見出し画像

【シャニマス 】ストレイライトは裏切らない【限界記事シリーズ】

よくきたな。おれは三楼丸だ。おれは毎週すごい人数のアイドルをプロデュースしているが、誰にも見せるつもりはない。しかし今回おれは4月9日に『アイドルマスター シャイニーカラーズ』上でプロデュース可能となった「和泉愛依」をプロデュースして、「ストレイライト」というユニットの全ぼうが明らかになった結果、いてもたってもいられなくなったので、この記事を書いて公開することにした。


アイドルマスター シャイニーカラーズ:ブラウザ&アプリ対応のアイドル育成ゲーム。昨今稀に見るほどのキャラクター性の作り込み具合が魅力です。


和泉愛依について

ストレイライトを理解する上で、まずおまえは、和泉愛依がどういった人物なのか理解する必要があるだろう。黛冬優子の時も行ったが、「ちょうどこれからプロデュースしてこようと思ってたんだよね」というやつは、普通に今からプロデュースしてきたほうがいい。「そのうちやろうと思ってる」とかいう奴は死後灰になってランドソルの大地に降り注いでも「今ちょっと灰だから」とかなんとか理由をつけてどうしようもない。今この場で読め。

幸い、ストレイライトを語る上で、和泉愛依について解説しなければいけないことは少ない。和泉愛依は心優しき真の男だ。困っているものを見過ごさず、温厚に接しようという精神性を、おまえたちはオープニングコミュから既に読み取るコオtができる。人と積極的に接する傾向にあり、それ故か友達が多い。

ブローノ・ブチャラティを知っているか? ブチャラティはギャングだが、街の人々に優しく接しており、人望が厚い。街を歩いていれば人々に明るく声をかけられ、時には相談事も持ちかけられる。まさに和泉愛依はシャニマス界のブローノ・ブチャラティと言っても過言ではない。敢えて付け加えるならば、和泉愛依は恐らくギャングではない。


ブローノ・ブチャラティ:スーツがオシャレで彫りが深くてセクシーなナイスガイ。ジョジョ5部は最強セクシーイタリア人博覧会みたいなところがある。


しかし「アイドルとしての和泉愛依」を理解する上で一番着目すべきことは、彼女が心優しき若ウドであることでも、友達が多いことでもない。「アイドル」としてステージに立った時、焼きたて小麦パンか、日向で微睡むネコチャンのように暖かく柔らかかった彼女の目つきは、鍛えた鋼のような鋭さと硬さを孕み、その上を情熱の温度が伝播する。それはまるで夜空を優しく照らしていた三日月が徐々に姿を隠し、その掠れる姿を吹き飛ばすような、強烈なメキシコの夜明け……。まさに太陽だ。

時に拳。時に華。


何がリアル 何がリアルじゃないか


今回は何の記事だ? ストレイライトについての記事だ。前回散々振り返っていても、やっぱり黛冬優子はストレイライトのメンバーだし、もう一度くらい振り返っておいてもいいと思う。

黛冬優子を思い出して欲しい。そうだな。「カワイイに余念がないアイドル」だ。彼女は「本当の自分」に対するコンプREXから、万人ウケする表向きの「黛冬優子」を演じている。残りの解説ははこの前の記事を読め。今まで見たことないほど多くの真の男たちがこの記事に対する賞賛の声を寄せているので、おまえの舌にも会うかもしれない。会わなかったらそのときだ。

黛冬優子:前回の記事に非常に多くの反応が寄せられて、とてもうれしかったです。シェアやRTしてくださった皆様ありがとうございます。


ユニット内でもこの調子でいくつもりらしい

さて、ここまで3人のうち2人を振り返った。「ファンのために『アイドルの和泉愛依』を演じるアイドル」と「自分のために『アイドルの黛冬優子』を演じるアイドル」。既にぼんやりとストレイライトのsilhouetteが見えてきていることに、聡明なおまえは気がつくだろう。キーワードは「二面性」と「視線にさらされる者としての『アイドル』」といったところだろうか。理由はどうあれ、黛冬優子も和泉愛依も「ファンのための外見」を取り繕っている。

