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読書感想#4 【神谷美恵子】「生きがいについて」

 休日画家と聞くと、皆さんはどのような印象を持つでしょうか。思うに、画家になれなかった人が、趣味として絵を描き続いている、そのようなイメージではないでしょうか。実際、私が休日に絵を描いているということを誰かに話せば、大半の人は私を慰めようとします。自分の力を発揮できる場所は必ずどこかにある、という風に、なぜか私は夢を挫折した人になっているのです。

 もちろん、ある意味ではそういう面もあります。たとえば私は幼少期から、絵を描くことが好きでした。そのときは絵を描きたいという漠然とした理由で画家になりたいなんて思っていました。しかしこの夢は既に幼少期の時点で挫折します。それは絵で食べていけるのは極一部の選ばれた人間だけであり、私はその一部の人間ではないということを、親や周りの大人に告げられたからです。

 やがて私が仕事を始め、収入を得られるようになった頃、また機会があって絵を描いていた時にふと、あることに気が付きました。私はいま絵を描いていて、しかも普通に生活が出来ているということです。かつての幼少期の自分にとって、将来絵を描くということは、絵で稼ぐということを意味していました。しかし本来、絵で稼がなくても絵は描けるのです。私はそれに気付いてからというもの、再び絵を描くようになりました。しかも自分のために描く絵ですから、完全に自分の好きなように描ける訳です。誰かの意思を汲み取る必要もありません。むしろ普通の画家よりも、より純粋に絵が描けるのです。

 私にとっての休日画家とはそのようなものです。しかし世間的にはそうではありません。思うに、好きを仕事にするという理想的な価値観が根付いた反面、もしそれを仕事に出来なければ、それを好きでいることも許されないかのような風潮があるからです。

 趣味を楽しみにする人は、どこか仕事の面で思うような進路を歩めなかったという風に勘ぐられます。それを仕事に出来なかったからこそ、趣味という領域に都落ちしてきたという感じになるのです。世間は、仕事よりも趣味を優先する人に対して、どこかそういう先入観を抱きます。しかし本来は、むしろ趣味のために仕事をするということこそ、より人間らしい生き方であると思います。前置きが長くなりましたが、それを証明してくれるのが、本書です。

 本書はまさに、私がそんなことを思っていた矢先に出会ったものです。私の感じていたこと、私の考えを肯定して後押ししてくれる、そのようなものでした。

 本書にはハンセン病患者という、死を目前にした人々が登場します。当然この人達のなかには、現役時代に高い地位にいた人もいる訳ですが、死を前にして、実はそれは人生に於いて本質的なものではなかったと気が付かされます。地位や名誉が何だ、自分は一体何に幸せを見出せるのだろうか、そのように自問すればする程、単なる労働というのは二次的なものでしかないのです。

 ハンセン病患者の内には、やがて絵を描き始める人も少なくなかったといいます。もちろんこのときの絵を描くというのは、労働としてのそれではありません。休日画家としての創作活動です。何か目的のために描くのではなく、描くことそれ自体が既に幸せであるという領域に達したのです。

 自分の本当にしたいことは何か、先ずはそれを考えること、そしてそれを人生の基準にすべきであるということ、本書から私はそのようなメッセージを受け取りました。それがお金になるとかならないという基準こそ、むしろ可能な限りは後回しすべきであって、好きなことをやるということ、これをもっと優先的に考えてもいいのではないでしょうか。

⬇本記事の著者ブログ

https://sinkyotogakuha.org/

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