シリーズからずらしていこうというのがわかるので。
    ちなみに自分はこの作品が好きなのでBlu-rayディスクを所持している……。

紛うことなき東映スーパー戦隊シリーズのパロディ

 どうしようもなく老害オタクぽいチョイスになってしまうのだが、下記を挙げないと怒られそうな気がするので挙げておきます。

  • 『愛国戦隊大日本(1982年)』
    映画サークルDAICON FILM制作。おれはこれを高校生のときに先輩から回ってきた画質のクソ悪いビデオで観た。現代までの流れでたくさんの「戦隊モノ」が生まれてしまっているので、そうではない時代、戦隊といえば「東映スーパー戦隊シリーズ」(という呼称は生まれていなかったがバトルフィーバーJからの数作品)を指していた時代での「戦隊パロディ」として挙げずにはいられない。
    余談ですが、漫画「戦隊大失格」のタイトルを目にしたとき、「あ、この”大”は戦隊パロディの祖たる愛國戦隊大日本の"大"なんだろうな」って直感しましたからね。ほんとクソオタクはいらん直感を棄てたほうがいいな。

  • 『戦え!爆乳戦隊チチレンジャー(2004年)』
    TMA制作。成人向け映像なので、これをここで取り上げるのはどうかと思うが、確実に『爆竜戦隊アバレンジャー(2003年)』のパロディであり、ボディスーツがアバレンジャーのデザインを模倣している。マスクは適当なのがご愛嬌。戦隊ぽいのはタイトルと掴みだけの出落ちかと思いきや、きちんと怪人も出たり、エロビデオなのに真面目に戦隊ぽいことをやっているエロくないシーンがたくさんある。鳥肌実、加藤鷹も出演。

こういうイジり方をするからオメーはつまんねぇんだよ

渾然となった「戦隊モノ」で何を語るのか

 ここまで、戦隊のパブリックイメージとはどんなものか、戦隊の代名詞である東映スーパー戦隊シリーズが近年どのようなバリエーションを持たせているか、傍流の「戦隊モノ」にはどんなものがあるか、ということを書いた。

 「戦隊モノ」によって指し示される作品の範囲は大変に広いが、パブリックイメージは強固である。そんな環境の中で、現行の代名詞的シリーズは年々変化を恐れずにチャレンジをしている。

 このギャップがあるために、戦隊パロディ、戦隊をモチーフとした作品のアオリで「戦隊の常識を覆す!」とか「戦隊の知られざる姿を暴く」とか言われても「そもそもそんな常識ねぇし」「露悪趣味だな」としか言いようが無い。

 おれたちオタクは「東映スーパー戦隊シリーズ」のいずれかをパロディにしたものであればいくらでもあげつらう準備はできている。だが、そうではなく、「戦隊モノ」を、パブリックイメージを、それこそがジャストに存在しないものだということを理解しないまま下敷きにした言わば『「戦隊モノ」もの』を出されると、悲しいかな、怒髪天を衝くと同時に尻毛も地を衝いてしまうのだ。憤懣やる方ないというやつだ。

 戦隊のパブリックイメージ、すなわち「現代ではそのままのものが存在していないフォーマット」に依拠してまで何を語りたいのか。この「何を」が戦隊パロディに強く求められることだと思う。

 想像してみよう。
 戦隊のパブリックイメージを用いた上で、「戦隊モノ」そのものを表現しようというのではなく、そこに別途のテーマを乗せた作品を創作しようと思うならば、まず作中の「戦隊」を強固に構築する作業が発生することになる。

 例えば冒頭の例に漏れず「女はピンク」ということが設定されることだろう。そうでなければパブリックイメージと乖離してしまい、パロディだとわからないからである。同様に、先ほど挙げたような内容を固めていく。現実の東映スーパー戦隊シリーズではそんなことにはこだわっていないというのに……!

 その上で、ガチガチに固めたイメージから、ハズしたりズラしたり、「その裏では…」なんてことを編み出していくことになる。それはそれで設定作業はパズルのようで楽しいかもしれないが、この手順で作られた地盤に、テーマって、乗るのか……? しかもそこに作劇、すなわちドラマを織り込むって、歪みが出やしませんかね。

 ぶっちゃけ、どんなテーマを乗せるにしても、まずテーマありきで現代社会を舞台にしたお仕事系などのドラマ設定をしたほうが、より強くテーマを描き出せて、読者の理解力を試さなくて良くありやしませんか?