ファンの知らないアイドルの素顔を見れるPさんも幸せ者なのだなぁ。

このふたりが上手い具合に対立しつつ、根本のところで道を違えているということに気がついた時、おれは「このユニットには何かテーマがあるはずだ」という閃きを得た。

流石に「偶然このふたりがこういう表面的には似つつ決定的に違う感じの設定になって、同じユニットのメンバーになりました」と言うには無理がないだろうか? おれはそう思う。あまりに作為的なものを感じる。

ここで「僕は別にそうは思わないんだけど……」と思ったおまえは、ブラウザバックしていいと思う。これはイヤミ教員が言うような「帰りたいなら帰れ」ではない。実際ライターや総合プロデューサーにインタビューしない限り、本当にストレイライトにテーマがあるかはわからない。おれのここまでの記述をしっかりと読んで、それでおまえが「そういうことじゃないと思う」と思ったなら、それはそれでいいとおれは思っている。おれはおまえの考えを尊重する。

だが、一方で、「意外とアリじゃないか?」と思ったおまえは、読み進めて欲しい。おれはおれたちのために記事を書いている。半分はおまえのため。半分はおれのために。


帰りたいなら帰れ:大人げないやつめ


ようやく、最後の一人と向き合うことができる。芹沢あさひだ。芹沢あさひが「二面性」や「ファンのための外見」と関係する要素を、そのキャラ造形の中に抱えていれば、おれの考察の正しさが証明される。「ストレイライトは個人個人の『二面性』をテーマにしたユニットである」と胸を張って言えるわけだ。

芹沢あさひ:キャラクター性の泥沼。完全に迷宮。さっきまで解釈(こたえ)だったものが辺り一面に転がる。Oh Yeah。

が、ここで問題が発生する。芹沢あさひには「二面性」など存在しない。ステージの上でも事務所でも常にMY WAYを貫き、「ファンのための外見」もない。おれは焦った。「どうしてこいつだけ、外面を着飾らないんだ?」。困惑したおれは、ここまでの考察が否定されたかのような気分になった。芹沢あさひにも「二面性」に関係する役割が存在するのではないか?

自然体以外の何でもない

考察に行き詰まったおれは、加えて襲いかかってくる日々の忙しさの対処に追われ、数日が過ぎた……。おれは完全にGet Busyしてしまい、この記事の存在も虚無の暗黒へと投げ込まれ、二度と戻らないところだった。

しかし、おれは勘違いをしていた。なんとか芹沢あさひのコミュから「二面性」を読み解き、自分の正しさを証明しようとしていたが、そんなことももうやめた。ある時ふと、それに気がついた。

芹沢あさひには「二面性」など必要ない。なぜなら、彼女は既にファンに認められているからだ。

少し意地悪な言い方をすると、黛冬優子も、和泉愛依も、全く己を取り繕わないでステージに立つことなんてできないのだ。彼女らは「ファンの望む『アイドル』」を演じることによって、ファンと向き合っている。しかし、芹沢あさひは、既にその在り様がファンに認められている。

つまりどういうことが言いたいのか? 整理しよう。

ストレイライトの三人は、三者三様のファンへの向き合い方をしているのだ。

一人は己の作る偶像に磨きをかけ、ステージの上で振りまく。

一人は敢えて己自身の露出を抑えることで、己の欠点を補う。

一人はステージに立とうと、街でステップを踏んでいようと、剥き出しの自分をファンに向けて掲げてみせる。みんな、ファンへの向き合い方が違う。

この推論に辿り着いた時、公式の「攻めっぷり」におれは驚き斧置いた。おれはアイドルマスターに触れるのはシャイニーカラーズで初めてだし、これから新しいアイドルマスターシリーズに触れるつもりもない。

