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③マイ・シングルファザー ・ストーリー(息子の癌)


最初の受難

でもね。その3ヶ月後、息子の高熱が下がらず病院暮らしになるんだ。
抗生剤と点滴をしても39度を下回らない、後は息子の体力がどこまで持つかが問題だった。

そして、ある日、研修医が病名を見つけてくれた。
EBウィルスによる血球貪食症候群つまりは、赤血球の血液の癌だ。
市民病院では治療が出来ない。そして治療できる病院は仙台市以外にないと説明された。

そして翌日、救急車で仙台へ。そこで6ヶ月間入院することになった。
抗がん剤治療は本当に辛そうだった。食事し嘔吐を繰り返す日々。
髪も抜けてたっけ。そうだ、その時、俺も坊主にしたんだった。

当時、俺は自分の髪を頭部の半分以上抜いていたから、多分、今思えば抜毛症というストレスからくる行為だったんだと思う。まぁ、だから丁度良かったんだけど、息子に違和感を感じさせたくなかったのが1番の理由だったような気がする。

そして当然、24時間付き添い。お金はすぐにそこをついた。
特定疾患だったから治療費はかからなかったが、日常洋品や私の食費等に使うお金が底をついてしまったんだ。

そこで、生活保護を申請することにした。でも窓口で「働けばなんとかなるでしょう。おとこなんだから」とう突き返されたが、毎日現状を説明した。最終的には書面で陳情書を作成し、ゴリ押しで生活保護を受給すること出来た。

それでもアパートが無いととか、住民票がとか、生活している状態じゃないととか、さまざまな条件を出された。そんな悩みを入院仲間の方々に相談したら力を合わせて全て揃えてもらうことが出来たんだ。

本当、人情というか、人の温かさに感謝しかなかった。

そんなことがあるなか、息子の病気は順調に回復していった。
6ヶ月間の入院生活を終え、入院仲間に用意してもらったアパートで療養生活を送ることになる。

それも監獄のような生活だった。何故なら毎月の抗がん剤投与のための通院、免疫抑制剤を使用している為、外出制限がかかっていたからだった。
苦しかった、寂しかった、療養生活も6ヶ月続いた。そして、とある外来の血液検査の日、やっと、ようやく「完治」と言ってもらえた。

嬉しかった。その日は本当に綺麗な青空だった。
本当に綺麗なブルーだったのを覚えている。


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父子家庭歴17年。今年18歳の息子と17歳の娘を0歳と1歳から男1人で育て上げる。□全国父子家庭支援ネットワーク 代表 □宮城県父子の会 代表 □公益財団法人あすのば 評議委員 □ファザーリングジャパン 会員父子家庭への支援制度拡充の為の10年間の政策提言の活動をする
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