 もちろんこれは、物語はテーマに隷属すべき、という考えに近いので、先に物語を構築してテーマは後付けでいい場合には向いていないのはわかっている。

 特撮ヒーローの世界って、設定するのも視聴読者が理解するのも大変な部類である。何で変身するの? 何で力が強くなるの? 何で巨大化するの? そんな基地誰がどこの予算で作ったの? その武器は何? 怪人に対して警察や自衛隊などの武力を持つ組織は何をしてるの? ……あまりイケてないパロディというのは、こういうことに無頓着だ。

 逆に、それらに対する解を世界設定として持つことができたなら、パブリックイメージよりも解像度高くスーパー戦隊シリーズを咀嚼できたなら、パロディとしても、そこから派生した作品としても、イケるんじゃないだろうか。

 このあたりを齟齬なくうまくやれたとして、戦隊モノである以上、そのモチーフに対する「イジり」が常に発生する。

あるある…ねーよ!

 突然だが、おれは「戦隊モノ大好き芸人」みたいなバラエティ番組がめちゃくちゃ苦手だ。

 なぜかというと、特撮ファンの芸人が、特撮あるあるや、普通の人が知らなさそうなトリビア、撮影秘話や所持グッズを紹介していくのだが、こちとら『怪獣VOW』以前から長年オタクをやりすぎていて「そんな話珍しくもない」「俺もそのグッズ持ってるわ」「これ一般人が有り難がるのかよ~」の連発になるからだ。

 テレビの中の芸人は、そんなオタクにとって陳腐な内容を披露してチヤホヤされるのに、おれときたらオタクが早口でここまで書いてきた一万字くらいの内容をまくしたてるもんだから、まったく有り難がられない。

 だから苦手だ。狭量とも言える。

 曲がりなりにもテレビショウだからヒーロー番組について嘘を言うことはないだろうが、「戦隊モノ」をパロディにした作品で披露される「あるあるネタ」はどうだろうか。

……そう。パブリックイメージから架空のヒーローを作り上げているので、「あるあるネタに見せかけた、ねーよ!ネタ」が紛れ込むのだ。

 冒頭の作品から引用すると「彼女はレッドになれない 女は『ピンク』にしかなれないのだ」「唯一の女性枠 ピンク」「女性ヒーローピンクは 決してレッドより前に出てはいけない」「ピンクのサポート任務」「ピンクはサポートがメインですので」「トドメをさすのはレッド 鉄則です」「唯一の女性であるピンクはサポートに徹し」とレッドを男の象徴に、ピンクを女の象徴に見たてた男尊女卑思想のオンパレードだ。

 パブリックイメージくらいしかない人が見たら「そうそう、戦隊モノって女性は一人だし、その枠のピンクといったら添え物だよね」と頷いてしまいそうなほど、すさまじいピンクへの偏見を畳みかけてくる。

……ねーよ! そんな作品そもそもねぇって。変な誤解を招きそうなやつは勘弁してくれよ。となる。

 それ以外にも「ヒーローが素面である」「怪人に敵組織に由来するコンセプトが(現段階では)みられない」「過去に主人公を助けたことのあるレッドが、助けるときに手を差し伸べながら名乗っている」あたりも、東映スーパー戦隊シリーズをよく知る特撮ファンが引っ掛かるポイントだ。「ヒーローの養成学校って何? ヒロアカにあやかりたいとか?」と、他のヒーロー作品をごちゃ混ぜにしている向きもある。パブリックイメージを使うなら、もっとパブリックイメージに寄せてくれ。

 そしてこの作品が、「男尊女卑思想が蔓延る社会を女性が自身の能力や仲間との絆で打ち破っていく」ことを描きたいのなら、女がトップに立つことを阻まれる世界観のベースとして相応しいのは、果たしてパブリックイメージを利用した「戦隊モノ」なのだろうか、という疑問が浮かぶ。(奇しくも現在のNHKテレビ小説(朝ドラ)『虎に翼』がそういう向きの話ではある)

