見出し画像

決意を新たにする母の日

執筆者:あか

私は幼少期から、毎年お手紙とプレゼントとお花を贈る習慣がある。(父の日もだが)

例年通り、ショッピング傍ら母への贈り物を物色していると、

「2021年の母の日は、初めて自分も母としてその日を迎えるのだ」と、改めて気が付いた。

「はて、我が息子はこうやって私へのプレゼントなんて買いに行ってくれるのかな?」なんて呑気なことを考えつつも、改めて自分が母親になるにあたって最も畏れていたことを思い出した。

私が母を想う畏敬の念。

改めて文字に起こすと仰々しい表現になるが、自分の人生を投げ打って私を育ててくれた母親に対しては、他の言葉が見つからない。あんなに素晴らしい母親に、私は絶対になれないとずっと思ってきた。なりたくなかった、というのも正しいかもしれない。

自分さえいなければ、母は幸せな人生を歩んだ筈だから、子どもの頃から自分の存在が難かった。だけど、自分が消えてしまえば、母は生き甲斐と行き場を失くしてしまう事がわかっていたから、母が喜ぶ娘でいようと努めた。

だから、母親になる自信も願望も、少なくとも妊娠中の自分には備わっていなかった。

*

出産して半年、言い換えれば母親になって半年が経った今。

誰から祝われることもない。

豪華な衣装や沢山のおもちゃも揃えられてはいない。

けれど、たっぷり母乳が出るだけの栄養は摂取した。妊娠に気付かないまま30週を迎えてしまったが為に、胎児にとって本来与えられるべき妊婦からの愛情(つまり栄養)が注がれないまま育ってしまい、息子は低体重児になってしまった。

だから、たくさんたくさん食事を摂った。だから、母乳はつまり、唯一自分が表現できる、息子への償い。一日もサボらず、誰にも頼らず、育児と向き合ってきた。そして、毎日育児日記をつけてきた。それによると、表面上、母親らしきことはやってこられたみたい。

*

39歳まで独身を謳歌してきた私は、仕事人間かつ勝手気ままなおひとり様。利害関係のない人付き合いは皆無、仕事以外どうでもよかった。美味しいお酒と肴があればそれでよかった。煩わしさのない薄い人間関係で充分、オフの日は愉しかった。

だけど、母親になった今、つくづく思う。

あの頃の自分の住む世界は、モノクロだった。

景色も、人間関係も。

なぜなら、今目に入るものは全てに彩があるからだ。

母親になって観る世界は、こんなにカラフルなものだとは、想像だにしなかった。母親になったからこそ観られる世界であるに違いない。

もちろん、おひとり様としての自由は奪われた。仕事も人生設計も軌道修正せざるを得なかった。

いつか息子に物心がついてきた頃には・・笑顔で「お母さんありがとう」と言ってもらえる様な母親になりたいと素直に思う。その息子からの言葉だけが、自分を鼓舞してくれるに違いない。

だから、表向きだけではなく、本当の意味で素敵なお母さんになろうと決意する。素敵の定義は、息子が決めること。私はただ、正しく充分に息子を愛そう。目標はやはり、自分の母のようになりたい。

今の自分には、新しい目標と、それを達成するべき対象の息子がいる。

その事に気付かせてくれたのは、大切な息子。

その大切な息子の為に、尊敬してもし尽くせない私の母を目指して生きていこう。

改めて決意を新たにするきっかけとなった、今年の母の日。

これから母の日は、自分にとって目標に正しく向かっているか、省みる日とすることにしよう。そして、近い将来、達成できた目標を忘れない為の記念日とすることにしたい。

息子と私の物語の始まり。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。このエッセイは、NPO法人シングルマザーズシスターフッドのMother's Dayキャンペーンのために、シングルマザーのあかさんが執筆しました。
このキャンペーンでは、ひとりとして同じ人はいない、個性あふれるシングルマザーたちのかけがえのない素顔を祝福し「自分を大切にすること」「セルフケアの大切さ」を呼びかけています。「こういう支援て大事よね」と応援してくださる方にはぜひ、ご寄付をお願いしております。ぜひ、Mother's Dayキャンペーン応援ページもご覧ください。

画像2


よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはひとり親の心身のセルフケアとエンパワメントの支援活動に使わせていただきます。