謎小説「箱庭と海」

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*****

ある日気がついた。ここは「箱庭」だと。
我ながらしょうもない陰謀論。
でもしょうがない。点と点はつながってしまったんだから。名前も付けられないまま胸に居続けた違和感がはっきり一枚の絵になって腑に落ちた。それだけ。

もう誰も使ってない図書室の隅、小窓から差す午後の太陽に照らされた詩集。手に取ったのが間違いだったのかもしれない。強いて言うならあれがトリガー。インクが日差しに灼ける匂い。きらきらと舞う埃。
捨てるべき書も持たない私を呪った紙の束。

個人の行動履歴や購買行動を把握する全員揃いの腕時計も、大企業が作った都市も、埋込式ICチップもバーコードの入れ墨も必要ない。フィクションなんて読むまでもなく、ここがディストピアだった。家畜の群れを塩と番犬で統率したみたいに、私たちは他人の都合で脳に紐づけされた恐怖と快楽で、いつも「どこか」に誘導されている。

私は駆けた。町と海の境目、走りやすく整えられたまっすぐな道。同じような澄まし顔で並ぶグレーの家々が流れていく。食べられもしない黄色い果実たちが甘やかに笑うのを視界から振り払う。ここから逃げなくては。少なくともここより息のできる場所へ。

駆ける。流れる黄色とグレー。
とっくの昔に野生を失った膝が震える。止まれない。止まりたくない。
息が切れる。肺がぎゅっと狭くなる。
ほとんど崩れ落ちるみたいに私は砂浜に溶けた。

ざわざわ鳴る木々。波音。穏やかな日差し。これだけ走って汗もかかない背中が温められた砂に甘やかされて汗ばむ。セロトニンで脳が埋まる。暴力的な幸福「感」。
これと、脳に流すと幸福になる電流と、何が違うんだろう。

でもどうしたらいい?体を起こしてまたまっすぐ走り続けたらあの木の生えた家の群れから離れることができるけど、そこは別の都合でつくられた別の秩序。
ただ逃げたって私はきっと別の恐怖に怯えて、別の快楽を追い回すだけだ。
そもそも今ここをディストピアたらしめているのは私の脳(だって「ここ」で幸福な人生をやっている人々がいるのに。)。だとしたら死なない限り逃げられない。
ハムスターはハムスター。回す滑車が変わるだけ。
もしかしたら、「逃げられない」ことに私は甘えてるのかもしれない。
数千年そうやって命を繋いできたんだもの。
支配への渇望がないなんて言わせない。

ああ厭だ。私はインターネットの海を駆けた。中野を、江古田を、小岩を、国分寺を、どことも知らない街の間取り図を駆けた。滑車がない街ならどこだっていい。
でもだめだ。地球は既に私より強大な他人が作った箱庭に覆われている。かといってその埒外で生活するには私はさみしすぎる。人類は増えすぎたのに私は孤独すぎる。もし神だとか、人間の上位種がいて、繁殖を促すために「さみしさ」を植え付けたのだとしたら大したものだ。思うつぼ。
ああ、だからみんなカムパネルラを欲しがるのか。友情の形をした恋。恋は人を馬鹿にし馬鹿にするらしいけど、馬鹿になったらきっと気持ちよく跳べるでしょう。ぼくたちどこまでも一緒に行こうね!二人で箱庭の外へ!!!
私もそうしたかったよ、ねえ。カムパネルラはいない。誰かをカムパネルラにしたくはない。


ああもういいや。ショッピングモールに駆け込む。
白のロール紙とカーテン用の突っ張り棒、叩き売りの缶チューハイ、それと目に刺さった画材をありったけ。それだけで私の両手はいっぱいになってしまった。
部屋に戻り、突っ張り棒を使って紙をカーテンのように壁に垂らす。皿に絵の具を盛り付ける。
あ、筆がない。構うものか。指に直接絵の具をつけ紙に叩きつける。絵の具を混ぜる。白いシャツが汚れる。鬱陶しいなもう。絵の具を手に出す。広がるオイル質。ねじ込むみたいに拭うみたいに繰り返し、繰り返し
自然には存在しえない赤、白、青、黄色、紫、灰、黒、ピンク、ピンク、ピンク  

色が、弾けて

気づいたら私は絵の具に塗れてチューハイの缶と一緒に裸の床に転がっていた。白かったシャツはもう何色ともつかなくなって床で干からびている。

体を起こす。乾いてひび割れた絵の具の粉が皮膚からパラパラ散らかる。鱗粉みたいだ。
ふと壁を見る。

「……なんだこれ」
解釈の余地もない暴力みたいな極彩がただ広がっていた。
カーテンには光。仄白い朝。時計を見る。3:49。
シャツワンピース一枚羽織って、音を立てずに家を出た。耳聡いあの人(続柄を口にしたくはない)が起きた気配を振り切って走る。
海まで5分。立地だけは最高。浜を駆ける。砂に足を取られる。靴に砂が入り込む。
靴を脱ぎ捨てて水面に跳んだ。

思いのほか温かい。耳元に水音。
沈む。沈む。沈む。
水底に背がつく。浅いよ つまんねえな。本当に深かったら焦って浮上するくせに。気持ち悪い、生き穢い。
何のかけらかもわからない藻屑が私の吐いた空気の泡が光と踊る。
背に砂を感じながらきらきらとスパークする水面を眺める。
目を瞑り息を吐く。
このまま底が抜ければいいのに。
肉も意識も溶けて海になってしまえばいい。
息を吐く。吐き続ける。しょっぱい。
脳が痺れる。瞼の裏が白む。恐怖。
耳鳴りみたいな声がする。
水死体って真っ白のぷくぷくに膨れるらしいよ―――
うるさいなあもう 脳がうるさい 黙れよ。捨てるべき書もないくせに。

吐く泡も少なくなってきた。

ざぷん

体が勝手に身を起こした。背筋が弧を描く。肋骨が開く。息を吸う。
いやだ。いや。厭。厭。厭。生き穢い。度胸がない。
でも泣けるほど悲しいわけでもない。
ただ、ああ、そうなんだなあ と。

手の絵の具は落ち切っていた。

部屋に帰る。
絵を見上げる。
捨てるべき書を持たない私は、呪われた私はきっと、己の城を築くことでしか、「箱庭」と折り合えることはない。
絵の具を手に取る。私は私を積み上げる。

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