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「未来が少し、不安な君へ」ホストクラブ副社長が料理人への道を選んだ理由 #sioのつくりかた

#sio 公式

sio株式会社の3店舗目として、渋谷駅から徒歩2分の「渋谷フクラス」内に店を構えるパーラー大箸。

新メニューの開発など次々と話題を生み続けるこの店には、一風変わった経歴を持つ料理人がいます

名前は「まさる」。本名ではないこの愛称は、ホストクラブのオーナーによって、名付けられたものでした。

歌舞伎町の社会派集団として注目を集めるホストグループ「group BJ 副社長」 兼 「パーラー大箸 料理人」

一つの組織で上り詰めた彼は、なぜ今、『純洋食とスイーツ パーラー大箸』で働くことを選んだのでしょうか。

sio株式会社で働くスタッフのインタビュー企画 #sioのつくりかた 。今回は、パーラー大箸の料理人 まさるをご紹介します。

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まさる
福島県出身。小学生の頃から、母親の見様見真似で料理を始める。調理師専門学校を卒業後は、イタリアンをはじめ複数の飲食店での経験を積む。25歳のとき、勤務店舗の閉店が決まったタイミングでホストクラブの求人に応募、キッチン担当として働き始める。徐々に運営を携わるようになり、36歳で副社長に就任。店舗運営や後任の育成に携わっていた。子供ができたきっかけもあり、「自分の次なる目標は何か」を模索していたところ、オーナーとつながりのあったsio株式会社への出向が決まる。2019年パーラー大箸のオープン時より、sio株式会社に参画。


「目の前のことに、がむしゃらになって欲しい」

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ーずばり本題からお伺いしたいのですが…、ホストグループの副社長がパーラー大箸の料理人になる、これにはどのような経緯があったのですか?

すごく、不思議な経歴ですよね(笑)。今はグループからの出向という形でsio株式会社で働いているのですが、もともとホスト業界に入る前は、料理人をしていました。

勤務先が閉店することになって、「次はどこで働こう」と職を探している時に出会ったのがホストクラブの求人だった、くらいのきっかけです。

当時は何か明確な目標があったわけではなく、目の前のことにいっぱいいっぱい。あまりあと先のことは、考えていなかったかもしれないですね。

ー働き口を探していたところに、一つの選択肢としてホスト業界が出てきたんですね。

26歳くらいだったと思います。キッチン担当として入社し、「何かメニューを考えて作って欲しい」とのリクエストに応える形で、ホストクラブでの仕事が始まりました。何も決まっていない状態だったので、割と自由に作らせてもらって。

ーそこから、副社長になるまでのお話をお伺いできますか?

正直、目の前のことをやっていただけという感覚で、オーナーに声をかけてもらった時は流石に驚いたんですよね。ただ、グループがだんだんと大きくなっていく時に、運営側の人手が足らないことは感じ取っていました。事務作業から少しずつお手伝いをするようになり、36歳の時に、この役職を拝命しました。

ーお話をお伺いしていると一気に上り詰めた感じがしますが、ご自身ではなぜ抜擢されたと考えますか?

うーん…なぜでしょうね。割と、黙々と仕事をすることは好きです。状況をよく見ることは昔から大切にしていて、「今ここに手が足りていないな」「困っているな」と気がつくたびに、お手伝いをするようにしていたというか…。

でも、この肩書きをもらったタイミングから、次の世代にどうつなげていくかを、考え始めたような気がします。

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ー次の世代へつなぐ。

一概には言えないですが、ホスト業界は若い世代が活躍できる場だと思うんですね。20代はプレイヤーとして頑張って、30代で経営を経験するパターンが多い。ただ、40代を迎えた時に、「この先どうしていこう」と不安になる傾向はあると思っていて。僕も40をすぎて、同じ様に感じました。

世の中も業界もすごく流れが早い中で、「後に来る子たちが、なるべく将来に選択肢を持てるようにしたい」と、オーナーとはよく話していました。その一案として、異業種との交流が生まれた形です。

ーそうすると、今回の異動も「ポストを開けるために進む」という感覚なのでしょうか?