だが、これほど歴史あるシリーズが「今まで君達が応援してきたものは、もしかしたらこのユニットのふたりみたいに、嘘で作られたものかもしれないよ」とわざわざ提示してきたということに、恐怖に近い感情を呼び起こされたのだ。

たしかにアニメやゲームは現実ではない。しかし、アニメやゲームの中にも、その中だけの「現実」が存在する。ウルトラマンはエネルギーとする紫外線の関係で地球上では3分間しか戦えないし、初期の仮面ライダーはベルトのタービンを回さないと変身できないため、バイクに乗らないといけない。八宮めぐるちゃんはいつでも元気いっぱいで、友達が沢山いて、スポーツが上手い。ファンのことも大切にしている。それらが全て嘘だとしたら?

今まで自分に提示されたものは、全て虚構だったかもしれないのか? そう考えると恐ろしい。実際本当にそうなのかもしれない。MISIAは「優しい嘘どいらぬ」と言っていたが、あれはMISIAが真の男だから言えることだ。おまえたちやおれはなかなかスッパリ割り切ることなんてできないし、今まで抱えてきたアイドル像と現実との板挟みになり、体組織がだんだん崩壊していくに違いない。

MISIA:歌が上手い

しかし、勘違いしないでほしい。彼女たちは何のために嘘をつく? お前を裏切るためか? てんでちがう。もちろん、ファンのためだ。そしてファンとはもちろん、おまえたちのことだ。

彼女たちは時に己を偽ってまで、おまえたちを喜ばせようとしてくれる。必死でレッスンを重ね、多少なりとも自分とは乖離した、ファンのための虚像を作り上げてくれる。それはとても美しいことなんじゃないだろうかとおれは思う。

「嘘を吐く」というのは、時に悪いことのように聞こえる。しかし、人間は沢山の優しい嘘に囲まれて生きている。おまえは真実を知れば幻滅し、この世を憂うだろうが、それを覆い隠す誰かの嘘があるから、おまえは今日も元気にnoteの記事など読んでいられる。

おれは讃えたい。無数の星の中から選ばれた偶像が、人を騙すことを。偶像がおれたちにとって、『超人』のままで居る努力をしてくれることを。これを誠実さと呼ばずになんと呼ぶべきなのか、おれにはわからない。少なくとも、『裏切り』とは程遠い、気高き行為だ。

もちろん、心の底から全力の己自身でぶつかって、おれたちを楽しませてくれるアイドルだって存在する。それがストレイライトにおける芹沢あさひの『役割』であり、彼女自身が証明する事実だ。つまり、ストレイライトのテーマは、『二面性』でも、『演じること』でもない。『ファンのためのアイドル』という概念を、多角的な視点から捉え、実例を集合させたユニットなのだ。

アイドルにとって一番大切なのは、本物であるかとか、偽物であるかとか、きっとそういうことじゃない。支えてくれるファンを裏切らない、誠実な人間であることが、きっと大事なんだとおれはおもう。過酷なサボテンシティで、矢面に立つことを恐れず、希望の象徴として民衆を率いる……。やつらはひとりひとりが、現代のバーフバリなのだ。


未来へ

今回は前回の記事とは違い、共感や理解を求めるものではない。だからおまえたちは多少受け入れられない部分も存在すると思うし、おれはそうあって然るべきだと思う。もし、「おれはそうでないと思う」「違う発想もあるんじゃないか」と思う真の男が居たならば、記事にして、Twitterにシェアしたり、おれにこっそり教えてくれると嬉しい。

というわけで、おれはtrue回収作業に戻る。今日のアップデートでコミュ関連がいろいろと見やすくなったので、これを機にいろいろ見直してみるのもいいかもしれない。もう夜2時か。そういえばさっきからやたら身体が重い。瞼も。グゥ。

(三楼丸)


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?