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butajiさんの「RIGHT TIME」を聴いて

 butajiさんの歌は、聴くたびに、また歌い口ずさむたびに、とにかく心地よくて、もう大好きなんですが……ことばが追いつかないままではありますけれども、新譜である「RIGHT TIME」を聴いたときのことを、できるだけありのままに書き留めておこうと思います。

 アルバムを聴き終えて、曲が終わったとほんとうに感じたのは、最後の曲である「春雷」が終わったときだけだった、と思った。それくらい、それぞれの曲が連綿としていて、離れがたい感じがしていた。

 すべて終わるまで、ずっと堪えていたけれど、最後はかろやかに弾むような余韻をぐっと感じられた。ずっしりとしていて、けれど、ふわりと漂っているような、不思議な余韻だった。

 それぞれの曲を、ライヴのときの弾き語りでのバージョンを思い起こしたりもしながら、つよく流れてくる、メロディーというよりもエネルギーに、ただ気持ちやからだを任せて聴いていた。

 何というか、耳だけで聴いている気がしなかった。うまく言えないけれど、聴いてる間、からだの内にずむずむと響いて溜まっていくものがあった。というかそもそも、ただ聴いているという感じじゃなかった。あぁ、ほんと、なんて言ったらいいんだろう。

 届けたい、どうにか、届けたい。響かせたい。そういう、ことばではそのまま言えないようなことが、耳にすれば分かることばでちゃんと表されていて、けれどそれらが前面に出ているというよりは、生活や暮らしに流れている音楽の物陰や隙間から、歌声を見つけているような……聴いているはずのわたしが見つけているような、そんな雰囲気があった。

 butajiさんの歌声がめちゃくちゃに好きだし、それが前面にきているのはギターで歌っているときだと思っていたりもしたけれど、このアルバムを聴いて、なんだか自分がひどい思い違いをしていたような気がしてきた。

 ピアノであったり、クラブっぽかったり、ブラスが高らかに鳴ったり、アコースティックであったり。でも、それらはひとつひとつ意外なくらい迫力を持ってきこえてきていた。「みんな生きてる、誰かが鳴らしてる」と、そう思ったのかもしれない。

 かわるがわる、巡るようにして。一曲目の歌い出しと、最後の余韻が、やわらかくつながっているのを感じて、堪らない気持ちになった。

 きっとこのアルバムを、何度も聴いていくうちに、考えも感じ方も変わってくると思うし、なによりひとつひとつの曲を、今まで以上に口ずさむ機会が増えてくると思う。そういう「これから」のことを思うと、また気持ちがいっそうかろやかになっていった。

 くるしさを芯にかたく抱えたままであっても、なんとか、かろやかになっていきたい、そう思っていたことにさえ、あらためて気づかせてくれたような気さえした。

 butajiさんの「RIGHT TIME」。
 すごく良かったです。今、聴けて良かったと、ほんとうに思いました。よかったら、お手にとってみてください。

 読んでいただき、ありがとうございました。



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