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【自分が好きだからみんなも好き】は間違っている

「自分がされて嫌な事は人にしない」

これはみんな知ってるし、当然だよね。

子どもに教えたい言葉であり、みんな知っていて実践している。ホント正しいと思うし、みんなが実践する優しい世界であってほしいと思う。

ただ逆に「自分が好きだからみんなも好き」

これは圧倒的に間違っていることがある。自分が嬉しいんだからきっとみんなも嬉しいだろう、というのは正しくない。

「ありがた迷惑」という言葉があって、良かれと思ってあなたがしたことが相手にはいい迷惑だということがあるんだよ。


何を隠そう、僕はマヨネーズが嫌いである。

ご飯にマヨネーズをかけて食べる人がいるほど、みんながマヨネーズ好きであることを僕は知っている。

マヨラーやらマヨチュッチュやらマヨネーズに関わる言葉に、みんなが歓喜していることを確かに知っている。

みんなが好きであっても嫌いな人だっている。味覚というのは全員が同じではないから当然だ。

ただちょっとマヨネーズはみんなが好きと思い込んでやしないか?

僕はマヨネーズが嫌いなんだ。

僕がどれくらい嫌いかというと、マヨネーズを見るのも嫌であれば名前の響きですら嫌いである。

白くねっとりとしたフォルム。んー、考えただけで身の毛もよだつ。そもそもなぜ嫌いなのかはちょっとしたトラウマが絡んでいる。

僕が嫌いなものはやたらと白いと言う共通点があって、マヨネーズ嫌いもそこから派生してるかもしれない。

トラウマとして残っているのは箱根の温泉卵だ。幼稚園の頃食べた黒くて臭い玉子。

皮をむいて白い卵が現れたときのインパクト。その時の硫黄臭たるや筆舌しがたい。

それでもなお、幼稚園の先生のすすめもあり1口に含んでみた。強烈な硫黄臭とブヨっとした食感。

文章に書いただけでも鳥肌が立つほど、今も忘れられないトラウマなんだ。


そこから一時期はありとあらゆる白いものが嫌いになった。

当然のことながら目玉焼き・ゆで卵、これらは今でも食べられない。そしてマヨネーズ・チーズ、これらもまた好きではない。

色の問題かは分からないが、卵と関係がないのにもかかわらずマヨネーズもチーズもダメなのである。(マヨネーズは卵と関係あるか)