 そのあたりの噛み合わせの悪さから、ジェンダーの話題は火が点きやすく活動家紛いに絡まれたら面倒臭いことこの上ないご時世に、このアプローチをしてくるか? となる。

 もっと親しみやすい、現代的な「ブラック企業内での女の細うで繁盛記」や「パワハラ・セクハラ企業を舞台にした新しいショムニ」じゃダメなのか? となるが、まあ今どき「女の細うで繁盛記」のノリはむしろどうなんだ? ターゲット誰だ? というところまで来てしまうが。

 となると割り切って、パブリックイメージの枠組み内で、その「ねーよ!」の部分ばかりをきっちり積み上げていくやり方もあろう。タブーばかりを踏んでいくことで、描けるテーマもある筈だ。

行き場のないつまんないイジり方

 踏み込みすぎると創作論に突入してしまうので、「戦隊モノ」としてのテーマの乗せ方についてはこのあたりにしておくが、東映スーパー戦隊シリーズをネタにするにしても、パブリックイメージの「戦隊モノ」をイジるにしても、つまらないものというのはなべて現代的センスを欠いたものであると思う。

 今、ピンクの存在をイジろうとした際に、『ザ・ハイスクールヒーローズ』『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』から二年経ってなお、ピンク=女の専売特許として扱ったり、ピンクを男や中性的存在にしようとしてそれを「新しい」と思い込んでしまうのは、かなり厳しい。頭の中をアップデートしていただきたい。

 ヒーローを題材としたアニメ、劇場版『TIGER&BUNNY -The Rising-(2013年)』に、「男は度胸 女は愛嬌って言うじゃない じゃあオカマは何か知ってる? 最強よ!」ってファイヤーエンブレムのセリフがあって、おれはこれが大好きなのだけれども、これって十年経ってみたら、長い物語の中で積み重ねられたキャラクターでないとおいそれと言えない(迂闊に脚本に書けない)セリフになってしまってるわけですよ。

 いや、もちろん当時から積み重ねたキャラクターだからこそ言えてたセリフなんですが、今って、いわゆるオカマキャラを創作内で積み重ねるのにすさまじいコストがかかる。神経がすり減る。

 余談ですが、干支が一周前くらいは、乙女ゲームのガイド役のキャラって執事かオカマばっかりだったんですよ。LGBTとかでもない、単にマツコデラックスのノリでグラフィックを美形にしたようなキャラ。そういうの今って、やっぱり迂闊にやれない。迂闊にやれないけど、スト6のエターニティはやってのけてる。男か女かをそもそも気に掛けずにナチュラルに書くというのがコツだとは思うが、じゃあそれって男か女かに寄せとけばいいじゃん、となる。

 敢えてやっているくせに現代的アップデートがされていないイジり。敢えてやるなら、迂闊にできるもんじゃぁない。

敢えて戦隊をモチーフにするならば

 ということで、ある属性を持たせたら、そのように存在しているなら意味・・があるんでしょ? と問われるのが現代。

 それと同様に、「戦隊モノ」は強固なパブリックイメージが形成されているがために、その姿をしているなら、やはり意味を問われるものになっている。

 オリジナルの集団ヒーローを作りたくて、先人の叡智の結集たる東映スーパー戦隊シリーズを参考にするもよし、パブリックイメージを固めたところからハズしてみるもよし、創作は本当に自由である。

 二次創作として、明確に何らかの作品をパロディにするのも、パロディ元を知る視聴読者に愛されることがあるだろう。

 しかし、別途テーマを強く打ち出したいものがある場合は、強固なパブリックイメージが足枷になってくる。それこそ、東映スーパー戦隊シリーズの「次番組のプロデューサー」になったつもりで作り上げなければ、換骨奪胎とパブリックイメージの再生産に終始してしまい、微塵も面白くない作品になってしまうことだろう。

今回の騒動は、きっと繰り返される。それくらいに、「戦隊モノ」はインパクトが強く、創作者が纏ってみたくなるスーツでもあるのだ。

 その度に、我々特撮オタクは何でも蘇り、罵声を浴びせようではないか。「解像度が低い!」「リスペクトが足りない!」「そのアイデアは○○レンジャーが何年も前にやっている!」と。

(了)

 本記事の続編として、戦隊モノをモチーフとした映画『ひどくくすんだ赤』の感想を書いています! 上記記事で振り上げた拳をどこに下ろすのか、必見……!


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