そんなたいそうなものでも、ないんですけどね(笑)。でも、夜の世界で働く子たちに、「こういう進路もあるよ」と見せる一つのきっかけだと思っています。ホスト業界はすごく刺激的で面白い環境である一方、将来への不安を抱えている子も多い。

女性と同じように、男性も結婚して家族ができたり子供ができたり、ライフステージの変化がある中で、「いつまでもこの仕事は続けられない」と転職していく子たちを多く見てきました。

でも、20代の頃に全力で頑張った仕事から離れて経験も人脈も0からまた頑張るって、すごく大変じゃないですか

groupBJという会社として、何か別の業種とのつながりを用意して、ある程度人となりを知った状態で働ける場所を作っていけたらなと思っています。

ーそんな想いがあったのですね。その試みに、副社長が自ら挑戦すると。

僕自身、結婚して子供ができた時に、同じ不安を感じました。いくら誇りを持った好きな仕事とはいえ、父親が夜の時間にいつもいないのは子供を不安にさせてしまうのかなと。この悩みは、僕に続く子たちもきっと同じように感じることです。

将来に対する漠然とした不安で、今に全力が出せないようではもったいない。だからこそ、選択肢の一つの例になれたらと思っています。


「見て察する、見て学ぶ」ただずっと、続けてきたこと

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ー元料理人とのことですが、いつ頃から料理との関わりがあったのですか?

子供の頃から、おやつのために自分で料理をする子でした。最初は本当に簡単なものですよ。「お母さんはいつもこんな風にしているな」と、見よう見まねで作り始めて

友達に振る舞った時は、その子のお母さんに「子供だけじゃ危ないよ!」と怒られましたけど(笑)。

ーそれでも、作り続けたんですか?

それをきっかけに、母から「どうして危ないのか」「なぜ心配なのか」を、ちゃんと教えてもらえたんです。料理するなと止められなかったことに、感謝ですよね。友達に喜んでもらえるのも嬉しかったし、料理自体が好きだったんだと思います。

高校生でアルバイトをしようと決めた時も、飲食店を自然と選んでいました。最初はホール担当で、人手が足らない時に洗い物でキッチンに入るようになり、そこからだんだんとキッチンも担当するように。

その空間にいると、「あの料理はこんな風に作るんだな〜」と見て学べるので、忙しくなった時に「こういう風にやったらいいなら、やるよ!」と、行動できるようになって。その繰り返しで、覚えていった気がします。

ー料理を始めた頃からずっと、「見て学ぶ」スタイルなんですね。

確かに、そうかもしれないですね。もちろん聞いて教えてもらうこともありますよ。

ただ、目の前の状況に対して「何が足らないのか」を考えて、「自分にできることをやっていく」意識はずっとあるのかな、と思っていて。

様子をよくよく見ていれば、足らないものは自ずと見えてくる。じゃあそれを自分がやってみようかな、と。それは今も、変わらないと思います。

ーパーラー大箸で働くとなった時、不安はありませんでしたか?

ブランクはあるので、不安がなかったとは言い切れないですね。鳥羽さんの圧倒的なキャラクターや、若くして活躍されている方々を見てきました。

でも、sio株式会社に入ってみて改めて思うことは「やれることをやろう」なんです。

鳥羽さんがメニュー開発をするときのアイディアには毎回驚かされます。食材の合わせ方一つとっても楽しいですし、なんと言ってもスピードが早い。

それに呼応するように、パーラー大箸では日々新たなメニューや施策が生まれるので、目の前のことにがむしゃらという言葉がぴったりですね。

大谷シェフ(パーラー大箸のシェフ)のお手伝いをしながら、時には、昔の知識を引っ張り出して「この方法はどうですか?」と意見交換をすることもあります。

多くの方に受け入れていただくものを作ることは、前職とはまた違うやりがいを感じますね。まだまだ、これからだと思っています。

42歳。新たな道を選んだ先に目指すもの

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ーこれまでたくさんの経験を積んでいらっしゃると思うのですが、自分よりも若い方々に「何か教えなければ」というプレッシャーはないですか?