牛乳もプレーンヨーグルトもいまいち好きでない。シチューも好きではない。

牛乳はコーヒー牛乳なら好きだし、カルピスも好きだ。ヨーグルトは甘ければ好きだし、練乳も好きだ。

どうやら何でもかんでも白いとダメなわけではないらしい。

ただ、白いものを食べようとすると箱根の温泉卵と思い出される。トラウマというは大人になっても残ってしまうのだ。

代わりと言ってはなんだが卵焼きは食べれる。特に醤油や砂糖で味付けした茶色い卵焼きなんかは大好きで、生卵も大好きだ。

でも卵臭いスクランブルエッグは嫌いで、かつ丼の黄身は好きだが白身部分は嫌いである。

白身と黄身が分離した途端に食べられなくなる。なぜ分離しただけで食感も匂いもこれほど変わるのだろうか。

チーズは塊になったら全く食べれない。クリームチーズも粉チーズもチーズケーキも食べられない。

でもピザは好きで好んで食べる。しかし、ピザ生地の耳にチーズが入っているのはダメだし、マヨネーズ抜きのピザ限定だ。

マヨネーズは嫌いだが、マックのてりやきマックバーガーは好んで食べる。

マヨネーズソースはマヨネーズではないので大丈夫なのだろうか。もはや自分でも分からない。

白いご飯は大好物だし、イカも好きだ。白いものでもどうやら卵と乳製品に問題があるらしい。

これを聞いた女性陣は9割型、結婚したらめんどくさそうな男だと思ったことであろう。実際に僕の奥さんもこのめんどくさい好みを今なお皮肉ってくる。

「好きなのか嫌いなのかはっきりしてほしい」「何が食べれて何が食べられないのかよく分からない」

結婚12年経ってもなお僕の好き嫌いを正確に把握できているのは、僕自身だけである。

いや、僕自身でも正確には分かっていない。


みんながマヨネーズ好きだと思い込んでいるといえば、1つ思い出したことがある。

15年位前の夏の日、僕は初めて冷やし中華を残した。冷やし中華を食べ残すなんて人生で一度しかないだろう。今後もきっとそれは起こらない。

当時僕は現場仕事をしていて、周りにはあまり飲食店のない場所に行っていた。

食事をとる場所といえば小汚い町中華しかない場所だった。半強制的に同僚とその小汚い町中華に入った。

夏場で暑い盛りだったから「冷やし中華始めました」の、のぼり効果もあり僕は冷やし中華を頼んだ。

町中華の醍醐味は小汚い割にうまいことだ。夏場の冷やし中華なんてどう作ったって旨いに決まっている。

しかしだ!

察しのよい諸君は気づいているかな?

【僕が頼んだ冷やし中華にはまんべんなくマヨネーズがかけられていた】

どこの日本に冷やし中華に最初からマヨネーズをかける文化があるのだろうか?

「ご自由にどうぞ」とマヨネーズを渡されてかける人はいるかもしれない。横に添えられていればお好みでつけることも可能だ。

マヨネーズとはそういうものであろう。勝手にかけるものではないだろう。せめてメニューに書くべきではないか?

たこ焼きなら最初からかかっていても諦めはつく。エビフライにタルタルソースがかかっていても諦めつく。

だから、たこ焼きなら注文の際にマヨネーズがかかっているか確認して上からかけないようにしてもらう。

ただ、冷やし中華にマヨネーズは誰が思い浮かぶであろうか?

そう思うと無性に腹が立ってきた。腹が減っている成年男子はこのような過剰サービスを許容できるほど器は大きくない。

店主のおっちゃんに僕は声をかけた。

「すいません、この冷やし中華マヨネーズかかってるんですけど」

「あーそうだよ、マヨネーズはおいしいからね」

「いや、自分マヨネーズ好きじゃないので勝手にかけられても困るんですけど」

「困ると言われても困るよね。うちの冷やし中華はこれだから」

「どこかにマヨネーズかけてあると書いてありました?普通に考えてかかってるとは思わないで注文したんですけど」

「それは書いてないけどマヨネーズをみんな好きだろ?」

「いや、僕は好きじゃないんですよ」

「そうはいっても作ちまったからなあ。」

「もう、いいです」

端から見たら僕はクレーマーなのだろうか。。全くもって腑に落ちない。

【自分が好きなものはみんなが好き】それは人の価値観によって変わるものであって、とてつもなくありがた迷惑である。

少なからず店主はマヨネーズをかけていることをメニューで周知する義務がある。

不当景品類及び不当表示防止法違反ではないか。

好き嫌いは人それぞれだ。「快く交換をしてくれなかったこの店には二度と行くまい」と心に決めて数日間は遠くのコンビニまで歩いたのだった。


そしてまた、「マヨネーズが嫌い」というと「非国民だ」「人生損をしている」などといつもいわれる。

これもまた余計なお世話だ。マヨネーズと言う言葉を聞くことすら嫌なんだ。そっとしておいてほしい。

じゃあ聞くが、僕はらっきょが好きだ。らっきょは好きかい?らっきょが嫌いな人は多いであろう。

「らっきょが食べられないなんて損してるね。」なんていっても、損してるなんて1ミリも思わないはずなのに。

冷やし中華のタレにらっきょ酢を使ってみたらどうだい?僕がらっきょを好きだからみんなも好きだろうというロジックを使えばこうなる。

タコ焼きの紅ショウガ代わりにらっきょを入れてもいいかもしれない。らっきょ嫌いでなくても悲鳴が上がりそうな食べ方だ。


僕は気持ち悪い食べ物を想像させられることが嫌だ。みんなも気持ち悪い食べ物を想像して嫌だったかな。

「自分が嫌なことを人にしてはいけない」

やはりこの言葉が正しいことが立証された瞬間である。


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