私には特別な思想がないと思っている方々へ

https://note.com/onoholiday/n/n8f5f7130ef61

-「普通」という状態はない-
-グローバル化が排除に向かわぬよう-
-ある方向性の思想を広めながら宗教でないという危険思想-
-ある方向性の思想がないという同調的全体主義な危険思想-

〇本文より抜粋〇
-無思想は存在しない-
人間が何らかの活動によって生きている以上、本当に「無思想」などという状態はあり得ません。自分がどのような思想を持っているかは、そもそも様々な他の思想を知って、それらと相対化しなければ分かりません。私たちは生きている以上は、何らかの考え方に同調するか、無自覚に実行することで何かの思想を体現しているのであり、その中には「自分は哲学や考え方なんて全てどうでもいいと思っている、ただ糧を得て生きているだけだ」というような考え方も含まれます。

-無思想の本当の意味-
無思想とは本当に思想がないのではなく、「自分の持っている考え方が普通だという前提から、自分がすでに内在化している思考が”空気のように”見えなくなってしまい、自分がなにも考えていないと錯覚している状態」だといえます。

-無思想者の攻撃性-
一般に無思想者を突き動かしているのは「普通」から外れることへの恐怖や、自分はもしかすると「普通」ではないのではないかという疑念・苦痛です。無思想者は、意見を言うと「普通」ではなくなる可能性があるため、本当は意見を言いたくありません。しかし、自分と全く異なる意見を目にしたり、それが支持を得ていると、自分が「普通」ではなくなるという恐怖に駆られるために、攻撃してその意見を消滅させようと考えます。

◎問うこと
◎思想は常に固定されないことを受容すること
◎敬虔、尊重、尊厳を持って相手と対峙すること
という意識を互いに持ち続けることで、安らかな個人と世界に向かう。
仏法・禅はこれらの考え方を根本より育てる教えです。
逆にこれらが感じられない仏の教えは仏法ではありません。

zafu代表 藤井隆英

zafu(身心堂)サイト
https://bosan32000.wixsite.com/sinsindo

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?