年齢は、あまり関係ないですよね。自分にとっての正解が、必ずしも全員の正解ではない。

あくまでこの場所に立つ上で大切なのは、パーラー大箸の料理が多くの方に受け入れられるようにしていくことですから。

ー経験を押し付けないということも、後を追う人々にとってはありがたいことのような気がします。

やっぱりこう、年齢を重ねることによって感じるギャップは、どの業界でもあると思うんですよ。「教えても伝わらない」とか、そういうことないですか?

でも、組織を大きくしていく上で必ず必要なのは、次の世代を成長させていくことです。そのためには、自分が一歩引いて、任せて、自分で行動してもらうことは必要なんですよね。

せっかく出会った子たちには、「ちゃんと仕事ができるようになって欲しい」ですから。

とはいえ、人見知りな方なので、言葉で伝えるというよりは、見てもらえたらいいのかなと。だからこそ、次世代を育てると決めた時から、「自分は次に何をするか」を、意識してきたのだと思います。

ー現状に少し不安を感じてしまったり、新しい環境に飛び込むことに不安を感じてしまう方も多いかもしれません。そんな方にアドバイスをするとしたら、どんな言葉を選びますか?

いつだって「隣の芝が青く見えてしまう」のが、常だと思います。でも、落ち着いて見ると、意外とそうじゃないことも多い。もしかしたら、みんな自分と変わらないかもしれない。実は、全く青くないのかもしれない。

それを言っていたらキリがないので、「それなら自分のところを青くしよう」と考えを変えた方が、生きやすいんじゃないかなと思います。こればかりは、待っていたところで、誰かが勝手に最高の環境にしてくれるわけではないですからね。

仕事もプライベートも、生きていれば色々あります。何か壁を感じた時には、「なんとかしなきゃいけないよね」って考えるんです。悩んで止まってしまうのはもったいない。

例えば、食材の棚がいっぱいだったとして、「入りませんでした、腐りました」なんて、ありえないですよね。

じゃあどうするか。

とりあえず整理したり何かを外に出したり、新しい棚を買ったりするしかない。

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自分の生きる道や、やりがいも同じで、何かしらのアクションを起こさないと道って見えてこない。だとしたら、「今、ここで」できることを一つずつ見つけていくしかないんですよね。

ー「できることを、一つずつ」、まさにまさるさんのこれまでそのものですね。新たなキャリアが始まってもうすぐ1年。今後の目標を聞いてもいいですか?

まだまだ、料理のことで精一杯ですが、いつかは「場所」を作れたらいいなと思っています。

自分とつながりを持った子が、例えば「父親になるんだけど、仕事どうしよう」と悩んだときに、「うちでも働けるよ」と迎えられるような場所を。

group BJもsioも、「人とのつながり」をとても大事にする会社です。せっかく出会ったつながりを、頑張ってきた子たちの努力が0にならない場所を、いつか作れたらいいなと思っています。


【 これまでの #sioのつくりかた

海賊シェフを支える sio スーシェフ 木田 翼
期待の少し先を満たす パーラー大箸 サービス 大谷 奈名子
料理人への信頼をお客様に届ける o/sio サービス 石田 なみ紀
サービスの力で味を伝える o/sio サービス 緑川 峻
sioの料理にリズムを刻むソムリエ 亀井 崇広
sioのイズムを醸成する仕掛け人 折田 拓哉
自ら楽しみ新たな味を模索する料理人 早乙女華乃

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取材・執筆:柴田 佐世子
編集:柴山 由香
撮影:池田 実加
バナーデザイン:小野寺 美穂野元萌乃佳


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