〈脳〉洗脳ごっこ
いま自動的に考えていることは、他のひとからすれば不思議な思考回路かもしれない。
これが一番いいとおもったことは、他人からすると一番悪いことかもしれない。
生まれつきかもしれないし、見聞きしたことかもしれないし、学んだことかもしれない、それら全てが脳の回路をカタチづくる。
そうして、個人個人のパターンができあがる。
それらが頑固に固まって強固にもなり得るし、それらを自らぶち壊して新しいパターンをカタチづくることもできる。
以上は、アタマを使った思考のパターンの話であって、もう一つ別のパターンがある。
それは、思考ではなく大きな意識に委ねる生き方だ。
答えをだすのではなく、判断するのでもなく、全体の意識、ハイヤーセルフ、大いなる自己が自我にとって代わる生き方です。
脳から離れることで、脳をつかうことが洗脳であったと思うようになる。
洗脳は悪い意味ではなく、ある特定のことに意識を向けている状態だということ。
それは、わたしたちの道具だということ。
それを使うのは大きな意識であるわたしたち。
脳に使われていることに気づいていないことを洗脳されているというのではないのでしょうか。